承認欲求は、なくせる




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2020年04月25日~:
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承認欲求は失くすことができるものです。人間の本質的な本能ではありません。ただの洗脳です。

承認欲求とは

他者に自分の存在や、自分のしたことについて肯定的評価、承認を得ることによって、自身は価値ある存在であると実感しようとする欲求です。

巷では人間がもつ普通の欲求、感覚だと説明されていますが、私はそうは思っていません承認欲求は先天的なものではなく、後天的に得た価値観であると考えています。つまり承認欲求とは一生涯付き合う必要はなく、望むなら今後付き合いを絶つこともできるものなのです。

承認欲求を求める人の心理

「親」の許しを求めている

承認欲求を持つ人は、心理的に「親」の許しを求めています。「親」というのは具体的な血のつながりのある親というよりはもっと抽象的な、自分のことを見守ってくれる、あるいは、自分のことを認めてくれる第三者的存在です。

人は生きているその環境に適していくために幼い頃より人格や思想を少しづつ構築していきますが、その時に最も多くの時間と深い関係を築く存在である「母親」から受けたその教育の形によって、自身の価値観を他者に依存しようとするようになります。

おそらくこれは機能不全家族、アダルトチルドレンと呼ばれる育ち方をした人にこの傾向が強いのではないかと思います。

アダルトチルドレンの親は、条件付き愛情という、子供の存在をありのままに愛するのではなく、親が提示した特定の条件を満たした場合にのみ子供を愛するという方法をとり教育に反映します。

そういった環境の中で育った子供は親の期待に応えるために行動するようになり、[親が自分をほめてくれた = 自分は愛されている] と認知します。逆に言えば、[親がほめてくれなかった、親に叱られた = 自分は愛されていない] と考えるようにもなってしまいます。

このような環境で育った子供は、いつまでもありのままの自分を愛するということについて学ぶことができず、自分自身を肯定する能力が養われないままに成長し、大人になっても子供の頃と同じように他者からの承認を求めて行動します。人間関係の構築方法の基本がそれなので、親以外の他人に対しても同じような関わり方をしてしまい、他人に「親」の代わりを求めます。これが承認欲求を求める人の心理の正体です。

自由への道は”「毒親」からの解放” と “「大人」への成長”である

承認欲求をもつことのデメリット

一生誰かの思惑に囚われ続ける

承認欲求を満たすにはそれを満たしてくれる他者の存在が不可欠です。しかし他者は他者で自分の都合があるので、他者が自分を肯定するかどうかは他者の問題であり、自分ではどうすることもできないことです。

さらにその肯定の度合いも人によって様々です。心から尊敬の意を表して肯定してくれる人もいれば、何気なく「いいね」というくらいで、数秒後には忘れている程度のものもあるでしょう。あるいは相手のことを思って正直な意見を言わずに嘘をついているのかもしれません。

相手がどう思っているかを考えてもその答えが出ることは永遠にありません。しかし承認欲求を求めてしまっている場合はこのわかるはずのない問題をなんとか理解しようとあれこれ考え事をしてしまい、場合によっては自身の精神を病む原因にもなってしまうこともあるのです。

承認欲求を打ち消す方法

まずは「今のありのままの自分」を肯定すること

自分のことに少しでも欠点や劣等感があると感じているなら、いますぐそれをやめることです。他者になんと言われようと思われようと、それが自分という存在の是非をはかったり決めたりすることができるものではありません。

そもそも相手は自分のことを本当に”理解”して何かを言ったり行動しているわけではなく、相手は自分のことを相手がその時の自分の都合に合わせて、見たいように”解釈”しているだけに過ぎない。ポジティブにみようとしたり、ネガティブにみようとしたり、相手の都合次第なわけです

赤という色を何の色だと思うかと聞かれて、リンゴの赤い皮の色だったり、血の色だったりと解釈したり、魅力的な人間の定義もその時代と人によって変わります。今と違って昔は太った人がモていたりしました。あらゆる事象、物事の価値観、解釈は、それを行う人間の“解釈したいの目的”によっていくらでも変わります。不確定なのです。

自分と他者は”違う”ことを認める

この世に真の”正しいこと”も”間違いであること”も存在しません。そう”言われている”ことは、多くの他人が決めた、あるいはただそう思っているというだけの思考概念の集合体でしかない。

もし本当の正しさや間違いがあるなら、それは自分の中にしかありません。人それぞれがそれぞれの正しさと間違いをもっており、時として食い違うこともありますが、これは極めて自然な現象の一部です。人と人の価値観が違うことはごく当たり前の自然法則的な事象なのです。

自分で人生を選択する

だから、ある他者との人間関係の問題において、その他者と付き合うのか、付き合わないのか、どう付き合うのか、それを自分で選び、決めればいいのです。

付き合わない、切り捨てるという選択をしたとしても、それに罪悪感を感じる必要はありません。自分が前に進むために、付き合う人間を自分で選びましょう

それは親でさえも全てそうなんです。親だからとかそんなものは関係ありません。親を見捨てるなんてなんてやつだ、悪だと責める人もでてくるでしょうが、それは世間や他人の正義であって、自分の正義であるかどうかは自分次第だからです。

親は親である以前にあなたと同じ人間なのですよ。だから周りや世間が、常識がどうこうだからと、自分の意志をまげてまでそれらの基準に合わせようとするのではなく、自分の純粋な意志でその相手とどう付き合うかどうかを選ぶのです。

そうすることによって自分の意志で選択したという事実とそれによって得られた結果が確固たる自分の意志の元に行った事として経験値へと還元され、自身を肯定するための蓄えになっていきます。

