日本人の欠点は「自由思想」に乏しいことだ





以前、ネット上で”テレビのニュースを信じるやつは情弱” なんていう輩がよく見受けられたことを思い出した。特に犯罪や事件について、テレビのニュースは昔から偏向的で無駄に煽ったりやたらさも深刻そうに報道する傾向がある。そういうフィルターのかかった映像や音声などの情報は視聴者がどのように受け取るかと言えば、それはそのまま、過剰に色付けされた深刻が伝わって、「なんてひどいことなんだろう」と、多くの視聴者はそれについて自分の頭で考えることもないまま、その色づけたされたモノを鵜呑みにしてしまうのである。「テレビが言っていたんだから本当だよ」なんていう人も普通にいるのだ。

ネットDE真実

しかしそれは彼らテレビのニュース否定派も同じ。テレビのニュースは信じられないが、ネットのニュースは信じられるなどと言っていた。ネットDE真実なんて言葉もあるように、結局はテレビがネットに変わっただけであり、本質的に彼らは自分たちがバカにしている人達とほとんど変わっていないか、それ以上にひどい。少なくともテレビのニュースを見ている人達にネットのニュースを見ている人達をバカになんてしていないし、気にもしていない。

ニュースの蛇足的な情報

そもそも、ニュースは余計で不確かな情報が所々に付着していてみづらい。”殺人があった”、”被害者は誰だ”、”加害者は誰だ”、これらは99%真実だろうしニュースを伝える上では必要な情報だが、どのような状況下で実際にどんなやりとりがあったのか、その事件の背景は、どういう関係だったのかなど、それらを取り巻く状況や環境についての情報は、それを見聞きした記者や編集者のフィルターを通しているもので、実際のそれには遠い。100文は一見にしかずということわざもある通りで、実際の現場は自分の目で実際に見た時に受ける印象はきっと随分違うものであろうと私は考えている。特に実際のそれと乖離しやすいと思われるのは犯人の動機の情報で、例えば性犯罪などの動機は突き詰めていくと性処理目的や突発的なものというよりも、一種のゲームをクリアしていく感覚や達成感、社会的孤独感や不安からの深刻な悩みを起点するものなど様々なケースがあることが犯罪者の心理を研究する人達の成果によってわかってきている。「魔がさしてやった」とか、「つい出来心でやった」という理由を語った犯人が、心理学者との長い対話によってより深い分析をして、根本的な動機にたどりつく。しかしニュースはそういった踏み込んだ情報までは流すことはない。ニュースはその時に起きた瞬間的な情報を素早くまとめて発信することを生業としているから、結果的に上辺だけの情報をまとめ、だれもが対して考えるまでも無く納得するような情報に加工して、行為に及んだ加害者の不徳さやその行動や家族を糾弾するだけで、深いところ、本質に近づこうとはしない。お昼のワイドショーはひどいものだ。視聴者の感情を煽り、先導するかのようなニュースの構成は視聴者の考える機会を奪っているように見えるし、害悪だと思う。そういうニュースを求めている視聴者も。

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しかし多くの日本人がテレビなどのニュースの内容について疑うこともなく、盲目に信じてしまうこと自体は不思議なことではないように思う。日本人は生まれてからずっと誰かから”与えられる”ということに慣れすぎてしまっている。モノに溢れ豊かになればなるほど、人々は与えられることに何の疑いも持たなくなる。そういう心の隙が、与えられるの物は全て自分にとって都合の良いもの、正しいものであると錯覚させる。ニュースを配信しているテレビ局は利益目的であり、数字を取るためなら多少嘘であろうと平気で流すような人達なのに、まるで神の啓示とでもいわんばかりにそのニュースを信用してしまう。

過剰なサービス

日本には様々なサービスがあふれている。その一つ一つはあまりにも”過剰”だ。日本におけるサービスは競争力であって金銭的価値はなく、それをいくら強化したところでそこに金銭的価値が上がっていくことはないから、誰でも”平等に”その恩恵を受けることができてしまう。コンビニの店員だろうと旅館の女将だろうと一流ホテルのウェイターだろうと多少の品が違うくらいで皆一様に頭を下げこちらに尽くしてくる。そんな誰にでもいい顔をする過剰なサービスを提供する日本人の様子を海外の人の中には「嘘くさい」と指摘する人もいた。

そんな過剰なサービス、環境に慣れてしまっているからいつまでたっても”与えられる側”であり、その与えられるものが得られないと文句を言って騒ぎ立てる。赤ん坊と同じように。”与える側”に振り回し続けられ、支配され、搾取され続ける人生しか送ることができない。甘いミルクだろうとゲロマズな謎の液体だろうと、飲んで文句を言う以外にできることはない。

田舎的思考

日本人は無意識的に、全ての人間は自分と同じ思考、価値観をもっているとどこかで思っている節がある。「そんなの常識」「当たり前」「普通のこと」という言葉が平然と使われているが、それは自分が普通だと思っていることを他人も知っていて当たり前だという意識がなければ、このような言葉は出てこない。日本人は相手を”個人”として評するのではなく”日本人”として評する傾向がある。自分と近しい人間についてはそうは見ないが、遠くなれば遠くなるほど、日本人してどうなのか、人として相応しいのかについて上か下か、1か0かで評価しようとする。そんな極端な思考によって他者をいとも簡単に無価値であると決めつけるだけで、その人自身が一体どのような人物なのか、その本質を見ようとはしない。このような集団思考、同調圧力的思考をもつ特徴は、まさに田舎などの集落の人々がもつ価値観だ。日本人とは、自分と他人を切り離して考えることができない田舎者の集まりなのである。

