“他人ありきの自己愛”を捨てて”自由”になろう






2020年04月25日~:
現在メンタルヘルス系過去記事を順次全書き直し中です。
上記年月よりも古い記事は順次修正予定記事になります。

自己愛は視野を狭くする

自己愛とはナルシシズムに近いものです。ただナルシシズムと違うのは他者と自己を比較することで、自分は優れていると自身を錯覚していることにあります。

他人と自己を比べそこに価値を見出すという事は、他人に勝とうとすることを目的に行動し、それ以外の行動ができないということを意味しています。

何かを学ぶのも何かに打ち込むのも、何をするのも全ては「他人に勝つため」。スポーツや音楽、創作活動、学業、仕事、日常生活にいたる全てまで常にその意識の中には他人の姿があって、もし自分がまけていると感じると激しい劣等感に駆られるか、相手に対する嫉妬心をあらわにしてイライラしてしまうわけです。

自己愛という脆い鏡を守らないといけない

自己愛は自分の理想の姿を映してくれる鏡みたいなものです。俺はこんなにすごい。私はこんなに美しい。まるで白雪姫の魔女みたいですね。
ただ自己愛は非常にデリケートです。ちょっとした他者の言葉だけでいとも簡単に傷ついてしまうくらいに脆いものです。それを守るためにはそれを傷つけようとする(ように見える)他者の様子を常に見張っていなければならず、その場から離れることができなくなってしまうのですね。

自己愛という鏡を守ることだけに人生を費やすことになってしまい、それを手放せば見ることのできた広い世界のことを知らないまま、ボロボロになった鏡をその胸に抱えながら死んで行ってしまうのかもしれません、



自己愛は不自由である

そんな人生を”自由”とは到底呼べないでしょう。他人を常に見張らなければならないということは、他人に自分の人生を握られているという観方もできます。自己愛の強い人の行動は他人の行動によって意図も簡単に影響を受けてしまうのですから、いわば奴隷です。

本人には自覚がないかもしれませんが、皮肉にもその本人の強い自己愛、プライドが、結果的に他人の振る舞いや言動に左右されてしまっているという悲しい矛盾を抱えた状態にいるわけです。

自己愛のない人生 = 主体性のある人生

自己愛を捨てることができれば、もはや自分を縛る存在はどこにもいません。そうすると自然と行動の目的も変ってきて、誰かに勝つための何かから、自分がしたいことへと変わっていきます。

行動の動機が受身的なものから主体的なものへと変わり、誰かから与えられることを期待する人生から、誰かに与えるための人生にシフトしていきます。

人が幸せを感じるには、自分がしたい誰かのためになると思うやり方、仕事、役割を見つける、または作って、実際に行動することです。

自由とは自らの意思で自身の行動を選択し、自分のやり方で自分の所属する社会に対して貢献することなんですね。その光景は孤独なものだと思います。自己愛がないということは、自分を認めてくれる人が存在しない世界にいるというわけです。自己愛のない人生は、独りきりの自分の世界を構築し、それを世界に表現していくことと言い換えることも出来ます。

自己愛を捨て、主体性をもつことを選択することで、自己否定感が消えていき、もっと身軽で自由な人生を送ることが出来ると思います。



アドラーの心理学を論理的に実践

アドラー心理学は実践が難しいとされる心理学だといわれています。

管理人が実際にアドラーの教えをもとに実践した内容の記事を残しております。

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私のうつ病の主原因は「甘え」だった。甘美に感じられた「甘え」が私を苦しめていました。

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Name : Elepan

元うつ病患者 (闘病歴10年)

約10年間のうつ病の体験と、独学で立ち直ったことや、実施した治療法について書いています。一人でも誰かの役に立つ情報になりますように… その他にも遊んだゲームの情報、世の中のおかしいと思うことなどについて考えたことを色々まとめています。

 

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