被害妄想をしないこと

承認欲求の応用版とでもいいましょうか、相手は自分のことを悪く思っているに違いない、変だと思っている、ブサイクだと思っているに違いない、自分を責めているように感じる、というような、わかりもしない相手の頭の中やその意図を妄想し、そうやって作り上げた妄想の産物である”相手”を頭の中に作り上げ被害妄想を繰り広げてしまうことをやめることです。これはその真逆の妄想にも全く同じことが言えますね。

これも他者がそう思考していることを前提として、相手を責める、あるいは自分を責めるための口実を作り出すために行っていだけでしかなく、妄想の範疇をでません。

少しでもこのような思考をしている気配を自分の意識の中で察知したらすぐにやめるようにしましょう。ただ精神をすり減らすだけの愚かな行為でしかなく、それを向けられた他者にとってもただの不利益にしかならないことが多いので何の特にもなりません。

「嫌われたくない」は”歪んだ完璧主義者”の証拠だよ

承認欲求なんてなくても、楽しく生きていけるんだよ

今の私に承認欲求はほぼありません。今は、自分に与えられるのは何かだけを考えて日々行動しています。

以前の承認欲求を渇望していた自分と今の自分は完全に別人です。2回目の人生を生きていると言ってもいい。こうしてブログに自分の考えを書くこともできなかったと思います。他人からの批判を極端に恐れていましたからね。人間は変わろうと思えば変わることできる生き物なのです。

孤独というものを最初は寂しいと考えていていましたが、今では孤独の中で安堵している状態ほど心地のいい状態は無いと思っています。

人は孤独でいるとき、最も自分らしく、自分と向き合う機会を得ることができます。孤独はまるでデメリットの塊のように意識されがちですが、物事には全て2面性があり、必ずメリットも存在しています。デメリットばかりを見て欝になる必要は全然ないんですよね。

承認欲求を求めない生き方というのは、本当に自由な生き方です。なにせ人に見下されようと、叱られようと、褒められようと自分の行動を変える必要がないのです。自分に中にある確かな”芯”を感じながら驚くほどの確信をもって前へと前進していくことのできるこの解放感、現実感、そして何かをやり遂げたときの格別な達成感。これほどの感覚は、承認欲求を求めていては手にできるものではありません。

これからの日本のためにも

他者の承認を求める思考は幼年時代から他者とのかかわりの中で長い年月経て構築された“洗脳”によってもたらされた価値観です

その大きな要因を占めているのは、これは私の考えですが、日本の義務教育にあると思っています。親もその義務教育を受けているので、より根本的な要因はそこにあると思っています。

日本の教育の根幹って、“人に褒められることをしよう”なんですよ。”自分がしたいことをしよう”じゃないんです。国の教育観念のレベルから既にゆがんでいるんです。他人が褒めるかどうかは他者の課題なのですから。

そもそも日本で言うところの「褒める」っていう行為は対等じゃないんです。褒めることをするのは、褒められる対象よりも立場が上なんです。幼い頃からこういう縦の人間関係で人との関わり方の基礎を学ぶのが多くの日本人なのですよね。

だから日本人は不満や納得できないことがあっても常に目上の意見に従うことが当たり前になっていて、教育レベルで自分の人生を自分で選ぶことが難しく、人に管理される人生を望み、敷かれたレールの上の人生を歩んでいくことになっていく訳です。

人に褒められるためだけじゃもう”回っていかない”

昔はそれでよかったのかもしれません。しかし現代社会は、それではもう上手く回っていっていません。人々の価値観が多様化して、権力を持つ人々が管理ができなくなってきているからです。今までの日本の価値観は1つの画一的な形に収束されていたので承認欲求を元にした一元的な管理がうまくいっていたのでしょうが、ネットが普及し始めて海外の文化や考え方をしることができるようになってから自分の国の文化に疑問を感じたり、人によって承認欲を満たすツボが違ってきてそういった一元的な管理は非常に難しいものになってしまった。

経済も人々の本当に欲しいものを作り出すことができなくなってきて、景気は悪くなり、会社が個人を守ってくれる家族社会が崩壊して、てめぇのケツはてめぇでふけの個人社会にシフトしたのです。

「人に褒められることをする」は今の時代の価値観には既に合っていないのです。会社にいくら尽くしても、その会社が世の中に必要とされていないのならいくら頑張っても意味がないのです。

会社に尽くすとかそういった縦社会の時代は既に終わりの兆しを見せていて、これからはもっと横のつながりが重視される社会になっていくんじゃないかと思います。そのためにも、自分が周りにどう思われているのかではなくて、自分は他者や周り、社会に何ができるのかを考えて生きていくことが、これからの人達には必要な考え方だと思うのです。

承認欲求を求めようとする価値観は絶対ではなく、単なる洗脳です。だからそれは解くことができるものなのです。

自分が本当に変わりたいと考え、そのために行動し続ければいつかは変わることができるかと思います。当ブログではそれについて自身の経験を活かし、その方法などについてうつ病治療哲学のカテゴリにまとめております。よろしければご参考にしていただければと思います。

自由を”幸福に謳歌する”ための認知論



自己紹介

Name : Elepan

元うつ病患者 (闘病歴10年)

約10年間のうつ病の体験と、独学で立ち直ったことや、実施した治療法について書いています。一人でも誰かの役に立つ情報になりますように… その他にも遊んだゲームの情報、世の中のおかしいと思うことなどについて考えたことを色々まとめています。

 

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