哲学:現代社会の「うつ」の根源にある「余剰過剰な偶像崇拝」





最近ずっと考えていることがあった。人はなぜ悩むのかということについて。

私はその原因を少し前までアドラー心理学でいうところの「すべての悩みは人間関係に起因している」だと考えていた。

それ自体は今も真実だと思っている。しかし、私は少しこれがわかりにくくも感じていた。確かに全ての悩みは突き詰めれば全て人間関係、つまり他者と自分を比較していることから発生することに行きつく。

しかし、これよりももっと根っこの部分があるのではないかと考えた。もっとわかりやすいシンプルな答えがあるのではないかと。

そして私は、人が悩むのは“「苦痛を感じる偶像崇拝」をしているからではないのか”という結論にたどり着いた



「偶像崇拝」とは

偶像とは、何かを象ったもの。人が物質的な何かを道具を使って加工したもの、例えば人の像なんかがそれにあたる。中には概念だけのものもある

つまり偶像とは人が作った物、つまり人が存在しなければ存在しえない物であり、完全な自然界には存在しない物である。

偶像崇拝とは、“人が作った何かを崇拝する行為”のことである

古代遥かから人々は、この「人が作ったもの」を崇めることで、人々を幸せにしてきた。しかし時代が進むにつれ、その偶像は増加の一途をたどっていった。

様々な宗教が作られ、様々な人価値観、モノが増えていった。特にここ数十年の間のそういった”偶像”の増加傾向は目まぐるしいものがある。

SNSなどが普及してからは個人の価値観考え方までもが書き込みによって全て情報されモノとして残されていき、そのような”小さな偶像”たちは、それは今も爆発的な増加率を伴って日々量産され続けている

偶像崇拝は全ての人々の思想の根底にある宗教である

偶像として最もポピュラーなものが、宗教などにおける“神”の存在

ユダヤ教のヤハウェように”形のない神”もいるものの、その”概念”自体を作ったのは人であるから、やはりあれらも同じく偶像ということになる。そもそも宗教という考え方そのものが既に人が作ったもので、これも偶像だ。

人間は何かしらの宗教観を持っている。無神論者の人達も、信仰の対象が神ではないというだけで何かに価値観を置いている。

思うに偶像崇拝とは今ではすっかり日常に溶け込んだ無意識レベルの宗教であって、何かを嫌いになったり好きになったりした時点で、その対象、「偶像」を崇拝しているという行為になるのだと思う。

例えば人を好きになるのも、その好きになった対象を崇拝しているといえるし、身近なゲーム、芸能人から、哲学、歴史、科学、宗教、考え方、生き方などなど、あらゆる人がいなければ存在しえなかった概念、思考、価値観などのあらゆる存在に対して何らかの趣向性、価値観を置いている時点で、人はその偶像を崇拝しているということになる。

つまり人間の基本的な宗教観は偶像崇拝なのであって、人間として生きていればほぼすべての人がこの宗教の信者ということになる。キリスト教などの宗教はその派生型、より具体化した形であって、全ての人が作ったものは、この偶像崇拝という考え方を抽象概念として具体化したものなのではないかと私は考えた



急速に発展した現代の偶像社会

現代社会は本当にモノがあふれた社会である。経済的に豊かで様々な人が作った消費しつくすにはあまりにも多すぎるモノに人々は囲まれて暮らしている。

それは物質的なものに限らず、文字や言葉などの手に触れられないモノもそうで、snsなんかでは人の些細なつぶやきでさえ全て情報化され、「いいね」のボタンによってそれが偶像化されている。

ネット上に存在する様々な情報は世界中の人々が利用しそれを残しているためにとんでもなく巨大で、かつ膨大な様々な形の偶像を普及する“偶像拡散装置”としても機能し始め、これが現代社会の人々に”偶像のパンク現象”を起こしているのではないかと考えられる

偶像を詰め込みすぎてパンクしている現代人

人の数だけ偶像の形は存在する。これは人の数だけ様々な考え方が存在し、正しいと思う事こと、間違っていると思う事全てが異なるという事を意味している。

情報社会はこれだけ違う偶像を、大量の人間が持ち合い、主張、表現することを可能にしている。それが時に「バズる」「炎上」などの形となって現れ、人々に刺激を与え、場合によっては不幸を作り出しているようにも見える。

