自由への道は”「毒親」からの解放” と “「大人」への成長”である





親は絶対的存在ではない。

しかし、人々の中には、親を絶対視し、親に逆らう事に罪の意識すら感じている人もいる。

でもそれってよく考えたらおかしいことだ。親も自分と同じ、ただの人間である。人間なのに、同じその他大勢の人間とは明らかに扱いを「親だから」という理由で不当に変えている。そこにはなんの合理性もない。

もし縁もゆかりもない人間と知り合う機会があったとして、その人がどんなにひどい人であったとしても、あなたは関係を持とうとするだろうか?

むしろ避けようとするだろう。一緒にいて不快になったり、そこに建設的な理由がないなら、いる意味がない。

しかしなぜか親はそうはならない。「親のいう事は守らなきゃいけない」「親は特別」と、まるで親を神か何かのようにとらえている



親は”神”じゃない

もう一度いうが、親は人間である。神ではない。人間は完璧じゃないし、間違いも当たり前のように侵す。それは今も現在進行形の形でいかに年を積み重ねようと変わらず、だれもがそうである。

そういう事実があるのにただ無条件に「親を敬え」というのは明らかに一方的な要求であり、例え衣食住を与えてくれる立場に親があっても、その精神性までを権力を振りかざしてコントロールするべきではない。

親という絶対的な権力の元に己の身や思考までをも管理された教育受けた子供は自立心にかけ、人間関係を上下の関係でとらえるようになってしまう可能性が高い。

敬うという行為は自分が実際に相手の尊敬できるところを見出した時に初めて発生するものであり、強制されるようなものではない。

親であろうと子であろうと、自分以外の人間は全て「他人」には変わりないのである。他者の問題と自分の問題の領域を曖昧にしてしまう家庭環境で育った子は

高い確率でこの領域を見誤り、将来的に人間関係に苦労することになる。

幼い子供にとっての世界の大部分は日常の親との関係である。それを通じて自分がどのように世界と関わっていくのかを学んでいく。いわば人間の人格における基礎の中の基礎。この部分がゆがんでいると将来的に非常につらい思いをすることになる。

私の母親

私自身の話をすると、私の自由を縛り続けていた主なる要因となっていたのはやはり母親だった。

母親は何かと親という権限を私に行使してきた。子が親に逆らうということを許さないような人で、常に一方的でまともに会話ができない人だった。

私が母親に正面からぶつかって母親の嫌いなところを指摘すると、母親は仏頂面をして全く話を聞こうともせず、私を無視し続けた。

ろくに話も聞かない反面で、「あなたのことはなんでもわかる」などと、”自分に都合にいい私の像”をいつも私に押し付けてきた。

こちらのプライベートにも遠慮すら全くみせず、自分の子供なんだから当然と土足で入ってくるような人だった。親しき仲にも礼儀ありなんて言葉は全く通用していなかった。

私はそういう環境の中で育ち、いつしか人と話をすることに億劫になってしまった。人に話しても何も伝わらないどころか、すぐにこちらを否定し、一方的な要求をされることを恐れていた。

自分の意志で何かをすることに罪の意識すら感じており、内心で非常に窮屈な子供時代を送っていた。

そしてそうやって自分の内側に仕込まれた毒が、社会に出て一気に毒性を強め、私をどん底に落とすことになった。

自由に生きる

今はうつから解放され特に不自由なく生活しているからこそこう考えることができるようになったが、当時の私はそんな母を死ぬほど恨んでいた。

しかし今は母親を恨んでいたりはしない。結局のところ、親も人間なのである。母親がどんなことを考えていたのかは私にはわからないが、おそらくそこに悪意はなかったのではないかとは思っている。ほぼ無意識レベルで、それが”親としてのあるべき姿”だと思っていたのかもしれない

親に”自分の理想とする親の像”を求めるのは、親がしてきた、”理想の子の像”を私に求めてきたことを繰り返す行為でしかない。そこには何の進歩もない負のループでしかない。

母親と私は親子である以前に対等な人間である。だから私も彼女が母親である以前に一人の人間であると認めることにした。そう考えると、もうそこには単純な人間関係だけが残った。

私はこの人とどうしたいのか。私はこの人と一緒に居たいと思っているのか。

冷静に考えることができれば結論はすぐにでた。私はもう母親とは一緒にいたくない。母親と一緒にいても楽しくもないし、建設的な会話はできないことはもうよくわかっていた。

そうして私は自由になった。親という偏見、認知の誤りを正し、母親という呪縛から解放されたのだ。

自由とは何者にも縛られてはならない。他者に押し付けられた価値観に洗脳されている状態は、手足をつながれた奴隷の姿だ。

自由とは自立である。自分という哲学を磨き、自分で思考し、自分で答えを出して、自分の足で人生を歩いていくことを意味している。



自分の親から垣間見た日本が引きずってきた”幼児的社会”

自分たちの親が生きてきた時代は、今よりもずっと封建的かつ官僚的だっただろうし、形式的に生きることが世の普通だっただろうから、そういった縦社会の中で生きてきた親がそう育ってきたとしても不思議ではない

