哲学:「愛されたい」は「愛」ではなく、「承認欲求」である





人間最大の幸福は「何かを愛すること」である。人間最大の不幸とは「誰かに愛されることを求めること」である。

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自分を好きな人を好きになることと、自分から人を好きになることとは、その性質が本質的に異なる。

それは一言で言えば主体性のなさ。

自分が愛されていることに安堵している。でも、同時に、本当に”相手自身”を愛おしく思っているかと言えばそうとは限らない。

 

「自分を認めてくれる人を好きになる」

「自分を愛してくれる人が欲しい」

 

それをしてくれる相手に強く依存してしまう。相手が自分から離れることが怖くてたまらない。

つまり自分が愛しているのは相手自身じゃないんだ。「誰かに愛されている自分自身」なのである。

自己愛なのだ。



受け身思考の危うさ

受け身思考というのは、基本的に自分から行動を起こすことはない。

主体的に自らを使って外の世界や誰かに表現して、誰かに何かを伝えたいという目的をもっていない。

基本的に相手の出方待ちで、何かをされることを期待しており、それを受けてから行動を起こすスタンスをもっている。

そういうスタンスをもって相手と関係を持ちたいと思う心理の底には、主体性のある行動するということをリスクだと考えている心理があるんだ

自分から行動して嫌われてしまった時のことが怖い。だからそれを回避しようとして、自分を認めてくれる相手を欲してしまう。

人目が怖くて、まるで相手が自分の心を見透かしているような感覚があるかもしれない。

常に他者に観られている、監視されていると感じている。それが不安感を増長させ、そんな自分を安心させるためにも一層承認欲を掻き立てられてしまう。

この承認欲求が強烈であればあるほどいわゆるメンヘラになりやすく、強く相手の動向や発言に影響をうけやすくなってしまう。

その強烈さは承認欲の強さに比例していく

認知の歪みが生む「歪んだ愛」

「愛すること」。これについても歪みが生じており、健常者のそれとは非常に異なる性質をもってしまっている。

健常者は、常に主体的で自分が単に気に入った人を素直に好きにも嫌いにもなれる。

相手から好意をもたれ、それを伝えられることがあったとしても、それは健常者にとっては関係を始める単なるきっかけでしかない。

実際に相手とどういう関係を結ぶのかは、実際に話をして相手の人と成りを知ってからである。

しかし承認欲求が強い場合はそうではなく「愛されること」を”愛”であると考えている。

そのため、相手が自分に好意があるとわかると、それまでなんとも思っていなかった人にさえ、途端に気持ちが変わり簡単に好きになってしまう。

本来、他者の考えていることと、自分の考えていることは本質的に関係がない。

自分を好きなったからといって、イコールその人を好きになるというような非論理的な判断を下すことには至らないはずなんだ。

「受け身の愛」の正体は「承認欲求」である。

「好きになる事」と「承認欲求を満たす事」がイコールになってしまっている。

この二つは、本来何の関連性もない。関連性を持たせてしまうと、一生他人の操りに人形になってしまいかねない。

 

自分から何かを、誰かを愛することがどういうことなのかについて、一生知ることができないままになってしまう。

 



「受身の愛」は本来の「愛」ではない

愛とは与えるものであって、与えられるものではない。

人は相手のことを理解できない。つまり実際に相手が自分を愛しているかどうかはわかりっこないってことなのだ。

人間関係の繋がりの根源にあるのは「共感」であって、「理解」ではない。だから人は相手が本当はどのようなことを考えているかを永久的に知りえない。

人は孤独である – 人は真に理解しあえない –

だから「愛される」ってことは、元々人にできることじゃなかったんだ。わからないんだから

人が確実にできるのは、「何かに何かを与えること」、つまり

 

「何かを愛すること」

 

これしかないということなんだ。

誰かから「与えられる」物が何である事を理解できない以上、それらは全て自分の想像の産物でしかなかったんだ。

愛の対象は人に限らない

愛するその対象は人ではないのかもしれない。動物などのペットに愛をそそぐかもしれないし、観葉植物などの自然物やモノかもしれないし、趣味に愛をささげるのかもしれない。

