才能ないからあきらめるなんて「不幸」そのものだ






2020年04月25日~:
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どうせ自分には才能ないしやっても無駄だよね…

↑これほど不自由で不幸な決断はなかなか無いですよ。自分がどんなにそれをやりたいと思っていても、”才能”がないだけでそれをあきらめてしまう、やらない。なぜそうなるのでしょうか。世の中に認められるため?周りから尊敬されるため?自分の価値を確かめたい?───
“才能”とは何なのか、今回はそれも交えながら、才能の有無で自分の行動を判断することがどんなにもったいないことか、不幸なことかについて書こうと思います。

“才能”とは?

才能とは素質とも言えますが、こういった言葉は社会という人間の集まりの中で、能力や価値に順番をつける価値観から生まれたものです。ある集団の中において、この人はこれをやらせるとこの中では何番目にうまい、早い、すごい、というようなものです。才能とはある社会ないしは集団という範囲内におけるその人の能力とその順番というものでしかなく、いわば商品に張ってある値札です。個人が持つ純粋な唯一無二なものでもなんでもないのです。

“才能”の有無を気にしてしまう理由

それは結果ありきで物事を考える思考が根底にあるからです。成功するかしないか。人々は才能があるかないかの話をするときに同時に成功の有無についても話をしています。その一方で、誰もその道筋である過程の話はしません。だれかがエベレストの頂上に登ったという結果には興味を示しても、頂上まで登る過程で起こったであろう様々な苦難や、楽しかったことなどについてはほとんど関心を示しません。大人になればなるほどこの思考は強くなっていく傾向があり、それはこの日本という国においては多くの人々が結果ばかりを追い求め、過程を厳かにする価値観をもってしまっているからです。

重要なのは自分の純粋な気持ちだけ

才能云々を考える前になぜそれをやりたいと思ったのか。それはもっと単純な動機でしょう。”やりたいと思ったから”。子供の頃を思い出してみるとイメージしやすいかと思います。子供頃は単に楽しい事をして遊んでいたんじゃないでしょうか。その時の気持ちはどんなものだったでしょうか。

ただ楽しむだけ

どんなに自分が他人よりも能力で劣っていようと、どんなに自分よりも上に能力の高い人間がいようと、自分がそれをやりたい、挑戦したいという気持ちがあるならそれを才能がないからという、社会や他人が決めたラベルに従ってあきらめるなどという考え方を持つこと自体、不幸以外の何物でもありません。そんなものは無視して、自分が楽しみたいだけ楽しむことの方が人生を楽しく送る上でずっと重要なことです。



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Name : Elepan

元うつ病患者 (闘病歴10年)

約10年間のうつ病の体験と、独学で立ち直ったことや、実施した治療法について書いています。一人でも誰かの役に立つ情報になりますように… その他にも遊んだゲームの情報、世の中のおかしいと思うことなどについて考えたことを色々まとめています。

 

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