恋愛至上主義な思想が人間関係の”多様性”を潰している





日本における恋愛は一種のカルト宗教である

世の中は恋愛をしていない人は変人という偏見が存在している。若い時はまだそうみなされないが、年齢を重ねるにしたがって一度もその経験がないとなれば、周りはその人を良く知ろうとするまでもなく変人だと決め付けて見下す。

今の世の中、少なくとも日本ではこう考えることが「普通」だ。しかしこれは別の観方をすれば恋愛経験のある人間しか人間として認めないという、なんともカルト的な思想社会であるとも見ることができる。つまりその他の可能性を潰していているわけだ。なんとも排他的で偶像的な選民思想的ではないか。資本主義の闇だ

そもそも恋愛とは突き詰めればただの人間関係だ。形は違えど友人や家族、仕事の関係、取引先などの人間関係の本質には同じで、そこに勝手に順位をつけてるだけにすぎない。

日本の恋愛観から見る”他人事思考”と恋愛離れの関係

人間関係の”形”は、本当はもっとたくさんあるはず

なぜ人は人と関わること、人間関係を構築しようとするのか。その目的は大まかに説明すれば「個々の自己実現のため」である。

生活のため、子孫を残すため、楽しく暮らすため、あるいは孤独から逃れるため…世の中の多くの人間がそれぞれ持っている自己実現のために何等かの人間関係を構築するという手段を選択し、使っているにすぎない。

多様性という観点で考えてみれば、恋愛もしくは結婚に絞らなくとも、人間関係の在り方にはもっと多くのバリエーションが存在していいはずなのである。

例えば単に相手とウマがあって意気投合したり、友人の延長で共同生活を始めるような人。そこに恋愛のような感情がなくとも、そうしていることが幸せだからという理由で、恋愛とは別の人間関係を形成し、共に生きてこうとする人もいてもいいはずである。小規模の共同事業や、大きなプロジェクトのためにパートナーと共に暮らすなど、ビジネス的な理由で共に生きていくことを選択するような人だっていてもいいはずだ。もちろん、一人でやりたいことに集中し、多くの時間を一人で過ごすことで幸せを感じる人だっていても全く不自然ではない。

これらは多様性を生み出す種になりえるはずなのだ。しかし現実は、恋愛至上主義的な価値観がこれらの新しい人間関係の形の形成を阻害している。別に友達同士でも共に人生の時間を使いたいのなら同じ場所に住めばいいのにそれが非常にやりづらい。そのような生活様式は男女との同棲のみにしか世間的に認められておらずから奇異な目で見られるからだ。恋愛という一つの人間関係の形態が、他の生まれうるかもしれない新しい人間関係の形態、価値観の芽を摘んでいるのである。



“恋愛”だとか”家族”だとか、一々型にはめて人間関係を考える必要はない

型にはめた人間関係を作らなければならない、という決まりはどこにもないし、それをしなければならないということともない。が、現実はそうしてしまっているところがある。

世の中に正しいことなど何一つない。故に、別に恋愛のような人間関係でなければ親密な関係を築けないということはない。もちろん、孤独=不幸という図式も全くなりたたない。人の幸福は社会が決めるものではなく、個人が決めるものだ。逆に、そう感じてしまうのはやはり恋愛至上主義的なカルト的思想が現在の世の中を取り巻いており、その大きな流れに従おうとする個々の心の弱さがあるからだ。今の現代人は自分で決めて行動することを恐れているのである。

恋愛に限らず、本来人間というのはもっと様々な形で他者と関わることもできて、自己実現、幸せのために行動することができるはずである。

だというのに、まるで「恋愛できない人間は人間失格」「孤独は不幸」とでも言いたげに、恋愛しなければ幸せになれないと人や社会に対して煽る人たちも存在する。そういった思想が、生まれていたかもしれない人々の生き方の多様性をも摘むことにつながっている。

恋愛の素晴らしさを説くのは一向にかまわない。しかし。恋愛に興味のない人間にそれを強いようとしたり、していないからといって人格否定するのはあまりにも失礼だろう。多数側になって弱者に石を投げるのが気持ちがいいのかもしれないが、それが劣等感を相手に植え付け、巡り巡って社会に影響を及ぼし犯罪の増加や治安の悪化を招くかもしれない。結果として自分の首を絞める要因になりうることを考えれば、こんなことをしてもあまりにも非生産的で非論理的行動だということに気づく。実際、日本の生きづらさの本質はこういう部分にある。

自分を着飾ることに対する”大きなリスク”「ナルシシズム教」の恐ろしさ

ちゃんと自分の頭で考えているか?

人々は普通でない何かを極端に恐れている。だから誰もやったことのないことをやりたがらない。既に証明され、世間に認められている恋愛という考え方に乗っかる方が楽なのだ。それから外れた考え方を実行できないのは、自分で考えて実行することが怖いか、知らないからだ。

だからまずは恐れず、一度自分の幸せについて自分の頭でよく考えてみるべきである。

一体自分にとっての幸せの形とは何なのか?

誰かが言っていたことや、世間の普通や常識をそのまま鵜呑みにして、世の中の大きな流れにただ身を任せて生きている人は、自分の頭で考えているとは言えない。もし考えているというのなら、世の中の「常識」や「普通」に何かしらの疑問をもっているはずである。それを一度もしたことのない人間はただ他人のふんどしを借りていい気になっているだけであり、そんな人間が誰かを変人扱いして侮辱しているようなら、そんなカルト信者とは縁を切るべきだろう。

「普通」や「常識」を当たり前だと豪語するのは、カルト信者が教祖が言ったことは全て正しいことだと妄信し続けているのとほとんど変わらない。仮に彼らにその論理的な説明を求めればきっとできないはずである。ただ信じているだけで、考えていないからだ。



普通でないことを恐れず、胸を張れ

普通や常識に沿って生きて、それで充分幸せというのならそれはいいかもしれない。しかし普通に生きようとしてそれで不幸になるのなら、それは自分にとっての生き方ではないということになる。

自分が普通でなくても自分を小さく見せたり自己嫌悪になる必要は全くないのだ。自分に合った幸せを見つけ出すために行動をすればいいわけで、それができる自分に誇りをもつべきなのである。

日本の恋愛事情は色々とおかしい – 愛のない恋愛、結婚観 –

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