
「適当」は意図的なもの
「雑」というのは無意識的なもので、その人の素の状態で生み出したなんらかの成果に対して、他の誰かがそれを見たとき、その人の基準に達していない場合にいわれるものですけど、「適当」は当人に明確な意図があって、目的を達成するために意識的に手を抜いて、必要なところに適量労力を注ぐというニュアンスがあります。効率よくやるともいえます。物事には大抵優先順位がありますし、例えば1つの仕事を達成するために、10のことをしなければならないとしたら、その中で3つくらいは手を抜くとか。もちろん、手を抜く必要性や基準に基づいて判断はするとは思いますけど。
「雑」はその人の”素”でもある
「雑」と評価するのはたいていは自分以外の誰かなのですが、その「雑さ」がその人らしさなのかもしれません。少なくとも誰かに「お前は仕事が雑だなぁ」なんて言われなければ本人がそれについて考えることもなく、こういったことは他者との比較によって生まれるものです。単純に「雑」と評して否定してしまうとそこで終わりですが、その雑さは狙ってやったものとは考えづらく、その人の素の状態が出ていると考える方が自然でしょう。そこをもう少し掘り下げてみるとその人の人と成りに近づけることもあるのかもしれません。話し合いをしてみる価値があるのかもしれません。
言葉の誤用
例えば「適当にやってんじゃねーよ!」には相手の仕事の粗さ、いい加減さに文句がある、気に入らないという意思が感じられるので、「雑な仕事すんな!」という表現の方が適切なような気もします。別に正しく言葉を使って欲しいという意味ではなく、こういう言葉を受け取ったときの解釈としてはこちらの方が適切だろう、ということを言いたいだけです。言葉の解釈の違いで問題が発生したりすることもあるので、そういったことが避けられるならそうしたいですね。
両者の本質的な違い
「雑」は自分とそれを評価する誰かという2人以上の登場人物が存在して成り立つけど、「適当」は本人だけで成り立つという違いがあります。他にも、「雑」は評価ですが、「適当」は効率を指しているという違いもあります。両者は似たような言葉ですが、その本質は大きく異なるようです。とはいえ、別に意識しなくてもなんとなくこの言葉を使い分けている人がほとんどだと思いますので、問題になることも少ないとは思いますけどね。こうして言葉の違いについて考えてみるのも面白いものです。
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