働き方改革とか以前に、日本人一人一人が変わらなければならないと思うこと




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2020年04月25日~:
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どうも@えるぱんです

「自分の感じている感覚や考えている」ことは、「他人も同様に感じている、考えている」と考える人は割とよくいると思います。それも無意識の内に。こういう意識がもたらす問題は、必要なコミュニケーションを不足させてしまうことであると思います。

例えば、「言わなくてもわかるだろ」と、他者に察してくれることを期待することがその一例ですね。

本人におそらく悪気はないんだろうと思います。自分の考えていることを他者もわかっていて当然であるという思考が前提にあるからです。普通のことだと思っている。自分の要求に他者がこたえることができるのはごく普通のことであると考えていて、無理な催促をしているという自覚がない。

 

でも実際のところはそれは勘違いです。それでうまくいったとしても、それはたまたまです。実際に言葉で伝えてもうまく伝わらないことだってあるくらいです。

「言葉に出さなくても相手はわかってくれる」日本ではそういう文化が根強くてそれを美徳にしているところもありますが、それは昔の価値観が画一的なものだったからある程度通用しただけで、昔より価値観が複雑化した現代社会において、これほど危険な考え方はないと思います。

意志伝達がうまくいかなければ、まったく見当違いの解釈をされかねないことはよくあります。特に日本人は“無駄にクソ真面目”なので、それを期待される側はわかるはずもない相手の意志を聞きもせず無理やり解釈しようとあれこれ想像を巡らせて、なんとか取り繕おうとします。しかしその結果は無駄な”仕事”が発生し、ただコストだけが蓄積されていくだけということが多いです。非生産的にもほどがあります。ナンセンスです。

他者というものを、自分にとって都合のいい、自分の思い込みという非常に狭い価値観で解釈しているのです。誤った人間関係の構築の仕方だと思います。人と人は考えていることも感じていることもその時々の目的も全て違うから、自分が納得しているあらゆる法則が相手にも通じるとは限らない。自分にとっての”常識”が、他者にとっては常識ではないことはたくさんあります。

 

“周りと違うこと”をすることを恐れるのはなぜか?

日本人というのは、”人間として正しいある一定の基準”に自分を当てはめ、自分は”普通”なのか”異常”なのかを常に気にしているところがあります。

つまり、自分という存在を肯定するための担保を自分以外の外部の概念か何かに委託している。いわゆる、他者承認というものです。

よく海外の有名人が日本に遊びに来た時、報道人から「日本はどうですか?」とか「日本のことは好きですか?」とか、「日本で一番好きな場所はどこですか?」とか、自分達の所属する国を外からきた誰かに承認してもらうための質問が目立ちますよね。

実際のところ、多くの日本人たちはそういうものが好きなようで、日本に来た海外の観光客が日本のいいところを褒めちぎる番組がウケていたりします。

私としては、自分たちがどう思われているかよりも、その人が一体どういう人なのかを知る方がずっと面白そうだし、どんな考え方を持っているのかを知った方がずっと有意義だと思うのですがね。自分の知らない価値観に触れることで、新しい発見があることはよくあることです。

 

他に別の事象として、前述の基準からはみ出したことをやっている人、つまり、人と違うことをしている人を鬼の首でもとったかのように晒上げてマウントを取るタイプの人達もよくネット上でみかけます。

これらのことに共通して言えるのは、非生産的で何も生み出されないということ。何も成長しないということ。今現在の自分を価値ある人間であると他の誰かに承認、または別の何かと自分を比べて、自分は価値があると承認しようとしているだけで、変わることを避けるためのただの質の悪いなれ合いでしかありません。

この馴れ合いの怖いところは、新しい物がうまれにくいという点です。エンターテイメントの世界でも前世代の人間がやったことの後追いが目立ちますし、人と違うことを心理的にできる人自体が少ないから新しいものが生まれにくくなるのではないでしょうか?

どう考えても不可能な”思想統合”をガチでやろうとする国民性

そもそも日本人というものは、やはり“無駄にクソ真面目”にすぎるのか、実現不可能な”思想統合”をどうにか実現しようと、個人レベルで今日もがむしゃらに無駄にがんばっています。

ここで私が言っている思想統合というのは、ある一定の価値観、基準を自分の意志に関係なく、周りがそう言うから、社会がそう求めているからという幻影を担保に自身をそれに習わせようとする心の動きのことです。同調圧力、島国根性というやつですね。”社会人”なんて言葉があるのも、そのわかりやすい一例だと思います。

 

なぜこんな画一的な型にはめたような人間像を、他者や自分に求めるのでしょうか?”社会人”だけでなく、日本人は他にもいろんな”型”に人を当てはめて行動、考えようとするクセがあります。子供には”子供らしさ”を求めますし、その中から大人のような振る舞いをする子供が現れると、とたんに気持ち悪いだの、子供らしくないだのと騒ぎ立てたりする。

寺田心くんとかに対する反応なんかはそのいい例ですよね。人を“個人”としてではなく、”子供”とか”大人”とか、カテゴライズしたステレオタイプな対象として見ているいわゆる差別というやつに良く似ています

それは本当に生産的な活動か?

