レオナルド・ダ・ヴィンチはなぜ”万能人”たりえたのかを考えてみる





彼は一般的な教育を受けることなく育ったと記録されている。日本でいえば小学校や中学校に通うことはなく、自分の学びたいと思ったものを自発的に学んだらしいのである。彼は大勢の同じ年代の子供たちが同じ屋根の下で教育を受けている中、大自然の中で一人孤独に思考していたようだ。

少し話は変わるが、義務を根底とした教育には限界があると思う。義務とは、個人の純粋な欲求や行動目的とはそぐわないことであっても、社会的な強制力によって従うわなければならない事柄を指す。

だから教育を受ける側が自発的に何かを学びたいという欲求の元にそれらの教育を受けるケースは少ない。

大抵は親が6歳になった子供を小学校にいかせるような、教育を”受けさせる”というケースが多く、習慣だったり、世間体というような、教育を受けることによって何かを学ぶこと自体が目的というよりも、別の社会的評価を得ることを目的としていることの方が多いだろう。例えば小学校へ子供を通わせることによって常識的な親とその子供として社会から認識されるために、などだ。

受動的に何かを学ぶということは、他者より与えられる課題を愚直にこなすかどうかという範囲に限られる

誰も他人のやり方を真似すべきではない。なぜなら、真似をすれば自然の子供ではなく、自然の孫でしかない。我々には自然の形態がたくさん与えられているのだから、直接自然に触れることが大事だ。

– レオナルド・ダ・ヴィンチの名言集より –

そして、このような受動的教育を受けた多くの人々は”学ぶこと”、”教育”というものについて、強制的なもので窮屈で退屈なものであると認識してしまうだろう。

学力を測るためのテストの点数という数字によって自分自身の価値を計ろうとする人間もでてくる。常に他者と比べあるいは比べられ、そうすることでしか自分を成り立たすことができない。

そういった思考の中には必ず“勝者”と”敗者”が存在しており、たとえ友人同士であろうと、本人が意識しているしていないにかかわらず、水面下では常に”成績”による競争が繰り広げられている。

そもそもこういった教育の目的は大抵はそれを運営している国や大企業お偉いさんの都合によるところが大きく、企業にとって都合のいい労働者を量産することが目的にあって、個人の自由思想の教育なぞ気にもしていないようなものなんだろうけど…まぁそれはここでは置いといて。話を戻します。

自発的に学ぶということ

何についてどう学ぶのか、どのように学んでいくのかを自分で決められるし、本人が気が済むまで学ぶことができる。これは完全に本人次第だが、それこそレオナルドのように物の本質が見えるまで多種多様な学問を学ぶことにもなるだろう。

たとえそれが実際に達成できなかったにしても、それまでに学んだことが無駄になることはない。それを起点として新しいことを学び始めるきっかけにもなりえる。むしろ義務教育よりもずっと深く、全く異なる観点や切り口から学ぶこともできるはずだ。

夏休みの自由研究なんかは自発的に学ぶいい機会であると思う。学校によっては点数をつけることもあるらしいが、本来はつけられるようなものじゃない。そもそも“学ぶこと”自体計れるものなのだろうか。無理やりテストによる点数をつけてその人の学んだことを計ることができたとしても、それ自体に何の意味があるだろうか。それは本人のためになるのだろうか。私事だが、私は学んだことをいちいち他人に評価してもらうというシステムそのものが嫌いだ。あんなものなくなってしまえばいいのにとよく考える。義務教育そのものはいい。自分の全く知らない未知のことやいろんな分野の科目について知る機会になるし、先生から教えられて初めて気づくことだってたくさんある。世の中にいるいろんな人間とかかわるチャンスでもある。しかし、人と比べるようなシステムだけは嫌いだし邪魔だ。

義務教育では学ぶ課題も学び方もほぼ同じな上、授業で詰め込まれた知識をどれだけ覚えているかをテストによって数値化し、他の同じテストを受けた人間と比較する。大勢の未来の労働者の学力を計測し比較することで、企業の人材選別をやりやすくするために。

話が脱線してしまったのでまた戻して…

自発的な学びは孤独の中で行われる。実際レオナルドは特に幼少期の頃は孤独であったらしい。人間が最も自身の思考を研ぎ澄ますことができるのは孤独である時だ。むしろ孤独になると嫌でも思考せざるを得ない。ましてや、彼には旺盛な知的欲求があったようだから、思考しない理由などなかったのだろう。

