人は孤独である – 人は真に理解しあえない –





孤独で理解のない人間の関係

人はどれだけ誰かと一緒いようが、言葉を交わそうが、誰の事もわからず、理解することができない。

家族、友人、恋人。そんな近しい間柄とされる人達でさえ、何も分かっていない。

わかっていることがあるとすれば、物理的な彼らの肉体的存在だけであり、彼らの頭の中、内面までを理解しているわけじゃない。

理解し合える、なんていうのは幻想で、人間ができるのは共感が限界である

その共感ですら、ただの独り相撲であり、他人が感じていることを自分は一切感じ取ることができていないのだ。

共感と理解の違い – 人の限界 –

人は、それぞれが孤独な自分という世界を生きているのだ。



物理的に理解しあっているかどうかを証明できない

人は言葉を交わして人とコミュニケーションをとる。意見を交換しあったり、一緒にどこかに出かけ遊んだり、一緒に何かをして幸せを感じたりもできる。

そのような時間をすごすと、一体感というか、相手と自分はつながっているかのように感じることもある

「自分は一人じゃない。」

「とても大切でなんでも分かり合える親友がいる」

「一生に決めたこの人がいる」

「誰かがずっとそばにいていくれる」

「誰かが自分を見てくれている」

というように、「相手は自分のことを思っていてくれている」みたいなことを確信していることがある。しかしそれは全てただの錯覚、思い込みである。

人は、例えば物理的にお互いの神経同士が接続され、脳の情報を直接交換するようなことが出来もしない限り、相手が実際に考えていることを理解することができない。

それはなぜかというと、誰も他者の考えていることを「物理的に証明できない」からなのだ。

それは「考えている事」をそのまま「形」にはできないからである。

見かけは心が通じ合っているようにみえても、実際はちがうかもしれない。そしてそれが実際にどうなのかを一切確認することができない。

「人の意志や考え、思想」そのものを、物理的世界に直接出力する手段など人間は持ち合わせていない以上、それを確かめることは出来ない。

“絆”や”つながり”はただの思い込みである

言葉の限界

自分の考えていることや感情を最も的確に伝えられると考えられている手段が言葉や文章の存在であると思う。

確かに言葉を用いれば仕事を命令したり冗談を言い合ったりできる。

複雑な情報を発信することができる優秀なツールだが、しかしそんな言葉という強力なツールでさえも

モールス信号のような”信号”以上の機能はもっていない。

モールス信号と違うのは、よりそのパターンが複雑で、かつ人間的に使いやすいというだけである。

というのは、まず前述で「人間は自分の考えていることをそのまま外に出力することはできない」と述べた。そのような手段を人は持ち合わせていないと。

つまり、考えを言葉にするという時点で既に

 

“考えていることを言葉にするフィルター”をかけてしまっているのである。

 

その時点でその人の「考えていることそのもの」ではなくなってしまっているのだ。

 

そして更にそこに“言葉を受け取る側が「聞いて解釈する」というフィルター”を通すのである。

 

この二つのフィルターを通されてしまうともうおぼろで、自分の真意などほぼ伝わらない。

せいぜい相手が自分の都合のいいように解釈してくれるだろうことを祈ることくらいしかできないのだ。

人間という”解釈する機械”

「自分の意図したことと違う内容が相手に伝わってしまって誤解された」というような経験をしたことがある人は多いのではないだろうか。

あれは、自分が発したある情報が真に相手に伝わっていないことを意味している。

勘違いが発生した時は、お互いが理解を合わせようと取り繕うだろうが、例えそれで一時勘違いが解消されたとしても、

実際のところはそのように”見えている”だけである。

また後になってまだ勘違いしていたことが発覚、或いは何度言ってもわかってくれないなんてこともよく聞く話である。

もし人が言葉で”自分の意思”を直接伝えることができていたら、”勘違い”なんてものはそもそも発生するはずが無いのだ。

解釈と結果は個人の中にしかない

言葉とは伝えるものではない。ただ発信し、解釈されるだけの記号、コードなのだ。

そして人はそんな言葉を当人の都合に合わせて好き勝手に解釈しているにすぎない。

それぞれが全く独立した解釈と出力するだけの機械にすぎないのである。

つまり人は、相手に自分の意志など全く伝えることはできておらず、かつ何もわかっていないのである。全てはそれぞれの勝手な解釈の産物でしかないのだ。

最もそれが可能そうであった言葉のやり取りの実態がこのような様である以上、

「これを超えるやり方」を考えない限り人と人の間に理解など一生生まれないだろう。

ゆえに少なくとも現時点では、人との間に相互理解など初めから存在などしていなかったのだ。

人間とは一人孤独に解釈し出力するだけの、「孤独な機械」にすぎないのである。

哲学:なぜ人は分かり合えないのか – 言葉の曖昧さ編 –

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