つまり現代社会は、数多の”個人が崇拝する偶像”の正当性をめぐり、宗教戦争や協定が絶え間なく繰り返されている世界なのである。

そうしてその戦争で勝った負けたを繰り返し、今日も無数の「勝ち」「負け」を繰り返し、それらはすべて情報化され今も残り続けている。

そういったものを人々は当たり前のように目にするようになっていて、自分でも気づかぬうちに、様々な他者の偶像を自信の崇拝、あるいは攻撃対象として取り込むこととなり、精神を病んだりする人間が増えてきた要因にもなっているのではないかと思うのだ。

何を崇拝するかを取捨選択する

私は以前、偶像崇拝を否定する記事を書いた。偶像崇拝を行うことは人生を他者に操られる危険性があると考え、それに対する注意喚起をするためだった。

「ワナビー」になんかなったらアカン! 偶像崇拝は資本主義の罠だよ

しかし結局のところ、人は生きているという時点で、何かしらの偶像を信じざるをえない。ポイントは誰かが作った偶像を疑うことなく信じるのは危険ということであって、偶像崇拝そのものをしてはいけないということではないことにきづいた。

よって、人の幸福を考えると、個人にできることは、どの偶像を崇拝するのかを選ぶことにあるのだと考えた。

ある偶像が気に入らなければ崇拝する必要はないし、したいものは崇拝したらいい。自分で作りたい偶像があるなら作り出せばいい。

既存社会に存在する飽和状態の様々な偶像を、全て崇拝する必要などないし、人は時間もリソースも限られているから、どこかで限界が来る。

己の内側に取り込んだ無駄な偶像対象をデトックスしていけばどんどん人生はシンプルになって、肩の荷もすっと軽くなる。

見た目にこだわるのがしんどいなら、もうその偶像は捨てる。人の評価が厳しくてしんどいなら、人の評価を求めるという偶像を捨てる。

人に愛されたくて辛いなら、愛さられるという偶像を捨てる・

自分に苦痛を与えるばかりの偶像など価値はない。そんなものは捨ててしまって構わない。自分で何を選び、捨てるのかを考え、自分で実行することが重要だ。

人間の価値観は突き詰めれば全ては偶像でしかなく、多分そのほとんどが誰かが過去に作って受け継がれてきた偶像なのだ。それを全てクソ真面目に受け容れる必要はハナからない。

自分の足を引っ張っている様々な偶像を捨てていく。自分にとって本当に必要な偶像だけを自分の意志で選び、または作りだしたり加工して、それを信じることが幸せなのだろう。

思えば私もうつ病の治療の過程で様々なものを捨てたことで、身が軽くなっていったことを思い出す。そうやって自分の生き方をシンプルにすることができた。

それは自分の崇拝していた足かせになっていた偶像を捨てる行為だったのだ。

我慢はつらいだけ

日本は「皆仲良く」「人との絆」という偶像を崇拝している社会だと思う。それを崇拝することで楽しいならそれでいいが、

それでつらいと感じていたり、納得できないのならその偶像は捨てていいのだ。しかし日本は「我慢を尊ぶ」という偶像を崇拝してもいるから、それを捨てることに罪の意識を感じていると思うが、

だったらその「我慢を尊ぶ」という偶像も捨ててしまえばいい。考えてみると、なぜ我慢する必要があると今まで難く言われてきたのかと言えば、

それは絶えることによってその先にある自分の欲しいものに手が届くかもしれないということを信じているからだった。

でも我慢したって手に入らないものもたくさんある。むしろ、我慢して手に入れるよりも、

楽しんでその過程で手に入れた方がずっと幸せだし、ずっと楽しい経験ができる。もちろん多少の我慢で手に入るならならそれも価値ある考え方だが、とてもつもない我慢を強いられるならそれはかえって自分を不幸にしてしまうだけである。

