「人に嫌われること」を気にするのは無意味である





※この記事は過去の記事を書き直したものになります

人に好かれたい、愛されたい、嫌われたくない。人に良くみられたい、見下されたくない、尊敬されたい。

このような「されたい」「されたくない」という欲求は、全て受動的な欲求です。この欲求は実際のところは全て“思い込み”で、本人の妄想の域をでることはありません。そちらの詳しい内容については以下のリンクでまとめておりますので、よければこちらもお読みいただくと何かの参考にしていただけるかと存じます。

哲学:「愛される」ということは哲学的に不可能である

これらの欲求と完全に断ち切ることができれば、自分は本当はいったい何がしたいのか、自分は何者なのか、自分自身の本質が見えてくるようになります。それは個人の幸せの追及にも直結する、非常に重要な“気づき”です。

「何をしたいのか」という欲求だけが残る

単純に考えて、受動的欲求が消えると、残るのは能動的欲求です。何をしたいのか、何をしたくないのかだけになり、動機が単純化されていきます。

自分の意思で、やりたいと思える純粋な欲求で行動を起こすことが自己肯定につながり、ありのままの自分に自信をもつことができる原動力になっていきます。



「したいこと」「するべきでないこと」について再考することになる

多くの行動動機を受動的な動機に頼っていた人にとっては、「したいこと」や「するべきでないこと」の大半が、他者への自身の認知のされ方を意識してのものになっています。

例えば誰かと話している時、「嫌われたくないから自分が本当に言いたかったことを控える」、「綺麗にみられたいから化粧をする」、「好かれたいから相手の都合に合わせた振る舞いをする」、という感じです。

しかしこれらの受動的動機が完全に消え去ると、「やりたかったけど周りの目が気になってできなかったこと」ができるようになります。
それはまさに「自由」を意味します。そしてそれと同時に、今まで「したいこと」だったことが、本当に「自分のしたいこと」だったのかどうかについて、再考することになります。

上記を説明する具体例として人に褒められたいから絵を描くという目的で描いていた人を例にして説明します。

受動的な動機を捨てるということは、この「人に褒められたい」という欲求を手放すことになります。

そうすると、その人は今まで褒められるために絵を描いていたので、なぜ「絵を描く」のかという動機の部分がなくなることになります。

自分は本当に絵が描きたいのか、なぜ絵を描くのかについて再考する必要が出てくるというわけです。

最も、それ自体はさほど問題にはならないと思います。というのは、例え受動的動機によって突き動かされてきたものであったとしても、能動的動機もそこに少なからず存在しているからです。

単に褒められたいだけなら、絵なんて手間も時間もかかる手段を選ぶよりも、もっと比較的早い段階で褒めてもらえる方法でそれを満たした方がずっと早い。

地域貢献とかボランティアを選ぶはずです。しかし、それでもあえて絵を描くということを選んだという事は、

その部分においては単に、「絵を描きたい」という能動的動機が存在していたからこそなのです。

ほとんどの人は、受動的か能動的か、そのどちらか一方だけということではなく、両方を内在しているグレーな人だと思います。

ただ受動的動機が支配的であったというだけです。能動的動機が主導権を握ればむしろ、今までよりもずっとエネルギッシュに、自分らしい表現に向かって突き進んでいけるようになるはずです。



“自由”の意味について考えることになる

周りの目線やしがらみがなくなると、自由になんでもできる気がしてきます。

しかし、その自由から発生する行動動機が人を傷つけたり、何かを壊すような目的を伴うようなものであった時は本当にそれが自分がしたいことなのか考え直したほうがいいかもしれません。何をしようと自分の勝手である、というわけにはいかないということです。

人は社会、共同体を構成している要素の一つであり、それが集まって今日の生活が維持されています。

それに対して破壊的活動を行うという事は自分自身の生活環境をも壊していっているのと同義です。

その自由は生産的な行いに使われてこそ、共同体にとっても、自分自身にとっても、それが最も幸福であることにつながっていきます。

人間が最も幸福な瞬間は、愛する何かを見つけそれに夢中になっている時です。これは別に恋人を作れというわけではなく、夢中になれる何かであればそれはなんでもいいのです。

趣味などでも夢中になれるものならなんでもいいでしょう。誰かを傷つけない範囲で、自分や周りの人を満たす何かをすることに時間を使う事を考えて、実行するだけで簡単に幸せになることができるのが人間というものです。単純ですね、人間というのは。

与えられる事を全く意識しない人生が受け身思考から卒業の鍵

報われたい、評価されたい、好かれたい、愛されたいなど、あらゆる他人にされたいことを全て放棄することです。

こうすると不思議なことに、自分にとって本当に必要な情報しか入ってこなくなります。周りで自分のことを悪くいっていようと、逆に褒めていようと、全く興味がなくなってしまうのです。

余計な欲求を消すと最後に残っているのは、自分は何がしたいのかということだけです。「今自分は何がしたいのか」という、シンプルで純粋な気持ちしか残らないのです。

そもそもなんで気にしてしまうかっていったら、それは単に暇だからなんですよ。自分のやりたいことよりも他者の評価を気にしている方が重要ってことは、そのやりたいことがそれほど重要な事じゃないってことで、要は自分の人生で大事なものを見つけることができていなくて、まだ本気になれてないんです。

自己実現よりも人目が大事。自分の人生は人目を気にすることよりも価値がないのだと、自分でそうとらえてしまっているのですよ。

人は誰かに嫌われていたとしても、何かに夢中になることさえできていれば、その時点で幸せを感じられるんです。

人に嫌われることを気にする事って、何の役にも立ちません。こんなそんな考え方はさっさと捨てて、自分の楽しい人生のために好きなことに打ち込みましょう。

「嫌われたくない」は”歪んだ完璧主義者”の証拠だよ

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