真の自由を目指している私の6つの心得





人に好かれているかどうかを担保に人間関係を構築するな

受け身で人間関係を構築するのを完全にやめること。精神的に相手に依存せず、自らの意思で自身を奮い立たせ、自己肯定にしたがってのみ行動すること。

嫌われることを恐れない事。いや、そもそもとして嫌われる、好かれるていることを気にかけて、あるいはそれを動機として自身の行動を決定しないこと。人生の主人公は常に自分で行動動機の軸は常に自分の中にあること。自分と他者との間には上も下のクソもなく常に対等であり、相手の承認など必要ないこと、人はいかなるものでも相容れることはないということを念頭に置いて行動すること。



相手に媚びない

相手に媚びないこと。媚びることで作られた人間関係は全て嘘で構築される。最初の出会いから既に嘘で始まっているなら、そこにいくら真実を積み重ねたところで、その嘘が露呈された瞬間脆くも全てが崩れ去り、全てが嘘になる。その瞬間自身の不誠実さが白日のもとにさらされ、自分のしたことを後悔することになる。

このように構築された人間関係は必ずどこかでほころびが生じ不幸な結末を迎えるか、最後まで嘘をつき続けることができたところで、相手に、そして何より、自分自身にたいして不誠実な人生送り続けることとなりその幕を閉じるだろう。考えられるうる中で最悪の不幸で不自由な人生が待ち受けている。

トーマスエジソンは”持論を論争の渦中にさらけ出し、率直に意見をのべ、変わりもののレッテルよりも従順という汚名を恐れよ”といった。他人の顔を伺うような、他人に支配される人生に生きる価値などないのだ。

人生の軸は常に自分になければ何の価値もない。無価値だと言い切ってもいい。他人に媚びるということはその軸を他人に無条件降伏で譲り渡すという事だ。他人に媚びた瞬間、あなたの人生は負けなのである。他人に媚びようと思った、「心」そのものが、負け犬というそれそのものを体現しているのだ。人生における勝敗とは、単なる他者との競争結果や論争の果てに得られる結果に発生するものではない。それは常に自分の内側に存在し、自分の精神的自立心と、孤独をおそれる他者への依存心とのせめぎ合いの末に発生するものなのである。



自分が本当にしたいと思う事、すべきだと思う事のために時間と気力と資源を使え。

強固な意志と目的をもつことができれば、人生は驚くほどの単純さと純粋さを兼ね備えて、真っすぐ躍進していく。他人の批判も評価も寄せ付けず、気にも留めず、自己実現のための盤石かつ強力な実行力とエネルギーをもつことができる。あなたは何かに夢中になるという経験を今すぐにでもすることができるだろう。

夢中になるということは、精神的にも肉体的にも一人である瞬間、かつ自分自身を100%信じている時にこそ現れる。それが人生における幸せというものだ。人間が最も幸せな瞬間は科学的に言えば脳の報酬系回路が活性化している瞬間だろうが、それすなわち、何かに夢中になっている時だと言えるのである。(薬物はのぞく。人生が終わる

人間はどうしようもなく孤独だという事を自覚すること

人間は、他人のことをわかっているようであっても、実は何一つわかっていない。わかっているのは自分のことだけだ。人々の中には孤独感を紛らわすために他人と一緒にいたいと思う人もいる。自分のことをわかってもらおうと相手に理解をもとめたりすることもある。

別にそれを無理に止めようとは言わない。そうすることで解決する問題もあるからだ。しかし、これだけははっきりしている。どんなに一緒にいたとしても、お互いを本当に理解し合う日がくることは永遠にない。どんなに近くに居ようと、それだけ相手のことを気にかけようと、この絶対的な距離が縮まることは未来永劫ありえない。そういう意味では人間と人間の精神的な距離というのは宇宙よりも広いのかもしれない。

全ての人間は自分のために生きているだけだということに気づくこと

さきほど自分以外の人間のことはわからないといった手前ではあるものの、それでも99%確信していることがある。それは、この世に存在する全ての人間は、自分の欲求を満たすために生きているだけということだ。もちろんそれは自分自身も含まれている。

人間の行動動機は全て突き詰めれば全て”利己的”動機だ。他人のために何かしたいという利他的な動機であったとしても、それは”本人が思う他人のため”であり”、実際にその対象となる相手のため”にはならないかもしれず、かつそれを確実に確かめる術はない。単なる自己満足である。相手に直接それを聞けたとしても、相手は気を使って嘘をつくかもしれないし、相手自身が本当にしてほしいことが何かに気づいていないかもしれないからだ。むしろ放っておいてほしいとすら考えているかもしれない。

実際に相手の気持ちがどうなのかを証明する手段はこの世のどこにもない。仮にそれがあると仮定すれば、自分がそっくりそのまま相手の身と心に物理的に成り代わることくらいだろうが、現実的にそのようなことを実行できる仕組みも手段も存在しない。

しかし大抵人は、自分のしていることが相手のためになっていると信じて疑わないないものだ。この記事を書いている私ですらその例には漏れない。少なくともこれは自由を求める人の助けになればと思って書いているが、全く助けにならないかもしれない。しかし実際のところ、それは自分の本質的な行動動機からすればほんの些細な誤差である。

少なくとも先にこれを踏まえておけば、不幸な勘違いをしたまま時間を浪費する機会を減らすことはできるだろう。時間は限られているのだから。



人間関係は手段として割り切れ

人間関係は手段であって、必ずしなければならないような絶対的なものではない。自分のしたいこと、幸福を実現するための手段との一つというだけだ。もし人間関係を構築するという行為そのもの、例えば友人を作ること、恋人を作るという行為そのものを絶対的な神のように崇拝してしまったら、恐らくそれにすがって、まるでそれに依存するような価値観で生きていくことになる。それはとてつもなく脆く、それを必要としない人間からは害となるような人間になりうる、危険な考え方だ。

自分も他者も、基本的に自分自身のために生きている以上、常に自分の望む結果を得ることはできないし、無理やり押し付けたところで、さらなる不幸な結果が待ち構えているだけだ。

だから人間関係も他の道具たちと同じように手段として活用してこそ、他者に操作されることなく、逆に使う立場として選ぶ側になることができるのである。

まとめ:真の自由とは孤独である

自由とは誰かから与えられるものではない。誰かに与えられた自由とは、リールにつながれた犬と同じだ。長さを調節してある程度犬の行動範囲をフレキシブルに広げられるリールがあるが、あれに似ている。あれを自由というのならそれもいいもしれないが。

本当の自由とは自分の人生の主軸を常に自分にもち、周りの道具を使うことができたり、新しい道具を作ろうとする行動にある。そこから見える光景は何とも孤独な風景なはずだ。使われっぱなしの人生がいいか、使う側の人生がいいか。どちらが自分にとって幸せだろうか。

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元うつ病患者 (闘病歴10年)

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