※この記事は過去の記事を書き直したものです。
3割というのはかなりアバウトな数値ですが、ここでは伝えたいことの大半は相手に伝わらない、というニュアンスとしてとらえて頂ければと思います。
日常的に繰り返されている意思伝達による誤解
人は主に言葉や文字による意思伝達を行います。自分が伝えたいことがどれだけ伝わるかどうかは、その内容が単純なものであればあるほど100%に限りなく近づいていきますが、複雑になるほど伝わりづらく、誤った意思伝達が行われていく可能性も増えていきます。
例えば「部屋の明かりを消してほしい」と頼まれたら、ほとんどの人は明かりのスイッチを切るという行動をすると思います。これは、意思伝達する側と聞く側との間で、「明かりを消す = 明かりのスイッチを切る」という意思疎通が成り立った事を意味します。ひょっとしたら電球を割ろうとする人もいるかもしれませんが、このような単純なものであれば、ほぼ100%正確な意思伝達が行われるといってもいいでしょう。
次は少し複雑です。例として、あなたはキッチンで母親の料理の手伝いをしているとします。料理が出来上がったので母親があなたに「食器棚からお皿をもってきて」とお願いされました。
そこであなたは「必要な分皿を食器棚から手に取り、母親のところに元に持っていく」という解釈をしたとしましょう。しかしそうすると母親は、「そうじゃなくて、テーブルに置いてくれない?」とあなたに答えました。あなたはしぶしぶテーブルにもっていきました。これでいいか母親に確認を取ると「テーブルに並べてほしいって意味よ」と返ってきました。
つまり、母親が「食器棚からお皿をもってきて」という意思伝達によって、相手に期待した行動は「食器棚から人数分の皿を取り、テーブルに配膳すること」だったわけですね。このように少し意思伝達内容が複雑になるだけで、認識のミスマッチが起こりやすくなるわけです。これは経験によってお互いの共通認識を増やしていくことで解消されていく可能性もありますが、いずれにしてもこのギャップを埋めるためには一度お互いの認識が違っていたという事を経験する必要があり、避けては通れない問題です。
母親の説明不足感もありますが、現実問題としてこのようなやり取りは社会全体で普遍的に繰り返されていることだと思います。依頼者がやってほしいことについて1から10まで説明するようなことはほとんどなく、大抵はお互いの共通理解(正確にはお互いに理解しているであろうと推測していること)を前提に、必要な分だけの説明が依頼される側にされるだけだと思います。しかし、この共通理解のギャップが両者の間で大きいと意思伝達に齟齬が発生しやすくなり、例えば上司から仕事の依頼内容が雑で何をすればよいのかわからない、という思いをしている人は、上司の説明の仕方が壊滅的に下手であることを除けば、上司との間にそのギャップが存在している可能性があります。
他の例として、偉人の残した名言や格言について考えてみると、その言葉の真の意図や、どのような思考の果てにその考えに至ったのかについては学者たちによって様々な解釈や説が考えられていますが、どれほどそれらしい説が考えられようと、本質的にはいつまでも謎のままです。デカルトの「我思う、ゆえに我あり」という言葉はいくらでも解釈のしようがある言葉で、今でも様々な説がささやかれているようですが、それは暗に、デカルト本人の伝えたかった意思がそれだけ伝わっていないことを証明しています。このように、人の意思伝達というのは実はいい加減かつ雑多で不確かなもので、受け手である相手の解釈次第で変わってしまいます。つまり意思伝達で行えることとは”理解”というよりは信号のような、”認識”といったものに近く、相手の真意を本質的に理解することができない以上、極論を言えば意思伝達による人とのやり取りは一種の勘違いによって運用されているようなものなのですね。
人は見たいものを自分の見たいように見ている
人のあらゆる行動には何かしらの目的が存在しており、人が何かを見ようとしたり、考えたり、解釈しようとしたりするその背景には、全て目的があります。
よって、意思伝達する側、それを受ける側もそれぞれ目的をもっています。伝える目的、聞く目的という感じです。例えば意思伝達する側がポジティブな目的をもってのぞんだとしても、受ける側がネガティブな目的でとらえようとすれば、どのような言葉も相手はそれを自身にとって害あるものとしてとらえてしまうと思います。
他にも、ある権威ある人物や著名人などが何気なく発した言葉を、さも意味ありげな言葉であると解釈するマッチポンプなんかもそのわかりやすい例だと思います。人の意思伝達により発生する幾多の誤解はこうした解釈する目的にも要因があるわけです。
誤解をなくすには
100%の伝達を行うことはほぼ不可能ですが、それに向けて努力することくらいはできます。まず意思伝達する側ですが、より具体的に説明することを心掛ける必要があります。聴き手側もより相手から情報をより引き出すことに努めることでお互いの認識のギャップを埋めていくことはできます。また仕事の面では必ず仕事の完了時に確認を取るだけでもそのギャップを埋めることができます。自分がした仕事について報告することで、少なくともそれが上司のしてほしかった仕事かどうかを確認できる機会を得ることができるからです。このようにお互いがお互いの認識を埋めるために歩み寄る努力をしていくことで、100%の相互理解とまではいかなくとも、いわゆる「問題化する勘違い」を防ぐことはできます。
まとめ
意思伝達というのは自分が思っているよりもずっと相手に伝わっていない可能性が高い。100%伝えることは至難の技で、どれだけ正確に伝えようと努めたとしてもほとんど伝わらない事もあるどころか、こちらが想像してもいない解釈をされることもある。
「相手はわかってくれている」という考えに頼るのは危険です。むしろ科学者のように、ある実験に対する、想定した予測値程度に思っておくくらいがちょうど良いでしょう。
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