なぜ私はアダルトチルドレンを長い間やめられなかったのか




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2020年04月25日~:
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私はかつてアダルトチルドレンでした。それもごく最近まで。その理由について考えてみたいと思います。

常に「いい子」でいようとしてしまうのはなぜか

アダルトチルドレンは本人の内にある本質的な欲求を押さえつけ、相手にとって都合のいい人間を演じることを選択した人です。少なくとも私はそうで、条件付きの愛の家庭で育ち、親の機嫌を常にうかがいながらその都合に合わせるということをしてきた結果、「いい子」を演じることがくせになってしまいました。

「いい子」を演じることで発生する問題

「いい子」を演じることで特に問題化しなければそれもよかったのかもしれません。人に褒められることをしていて、褒められ続ければそれで幸せ、それでうまく回っていれば。

しかし、成人してからはいろんな大人たちと関係を築くことになるため、当然”悪い人”とも付き合う必要もでてくることとなります。

そんな相手にすら「いい子」でいようとしてしまうから、その相手が自分に嫌なことをしてくると、「きっと私が悪いことをしたからだ」「私がいじめられるような弱そうな感じを出しているのが悪いんだ」と相手を責めずに常に自分を責め続けてしまうのです。

誰にとっても「いい子」でいるために

しかし現実は冷たくて、そんな私の内心などどこ吹く風、みな自分のことで忙しそうにしていて、まったく気づいてもらうことも助けてもらえることなんてなかったですし、”悪い人”たちはその人とたちでますます付け上がって私をいじめたり厄介な仕事を押し付けてきたりいいように使われてしまうだけでした。



「いい子」を辞めるのが怖かった

誰に対しても好かれるために、相手の都合に合わなければ自分をひたすらに責め、その結果心はどんどん摩耗してき、性格も歪んでいきました。しかし私は「いい子」をやめることができていませんでした。

他者に翻弄されるばかりで毎日生きづらさを募らせていく日々に限界が来るときがやってきて、それが社会人になったころ。ついに自分の人生の足枷になってしまいました。他人の目が気になりすぎて仕事の手が留まってしまい、会社に行くこと自体が怖くなってしまったのです。先輩からのいじめもあり極度の緊張状態の中で長時間過ごすことになった結果、自律神経失調症、うつ病にもなってしまいました。

しかし、そんな仕事に支障をきたすレベルになってもそれでも他者からみた自分の評価が第一で、常にどうにか取り繕おうと必死だったのです。

とにかくいい子でいなければならないと思っていた。そうでなければ人間としてダメなんだと、

いや、「いたかった」のだと思います。自分がそうしたかった。いい子でいられないことが怖くて恐ろしくて、ずっとビクビクしながら過ごすしかなかったのですね。

なぜ「いい子」を辞められない?

なぜそこまですがってしまうのか。それは私の場合大きくわけて3つありました。

「他の生き方をしらない」「いい子を辞めることに対する罪の意識」「一人では生きていけない」です

長い期間、取り繕った自分を演じ、それが本当の自分だと言い聞かせてきたために今さらになって本当の素直な自分の感覚が何なのかがわからず、どう生きていけばいいのかがわからないのです。

人というのは全てを知っているわけではありません。自分の見てきたこと感じたことしかしらない。

だから自分が「いい子」として生きる方法しか学んでこなかったのなら、その対極にある「いい子をやめた生き方」など知る由もないのです

さらに「いい子」というのは私にとって「正しさ」でもありました。

いい子でないことは間違いであり、あってはならないことであると強く思い込んでいたのです。

だから自分の本当に好きなことなんてもっておらず、誰かが好きかつ自分も好きなことしか好きになれませんでしたし、

誰かが嫌いかつ自分も嫌いな人にしか嫌いと考えたりすることができませんでした。

他の人生をしらない。正しさにそむくこと、この罪の意識が、「いい子」という呪縛から自分を解放する上での大きな足かせだったのですね

また加えて、「一人では生きられない」という強い思い込みもありました。

私は主に親、そして周りを取り巻くそのほかの他人達ににそう教育、いえ思い込まされてきたため、「一人はいけないことなんだ」「友達がいないやつはだめなやつなんだ」「結婚しなきゃいけないんだ」という強迫観念にかられていました。

確かに現代社会は多くの人が様々な形で社会に貢献し、積み上げてきたもので構築されているため、一人では圧倒的に労力も知見も技術も何もかもが不足しているという事実においては確かにそうだと思います。

しかしそれはあくまで「社会」という視点からみた事実で、「自分」という個からみた世界で考えれば、人は全然一人でも生きてけるんです。

一人暮らしが全然可能な社会で、昔のような村社会的な社会は都会にはありませんし、様々なサービスを利用すれば一人の人間が天寿を全うすることに対してそれほど大きな障害というのは無いと思います。

それに結局人は遅かれ早かれ死ぬわけで、今の生は数十年後には終わるわけですから、そんな脅迫的に生存すること、長生きすることそのものに重きをおいて、今を犠牲にする、今自分がしたい気持ちを犠牲にして生きていたら本末転倒です。

こうやって親や他人、社会が言うことでなくて自分で考えて答えを出すようになってからはその思い込みも晴れましたが、当時はとにかく一方的に強い思い込みをしていて、そのために「いい子」を演じていたという側面もありました。



アダルトチルドレンの本質的な問題

これは私個人というより、アダルトチルドレンというものに対する私の考察なのですが、やはり「いい子」を演じなければならないという強い思い込みをしていることがその本質じゃないかと思います。

