雑記:人は”場所”を求めて生きている






2020年04月25日~:
現在メンタルヘルス系過去記事を順次全書き直し中です。
上記年月よりも古い記事は順次修正予定記事になります。

人目が気になるのは、相手が自分に対して考えていること、感じていることが自分の欲求を満たしているかどうかを確認しようとしているからである。

・よく見られたい

・悪く見られたくない

上記欲求からくる。この欲求をベースとして生きると大変だ。例えばこの私のように。下手をすれば10年間、精神的苦痛から来る背中と肩の痛みの苦痛に耐え、孤独に苦しむハメになるかもしれない。人間は見たいものを自分の都合のいいように見ようとしているだけにすぎないのだと思う。自分のことを悪くいっているのではないかと想像するのは、そうすることによって、自分が傷つくことかもしれない事態に備えるための心の事前準備だと思うし、逆に自分のことを好いてくれていると感じるのは、そう認識することによって今の自分がそこにいてもいいということを自分に納得させるためであると思う。

人は多分「場所」に依存する生き物だ。いや、人間に限らないかもしれない。そこにいていい、いるべきだと思う場所にこそ安らぎを感じ、それを維持しようとする。逆に苦痛を感じるのであれば別の場所を探す。「自殺」という生物の活動に矛盾するようなこの行動もこの場所への依存を考えれば説明がつくような気がする。自分が生きている世界に場所がないから、じゃあ死んだらその場所から離れることができるかもしれないと、あるいは別の自分の居るべき場所へいけるのかもしれないと考えるからではないかと。であれば人間は生きるために生きている訳ではなく、自分の場所を探し、その場所を維持し続けるために生きているのではないか。人にとって生きるのは目的ではなく場所を得るための”手段”でしかないのではないか。

恐らくこれは人間がこの世に誕生した頃からずっと変わっていない原則なのではないだろうか。人は太古の昔から自分達の生活をよりよくしようとその文明を発展させていった。時には戦争をして相手の物資や領土を奪ってでも。友人を作るのも、相手を憎んだり、殺しあったりするのも全ては自分という存在がそこにいるための物理的な、精神的な理由を求めてのものではないのだろうか。

日本は自殺率が高い国であるらしい。それだけ自分の場所を見つけられなかった人達がこの国には多いということだ。居ていい場所という考え方は他人の承認が必要だ。しかし他人はいつも自分にとって都合のいいように振舞うわけではない。いやむしろ、日常の他人の行動を見ていれば自分にとって利益的な行動をとる他人というのはほんの一握りしかいないだろう。日常で出会う多くの通りすがりの人達は大抵自分に無関心だ。他人が認めてくれているといってもその真意は定かではない。本当は認めていないのかもしれない。いくら考えてみたところでやっぱりそれはわからないし、他人の頭の中は覗けない・考えても無駄であることは少なくとも私はよく理解している。そういうやり方で自分の場所を探すのはやめるのだ。自分がいていい場所ではなく、自分がいるべき場所を自分で作り自分でそう認識する。それが今の私の生き方だ。



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元うつ病患者 (闘病歴10年)

約10年間のうつ病の体験と、独学で立ち直ったことや、実施した治療法について書いています。一人でも誰かの役に立つ情報になりますように… その他にも遊んだゲームの情報、世の中のおかしいと思うことなどについて考えたことを色々まとめています。

 

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