「世界の”現実”旅行」を視聴して思った”作品の個性”の重要性





万人受けする作品ほど、つまらないものはない。

なぜならそこには多くの「ウソ」が含まれるからだ。

ウソとは単なる表面的な情報の虚偽ではなく、製作者自身がもつ価値観や人間性に対する、あるいは制作の根本に存在する虚偽のことだ。わかりやすくいえば、製作者本人の「その人らしさ」である。大衆向けに作られる作品とは、常にわかりやすさが要求されているが、それを得るための犠牲として、個性を削るという選択をすることがある。

個性を削って、散々繰り返されたお決まりのテンプレに従って制作することで、どこで笑えばいいのか、何を感じればいいのか、まるでガイドラインがあるかのように演出される。ひどく退屈だ。日本のテレビ番組で言うところのワイプや、観客の笑い声なんかがそれにあたる。「ここで泣け」、「ここで笑え」、まるでテレビがそう言っているかのように厚かましくこちらに呼びかけてくる。

本来制作物に対する感想は、各視聴者次第のはずだ。誰かに教えてもらわなくてもわかることである。しかしそれを制作側で勝手に決められてしまっては驚きにかけ、面白みは半減する。

制作はある種の自分を表現するための方法の一つと言い換えることもできる。製作者の見ている世界というレンズを通して構築されるためだ。だから完璧にそれを作り上げようとしたら、それは本人の哲学を作品化するようなことになるのだから、ユニークになって当然である。だからそれが、常に大衆にとっていつもわかりやすい形をとるとは限らないのだ。



八方美人はつまらない

誰にでもいい顔をしようとする人というのは、はたから見ると奇異に映るが、対面して話してみると実につまらない。常にこちらの顔をうかがって、こちらの意見に愛想よくただうなずくだけである。こんなの今時機械でもできるだろう。大衆向け作品もこんな感じの八方美人のような作品ばかりだ。いい顔することばかりにこだわって、自分が本当に伝えたい事を忘れてしまっているのだ。

そんな中で「世界の”現実”旅行」というドキュメンタリー番組は、そんな大衆化したドキュメンタリー番組の常識とは対極にある作品だと言える。(前置きが長くなりすぎた!)

この番組の最もユニークなところは、語り手が実際に様々な国に訪れ、そこで触れた様々な文化にたいして、常に語り手の主観で物事が語られ、解釈が行われているところだ。演出過剰なうそ臭さが無く非常に生々しくリアリティがあり、素直で正直に述べられた彼の考えや気持ち、価値観に時に賛同できることも、できないこともあるし、彼とはまったく違う事を感じることもある。しかしこれがユニークな面白さを生んでいる。



誰かにとっては間違いでも、本人にとっては真実に違いない

ドキュメンタリーには一種のジャーナリズムというか、”正しさ”を求めている背景があるように思う。誰もが納得する、人々が求めるであろう無難な正解を製作側は汲み取って、視聴者の求める形で作品を作る

しかし、いくらそれを練ったところで万人にとって”正しい”ものとなるとは限らない。人によってはそれが間違いにも見えるし、正しくも見えるたりするもの。万人の求める答えなど人間には出すことができない。

だから物事の正しさ、間違いというのは実はそれほど重要なことではないのだ。少なくとも作品にとって重要なのは興味深さ、面白さである。

もちろんドキュメンタリーなので事実を根拠にしなければならないのはそうだ。しかしそれをベースに語られる内容は主観的でそれが誰かにとって間違いであったとしても、そこは問題じゃない。面白いかどうか。こちらに考えさせるような”経験”を与えられるかどうか。そういう意味で、ある一人の人間という、視聴者とは異なる製作者自身の独自解釈によって生成された作品は、視聴者にとって”良質な経験”を与える作品になりうる。

この作品は様々な国の文化や抱えている問題に対して、実際にそこにいった製作者が実際に感じたことや考えたことを中心に書かれている。だからその内容が、ある種の偏見にまみれていたとしても、そこに製作者らしさがあって、一貫性のある内容が構築されているなら、それは十分面白い作品だし、見る価値は十分にある。

単なるエンタメでは終わらず、人々にそれらについて考える機会を与え、それが人々の活動に影響を与えられるような作品にだってなりうる。強いメッセージにはその人の魂が込められていてこそだ。

間違っているかどうかは重要じゃない。作品を使って自分は何を伝えるのか、伝えたいのか。それが作品に表れているかどうかが重要なのだ。

※この作品が偏見にまみれている歪んだ作品と主張する意図は全くないのでそこはご容赦ください。メッセージ性のある素晴らしい作品です。とはいえ、人は常に主観的な生き物である以上、究極的には全て偏見ということも事実なのですが。



完璧な作品などない

そもそも視聴者がそういった”完全性”を作品に求めているのだとしたら、それはとんだお門違いというか、大きな勘違いをしている。

どんな作品にも2面性がある。悪いところも良いところも。なぜそうなるかと言えば、人は完全な存在ではなく、どんなに知恵を絞ろうとも、万人にとって完璧な作品は作れないから。そしてその作品を鑑賞した同じく不完全な人間である各個人の感性に委ねられるからだ。

ゆえに完璧な作品などこの世のどこにも存在しない。それを傲慢にも求めてしまっていること自体が間違いなのだ。いわば完全な存在として宗教でいわれるところの“神”を”人”に求めている行為と等しい。

何かに完全性を求めるのではなく、その何かから自分は何を得られるのかを考えるべきだ。

受け取った情報をそのまま鵜呑みするだけでは、自分で考えていないといっているのと同義だ。自分の頭で考えて咀嚼し、何に賛同したり反対したり、あるいは自分ならどういうことを感じるのか、考えるのか。そういった独立した思考をもってみれば、この作品は楽しめるに違いない

これからの時代は個人の経験が売れる時代だと思う

人の見た景色を覗くことほど、面白いことはない。これは定量的に量産されるありふれた作品を作る組織の作品にはない強みだ。彼らは規則に従って何かを作っている傾向が強く、自分の魂で何かをつくっているという意味では薄くみえる。

ある人が見ている景色と、別の人が見ている景色というのは本人が想像している以上に違うものだと思う。人は対象を見たいように見ていて、その目的は人によって様々だ。人がたくさんいる景色を見て楽しそうと思う人もいれば、騒がしくて近寄りたくないという人もいるように、それぞれ感じることも異なるのである。

だから極論を言えば全ての人々が見ている景色は、本人を除くその他の人々にとっては面白いものであるということである。人々が誰かの物語や創作にひきつけられるのは、そこに非日常を求めているからだと思うが、思うに非日常とは以外にも身近な他人という近しくも遠く、かつ無数にいる存在の中に存在しているものなのだろう。

ネットで個人で動画や考えを配信できるようになった今の世の中は、そうした個人の強みを最大限生かせる環境であるといえる。足りないのは、そういう事実に気づいて、実際に行動することができる人達だ。

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ハイ、というわけで「世界の”現実”旅行」おすすめです。作品のレビューとはちょっと遠い内容でしたが、面白かったには違いないのでおすすめしておきます。

ドキュメンタリーはどれも似たような感じだなと数本見て後は毛嫌いしてみていなかったのですが、こちらはとてもユニークな作品で色々と考えさせてくれました。特に福島原発のお話は色々と考えることが多くて面白かったですよ。

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