
私は今まで「誰か」の奴隷だった
思えば私は、物心ついた時からずっと誰かの顔を伺っていました。親や友人との人間関係の構築は全て受身的で、「自分ことを好きな人が好き」というものでした。自分から誰かを好きになったことはほとんどなく、誰かが自分を好きだと言えば好きになり、嫌いだと言えば嫌いになるという性格の人間でした。子供から大人へと成長していく過程の中でもそれは変わることはなく、友人に限らず自分の進路や、自分のやりたいことも、その全ては誰かがすごいと思ってくれる、いいと思ってくれそうなものを計算して選んでいました。誰かが悦ぶことをしたいというような尊いものではなく、悪魔で自分がどう思われるかしか気にしていないような卑しい発想のものでした。私は他人がいなければ自分を肯定できない、他人に指示(支持)されなければ動くことのできない奴隷でした。
奴隷をやめようと思った最初のきっかけ
きっかけは社会人になりたての頃。会社の先輩に嫌われたことがきっかけでした。その先輩は社内でも権力ある人で、会社のお偉いさん方にも好かれているような人でした。誰かに嫌われているという事実だけでもつらいのに、その上そんな地位のある人から嫌われるなんて、私はどこまで出来の悪いクズなんだろうとその時の私は徹底的に自分を責めました。誰かに嫌われてしまうような自分には価値がないと考えていたんです。先輩は、ひょっとすると私のそういうところが嫌いだったのかもしれません。質問しても無視は普通、わざと私に仕事を回さなかったり、ほんのちょっとしたミスを槍玉に挙げて、会議の場で糾弾するようなこともよくありました。周りの人達も私と距離をとり始め、いつまにか会社のどこにも私がいていい場所などなくなっていました。やがて私は退職をするわけですが、その時には心身共にボロボロになっていてうつ病を発症していました。そして同時に「一体今まで自分はなにをやってたんだろう…」と、今までの「人に好かれるために、人に嫌われないための行動」をしてきた空しさと無意味さに気づき、自分の人生に初めて疑問を持ったのです。
自分が奴隷だったと自覚した時
嫌われる勇気という本を読み、自分の今まで送ってきた人生を客観視できた時でした。その本は、私の今までの生き方、人生の道程がまるでそのまま書かれているかのような内容で、それについて鋭い考察と指摘がたくさんのっていました。この本に出会うまでに7年くらいの歳月が流れているわけですが、その間もずっと苦痛の中でもがきながら生きていて自分の人生に絶望しているような時、ようやくその突破口が見えた、光が差込んだような感覚があったのを覚えています。そして強く思いました。私は変わらなきゃいけないと。精神科にも通いましたが全く効果もなく薬漬けになっただけでした。この病気は薬で治療することはできない、自分を変えない限り永遠に治らないと悟り、認知修正に取り組む決意をしました。
奴隷をどうやって止めたか
それは、「誰かにこびることをやめる」こと、そして、「誰かにこびないような行動をしようとした時に恐怖を感じなくなるための目的、考え方、価値観を身につける」こと、そして「自分のやるべきこと、やりたいことを全て自分の価値観だけで行えるようになる」ことでした。そしてそこには”他人の目”はもうありません。ひたすら”自分”しかいないのです。奴隷を止めるということは、自分を縛っていたあらゆる縛りから自由になるということであり、自由になるということは、孤独になるということでした。
私の場合、これを身につけるのに2年かかりました。アドラー心理学によるとアドラーの提唱する思想を完璧に身につけるには、今まで生きてきた時間の半分はかかるといわれており、認知の修正はすごく時間がかかるものです。私は日々の中で繰り返し自分の行動やそのときに感じた感情について分析し、自分のその行動の目的がどこから来るのかを観察して、そこに認知の歪みがあれば修正をするということを何度も繰り返しました。そうする内、うつ病の症状もそれに従って少しずつ軽くなっていきました。
哲学という考え方を身に着けた
認知修正を行うということは哲学をすることと同義でした。なぜ自分はこんなにもひどい頭痛を感じているんだろう?なぜこんなにも漠然と不安を感じているんだろう?日々の中で沸いてくる幾多の疑問とそれに対する回答、答え合わせを何度も繰り返しました。そうして自身のこと、意志、目的についてより深く理解できるようになったのです。哲学的思考は、今の自分にとって無くてはならないものになりました。
奴隷をやめることのできた今の私は、体もすっかり軽くなり、健やかに毎日を過ごすことができています。今では朝の少し冷たいけど気持ちのいい風を感じながらのんびりと通勤することができるようにもなりました。以前の私は体がガチガチに固まっていて、常にひどい頭痛と背痛に悩まされていたので、まるで別世界にいるかのようです。私にとってのうつ病の大きな原因の一つは自分の人生そのものにありました。別に誰かが悪いとか社会が悪いとかそういうことではなくて。自分の人生を生き辛くしているのは他でもない自分自身であったと、今では自信を持って言えます。もしうつ病でどうしようもなくなってつらいと思った時はきっと、変わらなければいけない時が来た、という事なんだと思います。時間はかかるかもしれませんが、変わるために少しでも何かをすればその分だけ前に進めます。この世から不幸な人が少しでも減って幸せになってくれることを祈っています。
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