自分を愛する方法






2020年04月25日~:
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他者は自分に対して本質的に無関心であることを知る

他者は自分に対して本質的に無関心である。こう聞くと、ネガティブなイメージを持つ人は割といると思いますが、実際のところはこれが現実の世界です。では、そんな世界は変わるべきであるというような話をしたいかというと、そういうわけではありません。むしろこれを普通のことであることとして受け入れようという話です。もう一度言いますが、この無関心こそが、現実、リアルなのです。そうすることで、自分自身を愛する上で邪魔になっている楔を断ち切ることが出来るかと思います。

誰もあなたのことを見ていないし、見張ってもいないし、面倒もみない

人が本質的に関心があるのは自分だけです。それは子供に対する親の気持ちであっても同じです。親が子を気に掛けるのは例えば”親の思い描く幸せ”に子供がなることや、子供が生きてくれてることが親の幸せに繋がっているからであり、それに関心がなければ親はせいぜい親としての社会的責任を最低限果たすだけでしょう。場合によっては気に食わなければ虐待をするということもあるのかもしれません。親が子を監視するのも、監視することによって親が欲しい何かを得ているわけです。子を監視することによって安堵感を得たいとか、子に必要とされていることを確認するため、などです。

つきつめて考えていけば人間がやることの全ては自分のためでしかありません。社会貢献という利他的な活動も、心理的な本質はやはりその活動者である本人のためであり、そうすることによって自分がいたいと思う場所を作っているわけです。

他者とは愛や倫理観などを無視して非常に乱暴な言い方をすれば、究極的には自身の目的を達成するための道具でしかないわけです。自身が生きる上で自分の様々な小さな目的から大きな目的にいたる全ての目的の達成手段の一つに他者の存在があるというだけです。しかし人間一人一人の行動が他の人間にとって得する事であったり何かを与えるいいことであったりします。お互いに与え、同時にもらいあってもいる。人間はこのような共存、協力関係によって社会を構築しているわけです。

例えばある独り身の孤独に悩んでいて、それを紛らわしたいという人がいたとします。その人は、恋人やパートナーが欲しいと思いました。しかし、「いや、でも人間は色々と面倒だしな」と、ペットを飼うという別の手段で孤独をいやすことにしました。
とまぁ簡潔に書きましたが、このように目的である「孤独を紛らわす」ために”他者と関係をもつ”か、”ペットを飼う”ということがらを”手段”として取捨選択しているわけです。こういう何かを選択するケースは他にも日常生活のあちらこちらでも存在しているごく当たり前の光景だと思います。

この無意識的な選定の行為の中に人の他者に対する無関心さがあります。選ばなかった方はその人にとってはどうでもいいものになってしまうでしょう。人は自身の目的達成のために行動するのであって、他者の目的達成のために行動しているわけではないのです。

他者に好かれる必要は全くない

例えば人が人を好きになるのは、前述と同じようにその好きになった人がそれによってなんらかの目的を達成しようとしているだけです。反対に他者を嫌いになったり、逆に全く関心がないのも同じくなんらかの目的を達成しようとしているか、そもそも目的そのものがないというだけです。

特に精神疾患を持つ人達にはおそらく、人間関係の構築において、前提条件として他者に好かれていなければならないという強迫観念を持っている人が多いと思います。大人しく、自分から話しかけることができない気が小さいタイプの人もおそらくそうでしょう。でもそんな必要は全くありません。実際のところ人間関係とは相手に好かれようが好かれまいが何等かの形で他者とかかわり持った時点で自然と形成されていくものです。その結果人を嫌いになったり好きになったりするだけのこと。どうも日本の価値観ではこの順序が逆になっており、相手に好かれていることが前提で人間関係を構築しなければならない空気がなんとくある気がします。(エスパーでも求めてるのかな?もしそうだとしたらつくづく非合理的な考え方ですよね)そうでなければ初対面の人間にわざわざへりくだった態度をとる必要もなく、欧米諸国みたいにフランクに人間関係を形成できるでしょう。欧米の人間関係の構築のやり取りをみていると、彼らはまず初対面の相手がどんな人か知るためにお互いにおしゃべりをして、その結果楽しければ友人になり、楽しくなければ付き合わないというような感じに見えます。合理的ですよね。コミュニケーションをまずは最初にとらないと、相手のことはほとんどわからないのですから。大人しいタイプの人に多いのは相手の出方をあらかじめ伺って相手が好きになりそうなことを前提条件として用意し、相手に自分を好きになってもらうためにおしゃべりをする傾向があるように思います。つまり意識的に対等ではないのです。話しかけた方が下で、話かけらた方は上、みたいな意識が根底にある感じです。日本特有の生きづらさのはこういうところもその一つなのかも。

自分がどう思っているのか、どうしたいのかに従って素直に生きる = 自分を愛する

他者に好かれなければならないという前提条件をまずは外しましょう。自分は一体何がしたいのかを考え行動していくことが大事です。法律をやぶったりするようなことをすることはNGですが、よほど特殊かつ他者に対して攻撃的、あるいは迷惑な行為をしなければ大抵この国では自由にできます。自分を愛するということを覚えることができれば、それだけ自身の人生は一気に自由にその広がりをみせてくれるでしょう。相手と仲良くなりたいならまずはそもそも仲良くなれるのか会話をしてお互いに知り合う努力をしましょう。もし相手が見た目だけで人を判断する人間ならその人とは縁がなかっただけです。きにくわなかったら…こっそり中指でも立てちゃいますか!…なんちって。まぁ気楽に行きましょう。人間関係なんて気楽にやればいいんですから。



アドラーの心理学を論理的に実践

アドラー心理学は実践が難しいとされる心理学だといわれています。

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私のうつ病の主原因は「甘え」だった。甘美に感じられた「甘え」が私を苦しめていました。

そんな私が自分の甘えから脱し、

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Name : Elepan

元うつ病患者 (闘病歴10年)

約10年間のうつ病の体験と、独学で立ち直ったことや、実施した治療法について書いています。一人でも誰かの役に立つ情報になりますように… その他にも遊んだゲームの情報、世の中のおかしいと思うことなどについて考えたことを色々まとめています。

 

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