学ぶということは本当は自由で面白いもののはずなのだ。遊びの一種と言ってもいい。他人に誇るようなものでもないし比べるようなものでもない。レオナルドは学ぶことにほとんど抵抗を感じてはいなかったはずで、ただ楽しんでいたはずである。そうでなければ医者の家庭の出身でもなかったレオナルドが誰に頼まれることもなく自らの手で死体解剖までして人体の内部構造を確かめたりするようなことはできなかったはずだ

画家は孤独でなければならない。なぜなら、一人なら完全に自分自身になることができるからだ。たった一人の道連れでもいれば、半分しか自分ではなくなる。

– レオナルド・ダ・ヴィンチの名言集より –

彼の目的と欲求

彼は世の中に存在するあらゆるものについて、その本質に迫ろうともしていたように思える。それは彼が”万能人”と言われるように、あらゆる分野に手を出していることからも読み取れる。彼は主に芸術的な側面で有名だが、他に科学、医学、軍事の分野など様々な点においても功績を残している。

時には数学的に、時には科学的に、時には美術的な観点から…多くの異なる観点から対象を観測することによってそれを成り立たせている”何か”を彼は見ようとしていたのではないのかと思う。それは当時の、いや、おそらく今生きている多くの人々にとってもどうでもいい、興味のない事柄だった。自分の脳がどのような仕組みで意識を作り出しているのかについて不思議には思っても真面目に考えて研究まで行うような人間はごく少数だろう。そういうことに本気で興味をもってその本質を見ようと取り組んだ彼はそういう意味で”普通の人”とは違っていた人だったに違いない。

多くの人にとって、教育を受けたり学んだり、知識を得る目的の多くは社会的な成功や、或いは競争社会の中で落ちこぼれないための武器を取得するというような、見返りを求めることなのが主であるとうことを考えると、彼の目的がモノの本質理解そのものであるということとは、まるで違うように見える

実際彼の成し遂げたことについて、多くの人々が”偉業”と認識していて、それによって彼が有名になっているあたりがそれを証明している。多くの人々は彼が生産した成果物とそれに対する世の中の評価、”結果”には興味を示しているが、その一方で彼の思考、何を考えていたのかなど、彼が生前どのような人物でどのような要素が彼を彼として成り立たせたのかなどについては興味を示す人は少ない。

彼の本質

彼に対する”万能人”という評価は、表面的な評価であると思う。多くの人々が彼自身ではなく彼の功績に対して、自分自身、または一般的な人間と比較して、到底不可能だと思われる、「あらゆる分野において成功を収めている」という表面的な結果に着目し、そこにわかりやすい言葉で”万能人”というラベルを貼っているにすぎない。

おそらく彼の本質は、義務教育のような受動的教育を受けず、自立的に育んだ型にはまらない思考を持っていたことと、物事の本質を理解しようとする強い知的欲求を持っていたということではないかと思う。

その本質によって彼は様々な行動し、あのような多種多様なものを生み出したのではないか。

時々、機会を見つけて外出しなさい。そしてリラックスしよう。外から帰ってくると、あなたの判断はより確かなものになります。いつも仕事にへばりついていると、あなたは、判断力を失ってしまいます。

– レオナルド・ダ・ヴィンチの名言集より –

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2 件のコメント

  • >私事だが、私は学んだことをいちいち他人に評価してもらうというシステムそのものが嫌いだ。あんなものなくなってしまえばいいのにとよく考える

    僕もそう思います…まぁ僕は今受験生だから特別その思いが強いのかもしれませんが……。

    なんか嫌ですよねぇ競争とか評価とか。まぁ、人間が社会で生きていく為にはしょうがないし、必要だと思って割り切るんですが………。

    • コメントありがとうございます。
      競争とかになると必ず敗者と勝者が出てきますもんね。その敗者になってしまった人がその烙印を背負って生きていくような人生を送ってしまったとしたら、それはすごく不幸なことです。多分個人ができることとしては、他人にどう評価されようと、どう見られようと、そんなことは気にせず信念を持って目標にむかって突き進んでいくしかないんだなぁと最近思います。
      他人はそう簡単に変えられるものでもありませんから、自分が変わっていった方がずっと早いですし、なにより確実ですもんね。

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