日本人に文明社会は過ぎたもの

日本人の排他的かつ村社会的な思想は、文明社会のそれではない。戦後急激に豊かになったものの、人々の思想はむしろ昔より一層弱くなっている節すらある。私は文明社会とは単に物資的に豊かであることだとか、健全な社会や社会福祉の充実だとか、だれもが食べ物に困らず衣食住も安定していることだけを指していることだとは思っていない。それは心の豊かさであり、文明社会において多くの日本人にたりないのは自由という「思想」だ。

日本の自由思想はアメリカをはじめとした西洋の自由思想には遠く及ばない。日本人は何をするにも成功例や失敗例の前例を探し、それを後ろ盾して初めて行動するという傾向がある。”とにかくやってみる”、”何も考えずにチャレンジする”が全くできていない。

同じアジア圏で似たような価値観をもっていそうな中国ですらかなわない。中国から来た人と話したことは何回かある。一緒に仕事をしたこともある。彼らは自分に正直だ。割りに合わないことはしないし、仕事もきつくて割に合わないなら普通に辞める。共産党による情報統制化にいる中にいても日本人のように思想までは統制はされていない様子で、皆自分自身のアイデンティティを確立している。日本人のそれに比べればよっぽど孤独に強い。それも当然の話で、日本という外国に単身一人で来ているのだから強くなければそもそも成り立たない。日本に来るIT業界などで働く中国人は基本的には優秀と評される人が来ることが大半だろうが、それを差し引いても日本人と中国人との間には思想的違いを肌で感じる。

日本人は法律や規制によってしばるまでもなく、隣人同士でお互いの行動や振る舞いが”良い日本人”たるかどうかを常に監視し、それによって安全な治安を得た代わりに、お互いの自由思想を死滅させあってもいる。そういった抑圧された意志の反動が時に凶悪で哀れな事件を引き起こす要因になっている。今もなお記憶に新しい秋葉原の連続通り魔事件は、そんな日本の暗部がもたらした悲しい事件だ。

今の日本人はスカスカで中身がない。物事の本質を見ようともせず、考えることもせず、他者から与えられた情報をそのまま鵜呑みにして、ガス抜き程度に使っているだけだ。過去の栄光にすがって見栄をはり、自分のメンツを守るために他人を見下し、かといって自分には甘く成長の機会を拒み続け、この狭く息苦しい島国でそんな自分を振りかざし他人を蹴落としてまで如何に生き残るかだけを考えている。あるいは、そんな中で落ちこぼれた自分をなんとか保つために日々自分をごまかし続け不自由な人生を送っているのかもしれない。それが他人でも社会のせいでもなく、他でもない自分自身の手によって自分の首をゆっくりと締めあげていることに気づくこともなく。日本人が本当の文明社会を、自由を得るのいつなんだろうか。きっとそれはずっと先の話なんだろうと思う。少なくとも今の日本の社会はSNSによってなれ合いの方向へ動いていっているように見えるから。しかしそんな中でも個人レベルでなら今からでも変わっていくことは可能だと信じている。変わりたいという強い意志と、それを継続していくことさえできれば、いつの日かは変わることができるはずだ。そんな個人がたくさんふえれば、本当の自由を日本人は手にすることができるかもしれない。

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3 件のコメント

  • 日本は、永遠に変わる事は無理だろう。
    いくら、個人で変わってもまた、戻るだけなんだから無駄だと思う。
    どうせなら、そんな事諦めて、
    日本らしく、馬鹿で狂いながら生きた方言が良い。
    日本が変わるのは、滅びるか、
    危急存亡の秋になるかしか無い。
    無責任にはなりたくないので
    実名を残していく

    • コメントありがとうございます。
      確かにそうそう変わらないと思います。なにせ皆今までずっと縦社会で生きてきましたしね。いきなり個人主義で自由に生きろと言われてもそんなのわかんないし怖いよ、ということもわかります。
      でもまぁ、それでも一人一人変わっていく人が少しでも増えれば少しずつ変わっていくものだとも思います。社会って人間の集合体なので、それを構成している個人が一人でも変われば、微弱ですけど変化はあるとおもいますので。

  • 貧乏のバカも金持ちのバカも、バカはバカなんですよね。
    日本は金持ちのバカです。
    金は勿論大切です。貧困国は悲惨ですから。
    しかし、金だけあっても真の満足は得られません。
    日本の豊かさは、親に勝って貰った物に過ぎません。
    それを誇る事は出来ませんし、自信にもなりません。
    こういった問題を解決するには、考えの土台となる思想や理論が必要なのだと思います。米国でアーキテクチャに基づいて設計されたコンピュータが誕生したのは、米国人の考え方と無関係ではないと思います。
    コンピュータの本質は機械というよりも理論や思想です。だから重要なのはコンピュータを作る土台となる哲学や理論や思想の方です。日本人には脚色された文化しか見えず、文明が見えていません。絵にたとえると色彩豊かに濡れても、線画を他人に描いてもらう様なものです。
    もちろんそういう住み分けでより良い物を他国の人々と協力して作るのは良いです。しかし、それをするにしても自らの長所と短所を理解せねばなりません。
    日本文化は優れている部分もあると思いますが、それは枝葉でしかありません。
    日本には、数学や論理に基づいた理論や思想が必要です。
    思想が無いのが問題なのだと思います。
    思想を規格化して普及させる。それで社会を効率的に回す。そういう考えが無い。
    しかし、自分もそう嘆いておきながら大半の日本人と変わらない。たちの悪い事です。まるで地獄です。

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