愛とは、何も人に対してのみに与えるものではなく、万物に与えることができるものなのだ。

「愛」に許可なんていらない

素直に誰かを愛しいと思う事、ペット、物を愛しい思う事。

そうすることに、どこか抵抗、罪の意識を感じてしまっているのではないか。

そんなことはないんだ。



誰にだって何かを、誰かを愛することはできるんだ。それを出来ないと感じてしまっているのは、

 

他者の承認が必要だと思ってしまっているからなんだ。

 

相手に好かれていなければ相手を愛しちゃいけないと思ってる。

そんなことはない。片思いってのは、元々そういうもんじゃないか。

 

自分には絵心がないからどうせ絵を始めてもどうせどうにならないと思ってる。

そんなの関係ない。下手かどうかに「好き」は関係ないんだ。

 

周りがばかにすることを気にしてる。「お前みたいなやつが」「あなたみたいなやつが」などと。

関係ないんだ。そんな外野の声なんて。

自分がある何かを、誰かを好きで、そういう気持ちが確かにあるって思うのなら、それは紛れもなく愛なんだから

それを「伝えたらいい」「表現したらいい」だけなんだ。その後のことは相手の都合、結果次第だけど。

でもそれでいい。それが健常だ。なぜならそれは「愛を与えた」ってことだ。それはとても素晴らしいことだから。

それで上手くいかなかったとしても、次に活かせばいい。愛を与えるって行為は、既にそれをしてるその時点で幸福なはずだ。

愛を求める行為はそれが得られるまでずっと不幸だが、与える行為は与え続けている限りは幸福なんだ

語り:他人の意識なんて無視していいよ

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5 件のコメント

  • 高3男子です。
    記事の内容が、今までの人生の中で自分が考えてきた思考や疑問に思っていたことなどと当てはまるものが非常に多く、Elepanさんの記事にもっと早く出会っていればよかったと感じました。

    • コメントありがとうございます!
      なるほど、そうでしたか…何かのお役に立てたならよかったです。
      客観的に自分のことを分析してみるといろんな発見がありますね。
      私もアドラー心理学とか、もっと早く知ることが出来たらなって思います。
      そういう情報がもっと身近なものであれば、不幸に陥ってしまう人も減らせるかもしれないですね…

  • 素晴らしい記事ですね。
    感動しました。
    まさに私のことが書いてありました。

    行動に主体性が無いし、論理的では無い。

    面白くもなんとも無くとも話し相手に作り笑いをしてしまったり、寂しさから好きでもなんでもない人に連絡してみたりする癖が抜けません。
    やはり本音ではないためかボロが出るようで、そういう人間関係は大抵うまくいきません。

    このままではまさに一生他人の奴隷です。

    自分の価値を他人の反応でしか評価できなくなってしまっているようにも思います。客観的に見ても、もうこれは病気です。

    この認知の歪みは治すことが出来るのでしょうか。

    • 連投すみません。
      管理人様の他の記事を見て、ほぼ解決できました。

      他人が自分に対してどう考えているのかなど確認する術はない、まさにその通りです。これが鍵でした。

      幸せに生きるのも不幸で生きるのも、直接的要因は自分であるということですね。
      全て一人芝居だったのか!と安堵しました。
      私を不幸にする敵など世界中に一人もいないんだと。

      少しずつ歪みを修正していこうと思います。
      素晴らしい気づきを頂き、本当にありがとうございました。

      • お役にたててなによりです^-^
        他人のことはわからない。だから考えてもしょうがないんですな。
        人目を気にしなくなれば明るい人生が開けると思いますよー!

        話は変わりますがちょっと新しいサイトを作成中なので(公開はまだ先ですが…)、
        もしよければどうぞ。もし思い出された時にでも^-^
        ちょっとブログの単体記事形式だと限界があると感じてきましたので…

        ともあれ、たけるさんの人生が幸福であることを祈ります!

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