日本の義務教育は”脳なし”を育成するものである






2020年04月25日~:
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日本人というのは物心ついた時からずっと”やりたくもないもの”に時間を多く割いています。より正確にはそのようなことをする人間になってしまうような仕組みが存在してしまっています。本来人間は自立的な生物のはず。にもかかわらずやりたくないことを誰かから与えられた仕事だからと優先的にやりたがるのは自立性に乏しいと言わざるを得ません。自分で考える思考がない、”脳なし”なのであります。

個人の時間までも管理する義務教育のシステム

多くの日本人が物心つく頃から受けることになる日本の”義務教育”は詰め込み型です。本人の選択や興味に関係なく、強制的に教育機関が用意した科目を学ばさせられることになります。
体系化された教育自体はいいと思います。効率的に教えられますし、いろんな考え方にふれる機会になりえます。

問題はそれら用意された科目を全ての子供に強制させ、かつ競争させているところにあります。子供たちの自主性や個性を促すような形になっておらず、こちらから提示した課題をこちらが想定した形に添うように子供たちに刷り込ませるだけです。さらに子供たち全員が同じペースで学ばなければならず、各個人の学ぶ能力や意向を最大限に引き出せているとはとてもいえないでしょう。まるで収容施設。「この国には幼い子供達を収容して、同じことを強制的にやらせて競争させる機関がある」と言われてどう感じますか。それが日本の義務教育の姿だと言われても同じように感じるでしょうか。

低学年の頃は今の義務教育の形でもいいとは思います。色々なことを実際に学んでみることで、その子の興味を推し量る期間は必要だと思うから。しかし学年が上がってくるにしたがって自我が芽生えはじめると、物事の好き嫌いや興味の有無がはっきりしてきます。苦手な科目、得意な科目、興味のある科目、あるいはもっと別の何か。子供によってその感覚はそれぞれ異なるでしょう。それでもなお、皆一様に同じペースで同じものを学ばさせ続けるというのは、はっきりいって効率がいいとはいえないし、せっかくの興味の芽が日の目をみないままにかれてしまう事にもなりかねない。子供達はただ、やりたくもないことに不満を感じながらも我慢して授業を受けることになります。

ここ日本においては「普通教」という風土的概念によってたとえ子供であっても周りに合わせる意識が働くため、クラス内で浮いたり恥をかくことをおそれて表立って自分の意見を述べる子供は少ないと思います。しかし子供たちにとってはその感覚がまさに「普通」であると受け入れているため、それ自体に疑問をもつことなく、しかし不満に思っていること自体は事実なのでただ無意識に不満が蓄積されていきます。蓄積された不満はしばらく表面化することなく溜め込まれ、やがて子供たちは勉強するということを、「やりたくないことだけどやらなければならないこと」として認識していく。この時から、日本の詰め込み教育の負の側面にさらされ始めていきます。さらにテストという形で強制的に競争させられるため、クラスメイトを学力という基準で自分より下、上という認識の仕方をすることになり、それがコンプレックスを生むことになります。それを発端として自分自身の存在価値の否定や、それに影響して他者に対して攻撃的な態度をとるようになっていくこともあります。

「勉強」と「学ぶ」は全く違う

実際的に、日本の「勉強」は「学ぶ」こととイコールではありません。日本の勉強は強制労働に近い。時間まで完全に管理され、やりたくもないことを本人の意志にかかわらず無理やりやらせているのだから。
学ぶこととは本来自発的な動機をきっかけとするものです。いつ、何を、何のために学ぶのか。それを選択するのは本人であり、本人の自由意志の元に決定するものです。学びはある目的を達成するために行うもの。学ぶことによって新しい付加価値を生むための基礎力を養うために行うもの。自分のしたい表現をするために行うもの。自分や周りの人々の生活を豊かにするために行うものです。日本の義務教育はそんな個人の自己実現などほとんど気にかけていません。従順な文句を言わない社会の歯車を育てるための、既存企業が欲している労働力を育てるためのものでしかなく、新しい産業や仕事を作ることのできる本当の意味の優れたリーダーを育てるものではありません。従順な労働者という、そんな狭い用途を目的に教育するから、この現代社会において自分で仕事を作り出せる人間が全く育たず、戦後のアメリカから保護されてきた価値観を引きづったまま、上から降りてくる仕事をこなすだけ人間ばかりの世の中になってしまった。仕事を作り出せる人間がいないから、バブルがはじけて一気に不景気になった。優れたリーダーになれる素養を兼ね備えた人間が現れたとしても、周りの人間たちがそのような人間が生まれないように足をひっぱりその邪魔をする。他人が自分たちと同じでなければ不安でしょうがない弱い人間たちに邪魔され、つぶれてしまうか外国に出ていってしまうでしょう。

「子供の内に勉強しておけばよかった」という言葉はよく聞く言葉です。確かに、より優れた奴隷になりたいということならそれもいいかもしれませんが、今の日本人に必要なのはそんな奴隷じみた行動に傾倒することではなく、自らの意志で世の中に自分が貢献したいことを決め、そのために学ぶことです。そういう発想が自然にわいてこないこの日本社会のそれは、まさに闇としかいいようがありません。

PS. 日本の義務教育がなぜこのような形になったのかについて日本の歴史を交えて詳しく書かれている方がいらっしゃいましたので以下にリンクを貼っておきます。

https://piola.jp/not-taught/compulsory-education/



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アドラー心理学は実践が難しいとされる心理学だといわれています。

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孤独 認知論
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元うつ病患者 (闘病歴10年)

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