しかしそういった昔の日本人がひきずってきたその性質は、個人の自立を妨げ、自ら思考し答えを出すことを恐れる馴れ合いを推奨する幼児的文化でしかない。

この国は昔から「大人」が少ないように思う。

馴れ合いの本質はお互いの世界観を尊重し合おうとする建設的な間柄ではなく、むしろお互いの世界観に内心は不満をちつつもそれを思いやりだと称して口を紡ぎ、ごまかしながら関係性をもっているだけか、自分の世界観でものを考えず、常に相手の世界観に同化しようとしているだけであり、

相手と自分に常に不誠実であり続けながらも自分に都合のいいつながりだけを求めて維持しようとしあっているだけである。

馴れ合いは自己を確立している大人がするものではない。前に進み誰かに貢献したいと考えている大人という存在がするようなことではない。

しかし現状の社会を見るに、大人になるための成長の機会を得られる人間がこの国には少なすぎたのだろう。今の日本はいまだに馴れ合い社会で合理性に欠けているように見え、いくらテクノロジーが進化しようとその幼児性を内包する人間性の方はいつまでたっても変わらず、snsなどを少し覗くだけでもその空気を容易に感じ取れる。

他者の承認を求めず、自分で答えを出して自分で自分を肯定できている「大人」が非常に少ない。

故に人を引っ張る強い力を持っている、固有の哲学、思想をもった優れた”リーダー”が育ちにくく、そのリーダーを筆頭とした新しい社会が形成されづらい社会を作ってしまっている。

それは多様性とは程遠く、いまだに画一的な社会が今日もここ日本でリアルタイムに運用されている結果を導いている。自身の哲学がない以上そこには”芯”がなく、何事も決定力にかけ、決断を先延ばしにし、問題がただ山積みになっていくまま、ただぬるま湯の中でゆっくりとそれに押しつぶされ、衰退の道をたどっているのが現代社会の姿だと思う。

日本とは、新しい価値観、つまり、個人がもつ固有の価値観、思想が育ちにくい環境なのである。最初に芽を出したとしてもやがて腐るか、自らその芽を摘んでしまうのである。



一人一人が変わることで新しい明日を創る

幼児的な日本社会を変えていくには、文字通り人々が「大人」になっていくしかない。

固有の哲学、つまり自分という存在をそれぞれ各個人がもち、己の意志に忠実で素直にいることが自然であると一人一人が考えるようになっていけば、

それはやがて社会という大きな共同体の性質となって現れていくはずだ。人の目を一々伺ってカメレオンが如く自分を変えていては自分に嘘をつき続け、自分にも相手にも不誠実になる。それが社会の不誠実さと嘘くささ、責任の所在の不透明さ、そして幼児性を生み出している。

社会とはその個である人間が無数に集まってつくりだしている。つまり一人一人の存在が既に今日の社会にリアルタイムで影響を与えているということだ。現在の社会の姿は、自分も含めた人間達が作り出した姿であり、その姿の責任は一人一人にあるということなのだ。

つまり社会を変えようとするなら、最も効率的かつ確実な手段とはまず自分から変わることなのだ。自分を大人へと成長させることなのである。

そして成長するまでに感じたことや経験したことを、他の人に教えていくのだ。そして学び続けること。自分が与える何かを学ぶこと。

それが大人の務めなのである。

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元うつ病患者 (闘病歴10年)

約10年間のうつ病の体験と、独学で立ち直ったことや、実施した治療法について書いています。一人でも誰かの役に立つ情報になりますように… その他にも遊んだゲームの情報、世の中のおかしいと思うことなどについて考えたことを色々まとめています。

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2 件のコメント

  • こんばんは。初めてまして。拝見させていただいてコメントさせてください。
    40代、女、独身、70代の母と同居中。現在無職
    私の母も、「私が、白いものを黒言っても白と言え」とか「ご無理ごもっともでいうこと聞け」と言われます。
    会話をしていて、私は逆らったりしたつもりはないのに、決めつけて逆らったと怒鳴られ、暴力を振るってきます。普通に会話しているだけのつもりなのに。
    そして、「友達なんて必要ない。あんな友達に会いに行くなんて時間と金の無駄」とも。
    私の人生を否定し、支配しようとしています。
    私を全て否定して満足しているようにすら感じます。
    母には感謝してるのにしていないとも決めつけてきます。
    苦しいです。
    支離滅裂ですみません。私も母を克服したいです。
    長文で失礼しました

  • おつらいでしょうね…お母様が常に否定的な態度をとっていらっしゃると。
    対話が成立していないみたいですね。
    私の母も同じようなところがあって、常に自分の意見が正しいと思い込んでいる人で、自分がいくらおかしいことを説明してもふてくされてまったく聞こうとしない人でした。

    そんな自分は最終的に家を飛び出して物理的に距離をとったのですが、りんのさんは今のところそれは難しそうですね…

    となると、なるべくお母様と接する時間を減らしてみるというのはどうでしょうか。外出を増やすとか、お互いが同時にお家にいる時間を減らしていくというのは。

    そうすればストレスが少なくなって気持ちももっと晴れやかになれるかもしれません。

    稚拙な助言ではございますが、もしお役に立てればと…

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