例えばプログラマーであれば、彼らに本当に必要なことが”社会人”というガチガチに型にはめた人間性なのでしょうか?プログラムを書いたり設計書を作ったりすることに必要でしょうか?SEが行う、顧客との会議の中で何より重要な役割は、明確な仕様の策定と、それに対する顧客との双方の合意をとることです。そしてそれは全てお金を稼ぐためというシンプルな目的のための行動です。

しかしたとえ専門職であっても共通して、多くの会社では研修と称して”社会人”という形をまずは新入社員に叩きこもうとしますし、会社によってはほとんど洗脳に近いことをやったりしています。しかし、それは本当に多くの時間とコストをかけてまでやるらせるべきことなのでしょうか?その時間を一部でも実業務時間に充てることができれば、OJTを駆使して早く育てることもできるし、もっと早い段階から戦力として期待できるようになります。

どういうわけかマニュアル化をやたら嫌いますし、分業化もせず、専門職の部署の新入社員でさえ新人だからという理由で電話当番をやらせるということが一般的な一種の習慣になっていたりします。効率を考えたらそれぞれの専門性を生かしてそれに特化した仕事を与えた方がよっぽど効率的だと思うのですが。

そういう考え方は人事にも反映されていて、本当に欲しい人材がどんなスキルをもった人なのかを見えにくくしている側面もあります。それとも、なんでもできるスーパーマンでも求めているんでしょうかね。そんな人探す方がずっと大変だと思うのですが。

もちろん、現状の社会がそういう人間像をもとめてしまっているがために、会社がらみの都合などで、業務上の理由からやらざるを得ないというケースもあると思いますし、それを考慮して行動する必要があるという理由があるならそれもまた合理ではありますが、それではずっとその”無駄”は解消されていきませんし、昔のような画一的な価値観ではなくなってなおその加速が予想される現在では、そんなことを続けていては時代に取り残されていくだけで、むしろ時間の無駄でしかないと思うのです。

日本人の”無駄な仕事”は単純な業務内容の中に内在しているものというものだけではなくて、もっと根幹的な、考え方や価値観の部分から既に存在していて、探してみれば他にもいくらでも出てくるでしょう。考え方の根本がそれなのだから、世界に置いていかれても不思議ではありません。

働き方改革が宣言されて久しいですが、それを達成するには、もっと合理性や効率を考えられるように日本人の一人一人の意識や考え方の根底、価値観から変えていく必要があると感じています。他人と一緒じゃなきゃ不安だなんて言っている場合じゃない。自分で考える力を身に着けていかなければならない。くだらない研修に時間を使うくらいなら、合理的思考を身に着けるための勉強を行うことの方がよっぽど急務だと思います。

政府主導のこの政策はある程度の効果を示すでしょうが、それだけでは根幹的解決には至らないと思います。うつ病治療で例えれば、薬物治療をしている状態とほとんどかわらない。根幹的な治療は当の本人が変わる以外にありません。

常にどこか他人事

日本人はこういう社会的な問題についてどこか他人ごとのようにとらえているところもあります。よく総理大臣なんかをやり玉に挙げて、社会問題の責任追及を激しく糾弾している様子がネット上でも現実でもよく見受けられますけど、当の自分たちだってその社会を構成している個であり、その個があつまってできたものが社会です。問題はその社会から発生しているというのに、自分たちがその問題に多からず少なからず関わっているという風には考えていないように見えます。

当事者意識がなければいつまでたっても変わっていかないんです。自分たち一人一人が、常により良い方向へと変わってくという意識をもって、行動していかないと社会はいつまでたっても変わっていかない。

おそらく日本の官僚主義的な価値観も影響しているのでしょう。自分が良ければ周りはどうでもいいという価値観もまだまだ根強いですしね。でも全員がそう考え始めたら資源の取り合いになって何も生み出されません。

私は、こうやって自分の考えを発信する以外にも、仕事であれば残業はせずきっちり定時で帰宅するとか、対顧客に対してもやった仕事に対するお金は請求するとか、それが無理ならそもそも仕事を断るとか、まるで合理性のない仕事ばかり強要してくる会社とかでは働かないとか、そういう既存価値観の”悪習”には加担しないということもしています。

他にもより良い情報を発信していけるように毎日興味をもった書籍を読んだり、毎日見識を広げるために日々自分が誰かのためにできることは何かを考えながら日々行動しています。

明日からでも始められるような身近なところから一人一人が少しずつ変えていけば、やがてそれは社会におけるごく普通のことになっていくはず。そうやって少しづつ社会を変化させていくことができると思います。誰かがなんとかしてくれるではなくて、自分たち一人一人がなんとかするのです。



アドラーの心理学を論理的に実践

アドラー心理学は実践が難しいとされる心理学だといわれています。

管理人が実際にアドラーの教えをもとに実践した内容の記事を残しております。

孤独 認知論
私の「甘え」うつ病治療


私のうつ病の主原因は「甘え」だった。甘美に感じられた「甘え」が私を苦しめていました。

そんな私が自分の甘えから脱し、

精神の安定、自由をつかむためにやったことをまとめています。


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承認欲求を捨てて「自分の人生」を生きよう


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「人は生まれた頃から死ぬ時まで孤独である」

それを論理的に考える記事です。


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遊んだゲームのレビュー、攻略情報などなど


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自己紹介

Name : Elepan

元うつ病患者 (闘病歴10年)

約10年間のうつ病の体験と、独学で立ち直ったことや、実施した治療法について書いています。一人でも誰かの役に立つ情報になりますように… その他にも遊んだゲームの情報、世の中のおかしいと思うことなどについて考えたことを色々まとめています。

 

1 個のコメント

  • 私達現代人はネットがあり便利になりました。昔見たいに動かなくても幾らでも情報や知識だけは得られますが20年前では考えられません。だから運動不足で糖尿病やネット中毒、精神障害者、うつ病等も増えました。現代人はネットの見過ぎです。だから行動力や経験、体験が足りないのです。ネットが無くなれば分かる事です。何もしなさ過ぎるのです。だから偉人や天才と言われた人から何を学んでいるのだろう。人は夢や希望の為に行動に移して努力をしなければならない。現代人は経験、体験、行動力を軽視したから何も得られないうえに何も変われないのだ。

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