
※考え方がまとまってきたので再編集しました。
孤独は何も悪くない
友達がいないなんて根暗だ、とか、会社のイベントや飲み会にも全くを顔出さないなんてなんてやつだとか、集団に属さず、一人でいることが悪いものであるかのように扱われることが多い世の中ですが、だからといって孤独であるということに罪悪感や劣等感を抱く必要はありません。そもそもこの世に本質的な善悪はなく、人間が社会を形成していくなかで生まれていった価値観の一つに過ぎません。
「一年生になったら」という歌の意図
恐らくほとんどの人が子供の頃に聞いたことがあると思います。友達100人できるかな♪という歌詞で有名です。
あの歌を聴いていると「友達が少ない、まったくいない自分はだめな人間なんじゃないか」、という念にかられるかもしれませんが、あの歌は歌の語り手の子供が1年生になったら100人の友達を作ってみんなと遊びたい、遊べたらきっと楽しいだろうというようなことを歌ったもので、
決して友達は多い方がいいとか、それが”正しいことである”ということを誰かにうったえかけているものではないんですね。
悪魔で彼自身の単なる欲求、表現であって、全員が守るべきルールでもなんでもないんですよ。
彼は誰かと一緒にいることで幸せを感じるタイプだったというだけの話、物語というだけ。でもそれは彼の話。あなた自身の話ではありません。自分と他者を切り分けて考えることは重要なことです。
孤独を好きな人だっている。現に私はそうです。人と合う時間は1日のうち2時間程度がベストだと思っているくらいです。もちろん全く会わなくても問題にはなりません。ただ刺激になる程度の話しです。
あなたも孤独でいることが好きなのではないでしょうか。一人で本を読んでいたり、絵を描いて遊んでいるようなタイプの人だしょうか。
一人で何か行動することを好むことが多いなら、それは単に孤独好きなだけなんだと思います。欠点でもなんでもありません。
物事には常に2面性がある
孤独というのは、少なくもともこの国日本では、あまりいいものではないとされています。それは義務教育のころから、孤独は良くないことだということを集団行動を重んじる思想を使って教育されているためで、孤独であることのデメリットばかりを人々は教えられているだけにすぎません。
孤独でいることにもメリットはたくさんあります。考え事をするには一人がベストでしょう。絵を描くのに他に絵を描いている人の存在は必要ないですし(モデルとかは別にして)、読書は完全に独りの世界です。
人間は一人の時にもっとも自分自身と向き合って考えることができます。
一度自己分析をしてみましょう。自分が何者なのかを知るように努めることで、本当に自分のしたいこと、やるべきことがなんなのかについてちゃんと考えられるようになります。
孤独でなければできないこともたくさんあるんですよ。誰かと一緒にいるときはお互いの気持ちや考えを共感できたり、時間を共有することで幸せを感じられるメリットがありますが、その反面で自分一人の時間が取れないというデメリットもあります。
孤独の中で幸せを感じる術を知らないということにもなりますし、それは常に誰かがそばにいなければ幸せになることができない、という状態に将来的になってしまう可能性があることを意味しています。
孤独の中で幸せを感じてきた人々にとってはそれは問題となるどころか、自分の時間が増えてもっと幸せを感じられます。
一人の時間を使って、死ぬまで自分の好きなことに没頭できたら、それだって十分幸せなことです。
何かを悪い、良いとジャッジする場合は、常に物事には二つの側面(陽・陰)があるということを覚えておくと、今後の人生を前向きに考えるためのヒントになると思います。
実際物事というのはその2面性が交じり合ったグレーなものなのです。なので、そのどちらか1方だけを考えて不安になったり、自身を否定するようなことをする必要はないんです。
日本のマスメディアはそうやって不安をあおりますが、彼らにはその辺の思考が足りていないか、万人に通用すると思い込んでいるか、あえて意図的にそういう情報を流しているだけです。そんな時にこのことを思い出してもらえればと思います。
孤独は弱みにも強みにもどちらにでもなる
孤独ということは、必然的に社会的少数派になりやすい存在といえます。社会においては社交的な人が多くの支持者を得やすいですから、民主主義的な権利を主張すると孤独な人は弱者になってしまうかもしれません。
しかし孤独な人はそんな大多数の人とは全く異なる視点をもつことができるかもしれません。あなたはそう思わないかもしれませんが、人が感じていること、見ていること、考えていること、興味、価値観など、
人それぞれが見ている”景色”というのは想像以上に違っているものです。だからあなたは、無理やり自分を大多数の価値観に合わせて生きようとするよりも、
自分が見えている景色や、培ってきた経験を元に、自分が社会や誰かにできることを考えて実行をすればいいだけなんです。
例えば私は孤独な環境の中で思考し、物事を観測し、そこから得られた結果を孤独で悩んでいる人や、精神的な悩みを抱える人達に向けて、こうしてブログに書き残しています。それがどれだけの人に役立てているかは私には分かりませんが、人というのは
誰かを助けようとしたり、力になろうとするために行動することで幸せを感じられるものです。
アドラー心理学でいうところの、他者貢献というものです。
人の幸せの本質は全て行動することにあります。自分が誰かにどう見られているかとか、社会的弱者だとかそういった“ステータス”は本当はどうでもいいことなんですよ。
あなたにはなにができるのか。なにをして誰にどう貢献したいのか。
それだけが重要なことなんです。それを見つけるためにも自分のことを知ることは重要なんですね。
孤独な人は自分用の幸せの形を見つける必要がある
孤独な人は各人事の幸せの形があると私は思います。それは自分で探し出して見つけなければなりません。
孤独な人にとって世間一般的な幸せのモデルケースが該当することは少なく、結婚して家庭をもつことも、会社の中でみんなのリーダーになって人をひっぱることも興味がない人がほとんどだと思います。ユニークな性質をもっていますから、自分で探し出しましょう。あなたらきっとできます。
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