心理:「愛されたい」は「承認欲求」である




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2021年06月25日~:
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なぜ愛したいではなく愛されたいなんだろう。自分の気持ちよりもなぜ相手の気持ちの方が大事なんだろう?

だって他人の都合が自分の都合よりも大事だなんて、よく考えたら変じゃないか。

自分にとって自分は一番大事なもの。だって自分という存在がなかったら、その人を大事だと思うこともなかったんだから。

自分がいなかったら何もなくなってしまう。

自分がいなきゃ何も始まらない。なにも感じられない。なにも好きになれない。

自分がずっと他人よりも重要なのは明らかなのに、なんでそんな風に思うんだろう。

なぜ自分の愛したいという素直な気持ちよりも愛されたいという他人の都合を求めたいんだろう?

それを筆者自身の経験から分析してみました。

他人が怖い。自分に自信がない。

他人が怖いから。自分に自信がないから。

だから自分からではなくて、相手から来てもらいたい。受け身になってあちらから来てもらいたいと思う。

そして好かれたり求められたすると、ほっとするんだ。

必要とされた。うれしい。認めてくれた。

愛してくれたことがうれしい。認めてくれてうれしいという感情によってその人を好きになる。

だから愛されたい。求められたい。

感謝の気持ちに近い。こんな自分を好きになってくれて、ありがとう、というような。

そんな自分の自信のなさを埋めてくれる人が欲しい。だから他人の愛、承認を求めて、他人の好きな自分になろうとしてしまう。

愛されないと愛してはいけない

普段から自分に自信がもてなくて、他人の目が気になったり、世間の目や常識が気になったり。とにかく他人の評価が気になる。

どんな人に対しても無意識にそれがあって知り合いでもない、ただの通りすがりの目すらも気になってしまう。どんな他人にも気に入られるために、嫌われないために、常に周りに気を配って行動してしまう。

常に他人が一番、他人ファースト。まずは他人が自分をどう思っているかが大事。他人が自分にどんな気持ちをもっているかが大事。

自分の気持ちは全部その次のこと。他人の気持ちにこたえることができて初めて、好きになることができる。

他人に許されていないと感じている

でも何でこんな風に考えてしまうんだろう。

何で他人のことが先に浮かんでくるんだろう。なんで他人の許しが必要なんだろう。なんで他人からの承認が必要なんだろう

自分の好きという気持ちが、なぜ他人で左右されてしまわなきゃいけないんだろう。人を好きになることは何も悪いことでもない、自分の素直な気持ちなのに。

それは漠然とした「自分は他人に許されていない」というような無意識の思い込みがあるから。

無意識だから明確にそうは思いこんでいるわけじゃないかもしれない。イメージに近い。感覚に近い。

そう感じている日常的になって無意識になって気づかなくなっている普段の感覚が。

だからまず相手に許されないといけない気がしてくる。相手に好かれないと“いけない”気がする。

相手のことを分かってなきゃ“いけない”気がする。

常に相手の都合を満たして、必要とされていないと“いけない”気がする。

他人の好きな自分にならないと“いけない”気がする。

相手が気に入る自分でないと“いけない”気がする。

そんな相手の要望にこたえなければならないという義務感を感じる。

明確に意識しているというよりは、どこかこう、「罪の意識」みたいな感覚。その感覚が邪魔をして自分から人を好きになろうとしても受け付けない。

自分からどこか行こうと誰かを誘おうとしてもそれができない。とても気を使うし、拒絶されるのが怖いから。

もし気に入られなくて、嫌われてしまったらと思うと、とてもできない。

他人の都合を満たせなくなることがこわい。他人を裏切ることが怖い。自分から誰かを好きになろうとすると、それを自分が受けきれない気がして自分の心が、気持ちが拒絶してしまう。

