アドラー心理学をブログで実践して自分を変えよう! ブログで認知の歪みを正す






2020年04月25日~:
現在メンタルヘルス系過去記事を順次全書き直し中です。
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ブログは自分の考えを不特定多数の人達に聞いてもらえる手段としては非常に有用な手段です。

顔見知りや友人に自分の正直な意見を伝えても、相手は気を使って、本心を言ってくれない可能性がありますが、顔も見えずお互いのことも全くしらない人達からの意見はそういったことを気にするプロセスがほとんど存在しないのでストレートに現実身のある意見をもらえる可能性が高いです。

たとえそれが仮に中傷行為であったとしても、それも現実に存在するものの一つなのです。

他者貢献について学ぶことができる

自分は何を与えるのか。ブログを通じて、それについて学ぶことができます。

他者貢献についての理解が進むと、共同体感覚も身についていきます。

自分は社会という共同体の中の一個体であり、その点で全てのあらゆるものは平等である、いや、そもそも上か下かという概念そのものがないということに気づきます。

人間社会においては、各人にはそれぞれの役割があり、それによって今日の社会は運営されていることを知ると、もっと広い視点で様々なことを考えることができるようになります。

アドラー心理学では、共同体感覚を宇宙全体というスコープまでもつことができるとしています。全てのものはこの世界を構築している1要素でしかなく、しかしその要素1つ1つが集まって共同体を構築している、という感覚です。

他者と自分の境界線を学ぶことができる

自分の課題と他者の課題を明確に線引きすることについて学ぶことができます。

他者の考えている事、対象や、その詳細な思考プロセスに至るまで自分の想像以上に違うことを実感できます。

自分が投稿した記事を自分が期待した解釈とは違う解釈されたりすることはよくあります。むしろ、自分の期待した解釈と全く同じ解釈をする他者というのはおそらく存在しません。

そしてそこに、他者と自分の課題の境界線のヒントが隠されています。

例えば先程述べた、「自分が投稿した記事を自分が期待した解釈とは違う解釈されたりすることはよくあります」ですが、これ、実はミスリードです。

自分が想定した解釈をしてくれることを他者にに求めてしまうということは、自分と他者の課題の境界線が曖昧であることを証明しているのです

実際に他者がどう解釈するかは他者の課題であり、そこを自分の課題としてはいけないのです。自分の課題は記事を書いて誰かに伝えるところまでというのが正しい。

そういった”認知の歪み”一つ一つに気づいていくことで、自分の課題と他者の課題の線引きが正しくできるようになっていきます。

自由と引き換えの”代償”についても学べる

自分の思っていること、考えていることを自分の思うがままに伝えることで、相手から返ってくる反応の中には自分やその内容に対する激しい糾弾だったり、人格否定であるような内容だったりすることがあります。

そういった他者から返ってくる様々な反応を通じて、ある事実が見えてきます。

それは、自由とは”責任”であり、孤独であるということ。人は他者のことを本質的に理解することができない以上、自身の想像の範疇でしか相手の思考を描くことができないということを知ります。

余談ですがニーチェの「こちらが深淵をのぞく時、深淵もまたこちらをのぞいているのだ」はこれを意味しているのではないかと思うのです。

相手に悪意があるのではないかと相手の心の中を覗き見ようとした時、それは自分の中に存在する悪意を覗いているのと同じであると。

自分を真に理解し、肯定することができるのはこの世で自分一人だけなのです。逆に言えば自分を本質的に否定できるのも自分しかいないのです。

人に好かれることばかりを考えて行動していた頃の私は、人に嫌われることを非常に恐れていました。

他者の承認を求め、それによって私自身の正しさを証明しようとしていたのです。

それは周りと違うということで爪弾きにされるのではないかという、孤独を恐れていたということでした。

私は今までずっと、誰かの奴隷であったことに気づいたのです。

これを知ることによって人の付き合い方が変わり、無駄な付き合いが減っていきました。

良好な関係を築くことが難しいのであればきっぱり切り捨てることも大事であることを知りました。

それが自分がその他者に与えられるものとしても、自分にとっても最も効率的かつ生産的な手段であると考えているからです。

もう少し具体的な話をしますと、例えば仕事では無駄な残業は全くしなくなりましたし、それを強要してくる人がいるならまずは自分の考えを相手に伝えて、必要であれば話し合いをするようになりました。

それでも向こうがそれをやめず、無理やりやりこめようとしてくるなら、会社として全体的にそのような空気が漂っていて自分が邪魔ものであるというなら、この会社とは縁がなかったということで退職を切り出すなど、個人の人間としての決断力も上がったように思います。