アダルトチルドレンとはその名が示すとおり、精神が子供のまま大人になってしまった人ともいえます。ただこう説明してしまうと、一般人には子供のようにわがままな大人と誤解されてしまうので、そう説明されることは避けられているのだと思いますが

アダルトチルドレンは、自分の勝手な都合で相手に迷惑をかけたりすることが良くない事であると考えている人は多いと思います。

「いい子」でないといけないと強く思い込んでしまっている。「いい子」という「周りにこびる子供」を演じ続けてしまう。だから心が子供のまま、一人で生きることのできる大人になることができていないのではないかと。

自分がしたことで迷惑をかけちゃいけないと強く思い込んでいる。そんなこといったら人間何も出来なくなってしまうのに

アダルトチルドレンの本質的な問題は、大人になっても尚、親や他者から自分を肯定してもらうために行動してしまうという、アイデンティティの未熟なんじゃないかな。

健康な環境で育った人であれば、自身のアイデンティティを様々な他者とのかかわりの中で少しずつ積み上げていくことで確立していきます。

他者と自分は常に対等という潜在意識があり、それを前提として社会の仕組みやルールを学ぶわけです。なので上司などの目上の人であっても、無条件に従うというわけではなく、上司の指摘や指示内容に納得できなければ強かに自分の意見を相手に伝え、状況の改善に努めることができます。相手との付き合い方についても、自分が本当に心から尊敬できるなら尊敬するという素直さを保ちながら社会で生きていく術を学んでいくわけです。

そして何より自分の感覚に素直で、自分のしたいことや感じたいことという自分の素の目的に素直になって行動することができていると思うんです。

一方、アダルトチルドレンは他者を自分より上か、もしくは下か、というように他者と自分を比較して相手と自分の関わりかたを決めます。あるいは、相手に気に入られているか、好かれているかを前提条件とするような、主に心理的に、相手に遜るような人間関係を構築しようとします。

相手と無自覚に対等とは程遠いアンフェアな人間関係を構築しようとしており、目上の人には何を言われても文句ひとついわず、相手に好かれようと相手の都合に合わせた自分を演じ、自分の身が限界を超えるまで相手に尽くそうとします。

自分がしたいことがないから。自分がないから。目的がなくて、それを全て他人に預けてしまっているから。

正しく生きようとしてしまっているから。正しさという他人や社会の提示する「外にある正解」を自分の正解だと思い込んでいるから。



この世に正解なんてない。大人は一人で生きていくものだ。

この世に正解なんてない。これは私が数年哲学をしていた中でようやくたどり着いた答えの一つです。それに気づくことができてから、私は自由に生きることができるようになりました。

私は生まれてからの約30年、ずっと「誰かに気に入られたがっている子供」として生きていた。でもそれは自分の人生を窒息させる生き方でしかなかった。

正解のない世界で生きること。そこで一人世界に立ち、自分の目的のために生きていく。そのために考え、仕事を見つけ作り出しながら他の人の役に立つことをしたりする。

それが自己実現なんだって。自己実現は正解を頼りながら何かを作ることじゃなくて、むしろ正解、答えを作ることなんだって。

自分の考えたことや選択したことが必ず良い結果をもたらすかどうか、いや、どんなことを最終的に起こるのかなんて誰にもわからない。それを訝ったり、心配しても意味がない。

はっきりしているのは、自分が生きているという「感覚」だけ。それを信じて、ただ前に進み続けること。それが新しい私の生き方になったのでした。

そのおかげで今は仕事もプライベートも充実し「生きている」という感覚を毎日強く感じながら精力的に毎日を過ごすことができています。色々あって特に20代はまさに暗黒時代でしたが、こうして今があると思えばそれも必要なことだったと受け入れることができるくらいです。

人は変れます。自分が変わりたいと思って、それに対して考え続ける、行動し続ければ。少しずつ変っていきます。

いつか振り返った時、「随分」遠くまで来たな、としみじみ思う事でしょう。私はここ数年劇的に自分の価値観や考え方を変え続けてきましたが、数十年前の出来事のように感じられるくらいです。



アドラーの心理学を論理的に実践

アドラー心理学は実践が難しいとされる心理学だといわれています。

管理人が実際にアドラーの教えをもとに実践した内容の記事を残しております。

孤独 認知論
私の「甘え」うつ病治療


私のうつ病の主原因は「甘え」だった。甘美に感じられた「甘え」が私を苦しめていました。

そんな私が自分の甘えから脱し、

精神の安定、自由をつかむためにやったことをまとめています。


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「人は生まれた頃から死ぬ時まで孤独である」

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遊んだゲームのレビュー、攻略情報などなど


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自己紹介

Name : Elepan

元うつ病患者 (闘病歴10年)

約10年間のうつ病の体験と、独学で立ち直ったことや、実施した治療法について書いています。一人でも誰かの役に立つ情報になりますように… その他にも遊んだゲームの情報、世の中のおかしいと思うことなどについて考えたことを色々まとめています。

 

1 個のコメント

  • 初めまして、私もアダルトチルドレンで、人に気に入られなきゃ嫌われるという恐怖を持って生きています。
    Elepanさんの記事にとても共感できました。

    他人は何で私に自信がないのかわからないようなのです。
    私もわかっていながら、ですが自信を持つのが駄目な気がする私がいるのです。
    何故か攻撃されそうな気がするのです。

    何故かいつも私が悪いから、、、が当たり前のようになっています。

    ツインソウルという人に出会い
    私をより深く見つめるようになり、自身を無条件で愛せるように努力しています。

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