一緒にいても苦しい時がある。

自分を好きかどうかわからない人を好きになることは怖くてできない。気が進まない。

自分から人を好きになるのが怖い。

だから自分を好きになってくれた人だけを好きになる。

でもその人と一緒にいることができてもどこか苦しい。

だって本当の自分は、そんな取り繕った自分ではないから。

本当の自分はその人にの思う”良い子”でも”優しい子”でも、”気が利く子”でも、”都合のいい子”でもない。

好かれる続けるために、必要とされるためにそれをいつも自分に強いて相手に気を使っている自分だから。

その人が好きだと思っている自分は、好きっと本当の自分ではないから。

だから時々自分でもよくわからないタイミグでいやな気持ちになったり、そんな状態から解放されたいと思ってどこかで距離を置きたくなる。リセットしたくなる。

人によってはそのストレスから散財に走ったり、大量に食べ物を食べたりといった、どこか自己破壊的にたまったストレスをどこかで思い切り発散したくなる。

まるでそんな自分に対する嘘、相手に対する嘘を罰するみたいに。関係性にいろんな嘘があって、自分にも嘘がある。それが少しずつ蓄積していって、それが苦しくて、生きづらくてしょうがない。

本当は嘘なんて付きたくないんだ。ストレスなんかためたくない。不安なんて感じたくない。

自分じゃない自分を演じたくなんかない。嘘をついて一緒にいたいだなんて、そんなこと望んでない。

愛してくれる人に精神的に依存する

自分を愛してくれてる人はこの世で数少ない「自分を許してくれた人」

なぜなら他人に対して抱いている漠然とした意識が「自分を許していない人」だから、世の中の全手の他人ががそんな風に見える。

そんな中でたった数人しかいない自分を許してくれている彼ら彼女らは、本当にとても貴重で、安心することができる唯一の安全地帯

だからその人が自分から離れてしまうことが怖くてたまらない。それ以外の人は自分を許していないわけだから。気が知れていない未知の脅威だから、だから相手に強く依存してしまう。

だから今自分を好きでいてくれているその人に嫌われないために尽くす。自分の身を削ってでもけなげに尽くして、どうにかそれを維持しようと頑張りすぎてしまう。自分を犠牲にして関係を維持しようとしてしまう。

愛されなくなること、「許されなくなることが」怖いから。せっかく許してくれた人を見つけたのに、また許されない自分に戻るのが怖いから。

安全な場所を手放して自分をまた危険な状態に晒すなんて嫌に決まっているから。

だからその確保のためなら人によってはたとえDVにあったとしても耐えようとしてしまう。どんないやなことをされても我慢してしまう。

一人になる寂しさ、誰にも許されていない自分になる苦痛、その恐怖に比べたらずっとましだから。

だから「その人なしでは生きられない」という感覚になってしまう。その人だけが安全地帯だから。自分を愛してくれている人という安全地帯、認めてくれている、必要としてくれている、

許してくれているという安全地帯だから。

だから精神的にその人に依存するようになってしまうんだ。

愛されたい = 許されたい

愛されたい、は”愛”を求めてるんじゃない。

好かれたい、認められたい。必要とされたい。

それによって”許し”を求めてる。

愛されることによって「自分は必要とされているんだ」「守ってもらえるんだ」と思える。

必要とされているから、自分はそこにいていいんだ、この人を好きになっていいんだ、一緒にいていいんだと、

自分がそこにいることを、生きていることを許されたかのように感じて、安心できる。

そんな承認欲求が愛されたいの実態。他人軸的な思考になっていることから生まれる欲求なんだ

本当は相手のこと好きじゃないかもしれない。

「自分を好きになってくれたからこの人が好き」

それがもし全部なかったら?もし相手からのアクションが一切なかったとしたら?

それでもその人を好きになっただろうか?

もしその人が、自分を好きになってくれてなかったら、その人を好きにはならなかったかもしれない。

もしその人がこちらのことを好きじゃなかったことが今わかったとしたら、途端に気持ちが冷めてしまうかもしれない。あるいは恐怖を感じてそれどころではなくなるかもしれない。

そんな風に相手のことを思っている自分がいたとしたら、自分は本当にその人のことが好きなんだろうか?