自分にとって都合のいい偶像だけを手元に残して、捨て置いた偶像は見ないようにすることが現代社会を幸せに生きていきていくコツなのではないか。

しかしそこに信念があればそれは別である。とてつもない苦労をしてでも何かに耐える価値があることは、そこに自分に信念が伴っていなければ絶対つぶれる。

自分が本当に大事だと思う事のために向かって前進し続けることに我慢という偶像が乗るなら、それは自分にとって都合のいい偶像となる。

自分にとって信じるべき偶像が何かを知るということは非常に大事なのだ。

自分にとって本当に大事なものはなにか。邪魔なモノは何か。

自分を知るという事、自己分析は大事なことなのである。



嫌われること

自分に信念をもって行動すると、その道中で誰かと衝突することもあると思われる。それが嫌われる勇気の神髄なのではないか。自分を通せば当然自分を嫌う人間は増える。しかし、人に嫌われたくないという偶像を捨てさえすればもうそれも問題ではなくなる。

ネットをやって苦痛ということであればネットをやめる。人と無理して付き合って苦痛なら付き合うことをやめる。コンプレックスや劣等感でつらいないなら、コンプレックスや劣等感という考え方を捨てる。他者から押し付けられた偶像なんて全て無視すればいい。

自分の行動に妨げになっているいらない偶像をどんどん捨てていくのだ。最近流行りのミニマムリストのようなものである。そうすればずっと身軽で自由に生きていくことができると思う。

世界を”定義”するのは「自分」だ

現代人はテレビやネットなどの偶像拡散装置に今日も晒され続けているという自覚を持つべきだ。

自分が何かについて間違っていると思っていたとして、しかし他人の言うことも正しいことだからと、全てが正しいことのように受け入れようとするから時につらく、自分を見失ってしまうことになっている。

人はどうしたって人と相いれない時は必ずある。その結果、仲たがいをするのはもはや合理で、それを避けようとすればするほど、自分を殺している。

他者の偶像を崇拝しようとすることによって、自分を削り、そこに”芯”はなくなる。他者の世界の捉え方と、自分のとでは違うし、相容れるものじゃない。

だから自分が世界をどう捉えたいかは自分が決めればいい。

もしそこに苦痛があるなら、それは自分にとって適切な世界の捉え方をしていないことを意味している。

あなたがどMであれば話は別だが。こんな記事をわざわざ読みに来てくれたのだからそれはないと…思…う

どうだろうか…

人に合わせた価値をもつことをやめて、純粋な自分の目で世界を捉えた時に、どんな世界の見方をすれば、自分にとって相応しいのかを自分で決めるのである。

自分が本当に見たい世界はどんな姿なのか。そうやって自分自身によって作られた”世界という偶像”こそが自分だけの幸運と勇気をもたらす唯一神なのだ

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元うつ病患者 (闘病歴10年)

約10年間のうつ病の体験と、独学で立ち直ったことや、実施した治療法について書いています。一人でも誰かの役に立つ情報になりますように… その他にも遊んだゲームの情報、世の中のおかしいと思うことなどについて考えたことを色々まとめています。

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3 件のコメント

  • 現代は偶像が溢れかえっていて、SNS がそれを拡大しているというという見方は斬新で刺激を受けました。
    ニュースやテレビなどで繰り返し放送される恋愛、容姿、学歴などのよい人を繰り返し賛美しているのも偶像を拡散している。というのはわりと広まった認識ですがSNS などにより個人による偶像の布教が容易になったというのにははっとさせれれました。
    インスタ映えをこぞって競ったりするのも同じようなものの気がします
    ところで、例えば気にすることがめんどくさくなって容姿を気にするという
    偶像を捨てて身なりを気にしなくなってしまったとします。学歴なら努力をすることをやめてしまったとします。
    そうした場合本人がそれで満足していたとしても世間にはその偶像が広く流布しているわけでさながら異端者のように扱われて魔女狩りのような状況が起こりかねないと考えます。
    これは回り回って結局自らの首をしめてしまうように思われます
    もし多くの人間にとってのパラダイムシフトが起きて、偶像を捨て(改宗)しするような出来事が起こったとするならば、迫害されたりすることはないようにおもいます
    ただそれはかなり難しいです
    偶像と一般的に言われている 社会規範 のようなものの線引きはどこでなされると考えておりますか?
    拙い文章失礼しました。