自分の課題はここまで。他者の課題には踏み込まず、それぞれの要因は交渉の判断材料である。

自分の課題と相手の課題の相性がマッチしていればお互いにいい関係を築くことができるので存続する努力をする、しかし反対にほとんどマッチしないのであれば縁がなかったとして切り捨てる。

嫌われることを恐れていた頃の自分ではできなかったことです。

自由とは他者の趣向に関係なく自分の考えていることを率直に表現すること以外に、それによって他者から嫌われるということを受け入れることでもある、ということを知ることになります。

このように、現実を正しく理解することで周囲の意識や常識などを意識した、まわりがそう言うから、そうするから自分もそうする、という思考から脱却し、自分の頭で考え、自立した行動をとることができるようになっていきます

ブログを通じて自分の考えを他者に伝え、それによって他者と正直にぶつかり合うことで自身の認知のゆがみを正していくのです。

ブログは書いた文章がそのまま残るので後で再考することもできますし、分析のソースとしても非常に活用しやすいのです。

最後に

言葉で説明するだけでは全ては伝わらないでしょう。人には様々な解釈やそれに先立つ目的があり、先程も述べました通り、私の伝えたいことをどう解釈するかは読み手の方次第。

それは逆に言えば、記事を書いた私の意志やその記事の意図を、読み手の方が本質的に理解することは不可能であるということでもあります。

結局のところ、人間が他者にできる「与えること」とは信号やビーコンのような、”点”のようなものでしかないということなんですね。

信号と違うのは、バリエーションやパターンの複雑さくらいだと思います。

では、本質的にそれについてしっかり学ぶにはどうすればいいのかといえば、それは自分でやってみる以外にはないんです。自分の正直な考えをぶつけていく以外には。

ブログ以外にもいろいろな方法があるので手段はなんでもいいでしょうが、ブログはそれらの手段の中でも非常に使い勝手がいいのでおすすめしています。

自分でやってみて、経験して、それを実際に自分がどう受け止めるか。どう解釈するのか。そうやって本物の経験を積み重ねていくこと以外に理解すること、本質を学ぶことはできません。

苦痛を伴うこともあるでしょうが、それはきっと自分にとって大きな糧となるはずです。痛みを伴う経験は必ず人生の経験値として蓄積されていくでしょう。

その積み重ねをもって、自分は何をするべきかが見えてきたら、それが自分の人生の新たなスタート地点になります。

思えば私の人生は、約1年前から、いや、ひょっとするとほんの数カ月前から始まったのだと、今ではそう思います。



アドラーの心理学を論理的に実践

アドラー心理学は実践が難しいとされる心理学だといわれています。

管理人が実際にアドラーの教えをもとに実践した内容の記事を残しております。

孤独 認知論
私の「甘え」うつ病治療


私のうつ病の主原因は「甘え」だった。甘美に感じられた「甘え」が私を苦しめていました。

そんな私が自分の甘えから脱し、

精神の安定、自由をつかむためにやったことをまとめています。


孤独 認知論
承認欲求を捨てよう


承認欲求を捨てて「自分の人生」を生きよう


孤独 認知論
人間孤独論


「人は生まれた頃から死ぬ時まで孤独である」

それを論理的に考える記事です。


孤独 認知論
ゲーム系


遊んだゲームのレビュー、攻略情報などなど


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自己紹介

Name : Elepan

元うつ病患者 (闘病歴10年)

約10年間のうつ病の体験と、独学で立ち直ったことや、実施した治療法について書いています。一人でも誰かの役に立つ情報になりますように… その他にも遊んだゲームの情報、世の中のおかしいと思うことなどについて考えたことを色々まとめています。

 

3 件のコメント

  • 離婚から鬱になり孤独です。金は困っていません、が人恋しいです。アドラーの言葉で人は孤独で自由の言葉に少し救われました、皆、考えは違いますからね、また承認欲求を下げることも勉強になりました。抗うつ剤に頼りながらですが人に貢献し喜んでもらえるように努力します、勉強になりました。

    • おおそれは…大変おつらかったでしょうね…私は経験がないのでどこまで共感できるかはわかりませんが、喪失感のつらさは私も当時よく感じておりました
      アドラーは全ての行動には自分がどう意味づけをしているかによるとも言ってましたので、まさにおっしゃる通りで孤独でもそうでなくとも、それをどう定義するかは自分次第なんですよね。
      ヤタガラスさんが幸福に生きられることを願います!

  • 返信ありがとうございます。トラウマを否定されていますが医学が進歩しトラウマの影響がわかってきました。私は広場恐怖でしたが自身で治療を行い効果を実感しています、カラオケも歌えるようになりました。歌を覚え歌うことが少しの楽しみになりました。

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