「受身の愛」は本来の「愛」ではない

愛とは自分の気持ち。他人の気持ちなんかじゃない。関係ない

もし自分がその人のことを自分から、本当に愛しているのだとしたら、どういうところが魅力的だからとか、〇〇なところが好きだとか、一緒にいると楽しいからだとか、能動的な理由があるはず。

でも受け身で、愛してくれているから好きという受動的な愛だと、そういった理由は語れない。愛してくれている以外に一緒にいる理由がないから。

自分の漠然とした自分一人でいることに対する不安、孤独に対する恐怖を和らげるため、自信がない自分を満たすためにその人と一緒にいるから。

それは愛しているとは言えない。

それは守ってもらっている、加護してもらっているといった方が近い。

親の代わりを求めて一緒にいるようなものだから。

愛は自分の素直な何かを好きだと思う気持ち。

他人にどう思われようが関係ない、他人とは全く関係のない純粋な自分だけの気持ち。

他人に何も言われなくても好きなもの。誰かにやめろと言われても、気持ちが悪い、おかしいといわれても関係ない、他人の許しなんてなくても関係なく自分が好きなもの。

熱く語れたり、それを考えたりするだけで気持ちよくなれる、十分に幸せだと思える何か。

愛は気持ちがよくて、心が軽くなるような、素晴らしいもの。他人に対する恐怖なんて少しもそこにはない、自分だけの前向きでエネルギーに満ち溢れた幸せな気持ちだ。

愛する人を求めるのは、単純に自分が愛したいから求めるんだ。

それだけのもので、それで十分、それがすべて。

他人からもらう必要なんてなくて、自分が感じる愛、愛したいという気持ちがすべてなんだから。

その他人の愛を求めて、されることだけを求めてしまう気持ちは、承認欲求でしかないんだ。



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自己紹介

Name : Elepan

元うつ病患者 (闘病歴10年)

約10年間のうつ病の体験と、独学で立ち直ったことや、実施した治療法について書いています。一人でも誰かの役に立つ情報になりますように… その他にも遊んだゲームの情報、世の中のおかしいと思うことなどについて考えたことを色々まとめています。

 

5 件のコメント

  • 高3男子です。
    記事の内容が、今までの人生の中で自分が考えてきた思考や疑問に思っていたことなどと当てはまるものが非常に多く、Elepanさんの記事にもっと早く出会っていればよかったと感じました。

    • コメントありがとうございます!
      なるほど、そうでしたか…何かのお役に立てたならよかったです。
      客観的に自分のことを分析してみるといろんな発見がありますね。
      私もアドラー心理学とか、もっと早く知ることが出来たらなって思います。
      そういう情報がもっと身近なものであれば、不幸に陥ってしまう人も減らせるかもしれないですね…

  • 素晴らしい記事ですね。
    感動しました。
    まさに私のことが書いてありました。

    行動に主体性が無いし、論理的では無い。

    面白くもなんとも無くとも話し相手に作り笑いをしてしまったり、寂しさから好きでもなんでもない人に連絡してみたりする癖が抜けません。
    やはり本音ではないためかボロが出るようで、そういう人間関係は大抵うまくいきません。

    このままではまさに一生他人の奴隷です。

    自分の価値を他人の反応でしか評価できなくなってしまっているようにも思います。客観的に見ても、もうこれは病気です。

    この認知の歪みは治すことが出来るのでしょうか。

    • 連投すみません。
      管理人様の他の記事を見て、ほぼ解決できました。

      他人が自分に対してどう考えているのかなど確認する術はない、まさにその通りです。これが鍵でした。

      幸せに生きるのも不幸で生きるのも、直接的要因は自分であるということですね。
      全て一人芝居だったのか!と安堵しました。
      私を不幸にする敵など世界中に一人もいないんだと。

      少しずつ歪みを修正していこうと思います。
      素晴らしい気づきを頂き、本当にありがとうございました。

      • お役にたててなによりです^-^
        他人のことはわからない。だから考えてもしょうがないんですな。
        人目を気にしなくなれば明るい人生が開けると思いますよー!

        話は変わりますがちょっと新しいサイトを作成中なので(公開はまだ先ですが…)、
        もしよければどうぞ。もし思い出された時にでも^-^
        ちょっとブログの単体記事形式だと限界があると感じてきましたので…

        ともあれ、たけるさんの人生が幸福であることを祈ります!

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