    • コメントありがとうございます。

      私の社会規範のベースはアドラー心理学の「共同体感覚」と、「他者貢献」になります。

      平たく言えば、人や社会に役に立つと“自分が思うこと”を考えて行動するという考え方です。

      他者がそれを実際に役に立つと思うか、喜ぶかどうか、または他者がそんなことをしている自分を迫害するかどうか、という問題は「他者の課題」であるため、自分の考えることではないとして考えています。

      しかし、相手から「やめてくれ」と言われたり、自分の中で何かが間違っているかもしれないと気づいた時は、それをきっかけに自分の考えを再考して場合によっては修正するということもします。

      この時「嫌われたくない」という他者の課題を解決しようとする動機でそれを行うのではなく、本来の自分の目的を達成する上でそれを行うようにする必要がありますが、

      これを実際に実践するのは時間がかかると思っています。とまぁこのような感じでしょうか。

      ちなみになんですが、私の思う偶像というのは、何も形ある偶像に限った物だけではありません。人が考えた概念やあらゆる価値観、良しとされていること、悪しとされている事も全て偶像だととらえています。

      つまり人がいなければ存在しえなかったあらゆるものは全て偶像であるという考えです。

      あともう一つ、「社会規範」というものについて、話をさせてください。

      正しい社会規範の線引きはかなり難しい問題というか、多分人間には不可能なのではないかと個人的には考えています。

      社会規範は自分以外の他者ともその考えを共有していることが前提にあると思うのですが、

      まずその”正しい社会規範”というものを、人が他の人と同じように理解すること自体がかなり難しいと思っています。

      人間が感じられるものは、自分の意識と思考、そして感覚器官を伝って感じる”センス”になります。

      つまり人は外界の情報、自分の意識や思考という内面”以外”で起こっている事柄について、5感の機能の範囲内でしか物事を感じ取ることができず、それ以外の対象について、例えば他者の意識や考えていることを理解することはできていません。

      例え文字によって明確に社会規範が明記されていたり、事細かにそれについて説明が行われたとしても、人の文字や言葉による意志伝達は実は結構雑多なもので、かつ個人差もあり、自分の思考を100%言語化して出力できてはいないと個人的には思っています。

      さらにその言葉を解釈する人の「解釈の仕方」によっても伝わる情報の内容に違いが出てしまうので、全員が同じ文章を読んで同じように理解するとは限りません。

      他人の意識を読み取ることができているとか、理解できているように感じているのは実際には「共感」で、「共感」とは他人が感じているであろうことを自分のことのように感じることを指します。つまり主観的なのです。

      ここで社会規範とは何かについて考えて見ますと、これは社会を生きている人々が守るべきルールや、マナー、道徳観などがあげられると思いますが、

      これもある種の共感によって成り立っているのだと私は考えています。

      つまり社会規範という、全員が同じ認識をしているだろうと考えられているこの概念でさえ、全ては各個人の主観的解釈に基づくため、究極的には思い込みで、実際にはかなりの誤解をしあいあっている可能性はあります。

      この辺りの哲学的内容については、最近以下の記事にまとめておりますので、もしお時間があれば一度お読みいただければと思います。

      http://dessindezyoutatsu.xyz/post-4762

      結局のところ人にできるのは、「自分にとって正しいと思う事」、「間違っていると思う事」、「したいこと」「したくないこと」というような

      主観的な決定に限られていて、他者とそれを共有しているといくら感じていても、それもあくまで自分の主観で、憶測の域をでないと思っています。

      となれば、「人に嫌われるかもしれない」というのも、結局は他者の意識を想像しているだけなので妄想の域を出ず、

      社会の目や迫害というこちらに対する何らかの悪意を伴っていそうなものでさえも、

      その悪意を自分自身が実際に他者の思考から読み取った上で感じているわけではなく、やはり想像上の産物なので、それを気にするのは果たして価値があることなのか、とそういった偶像の価値を再考することもできると思うわけです。

      • 詳しい説明ありがとうございます
        他者の課題ではなく自らの課題を達成するという考え、とてもわかりやすかったです。
        紹介して下さったサイトもみてみます

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