日本の恋愛事情は色々とおかしい – 愛のない恋愛、結婚観 –




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2020年04月25日~:
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世間をざっとみても日本の恋愛はどこかおかしい気がします。嘘くさいというかなんというか、皆自分に嘘をついているのではないかと思うことがあるんですよ

私はそういうのに嫌気がさしてやめてしまいましたが、そのときに感じた違和感をここに書いていきたいと思います。

「容姿」が最重要

まずよく分からなかったのが、なぜ容姿で付き合うかどうか決めるのだろうか?ということ。確かに美しい人は惚れ惚れするような人もいますけど、だからっていきなり恋仲になりたいっていうのは急すぎやしませんかね。中身が合わないと楽しくないじゃないですか。

外見も内面も素晴らしい人間はいないとは言えません。でも、しかしその逆もまたしかりです。

つまり容姿の良さは内面の良さを保障してくれるものではないということですよ。

なのに、なぜ人々は容姿の良い人と恋愛という「べったりな関係」を結ぼうとするのでしょう?深い関係を結べば結ぶほど、相手の好きなところも嫌なところも見えてくる。

容姿、スタイルがいい相手と会いたいならアイドルでも追いかければいいじゃない。あちらの方がずっと容姿もスタイルもいいですし。触れあいたいのなら、最近は握手会とかもやってるしそれでいいじゃん。セッ○スしたいなら単にそれだけの関係の人つまりセ○レを作ったらいいじゃない。最近は結構流行ってるみたいですよこれも。容姿の良い人と色々死体なら他にいろんな方法があるじゃないですか。態々恋愛という回りくどいことをする理由ってなんなんでしょうね。



友達以上恋人未満という言葉

例えば友人。これは単にお互いに気の合う存在が育む「友情」という関係性ですよね。

友情という関係も、もう少し深く覗いてみれば様々で、友人なのかわからないドライな関係もあれば、「親友」と言われる、非常に仲睦まじい関係をもつまで幅広い

友人という関係性は人間関係という形において非常に基礎的で本質的な形の人間関係であると思います。人間関係の根幹にあるのは「共感」で、共感するポイントとその強さが共通している人ほどその関係は深まっていきます。つまりどれだけ「気が合う」かということですね

さて恋愛という人間関係についてなのですが、恋愛は世間で特別なものとして扱われているようで、よく友情という関係の先を超えた関係とされていますね。「友達以上恋人未満」なんていう言葉がそれを証明しています。

でもちょっとまってください。友情という関係を超えた先にあるのが恋愛というのなら、なぜそれを結ぶ条件を「容姿」で判断するんでしょうか?

容姿で判断するのが正だというのなら、友情も容姿で判断されるのがセオリーではないですか。しかし実際友情に容姿は関係ないですよね。イケメンとしか友達にならないって、本当にたまーにそういうやついましたけど、多くの人にとってはやっぱり関係ないですよ。男の場合においては面白いか面白くないかだけですし、女性の場合は共感ですかね?よくわかりませんが。

外見、経済面というステータスで結ばれる関係性

お金のない人とは付き合えない。化粧もしない女は女じゃない。慎重は170cm以上なきゃ嫌。20代すぎると結婚は難しいなどなど…

これって愛じゃないですよね。免許か何かかな?

綺麗毎で言っているわけじゃないんですよ。愛があるかどうかって重要ですもの。いくら相手がお金をもっていても好きでもない人と同じ屋根の下って苦痛じゃないでしょうか。話が全く合わなかったり、つまらないかったり。

結婚をすることで実行可能になる明確なライフプランがあるのならそれも手段としてはいいのかもしれない。

でも「金持ちの男を捕まえれば幸せになれる」「若いかわいい女と結婚すれば幸せ」だとか、

そんな適当に相手を決めて本当にそれで幸せなんですかね?外面さえよければいいものなんでしょうか。案外、妥協することが当たり前なのかな現代人は。



日本の恋愛や結婚は就職活動と本質的によく似ている

日本で行われている恋愛、結婚は就活とよく似ているきがします。愛云々というよりは役目っていうか、義務みたいな感じのような気がします。

就活は会社に気に入られるため、多くの会社が指定するスーツという本当はきたくもなんともない服に自らの身を包み、普段の自分の行動からは想像もつかないようなお決まりの礼節と作法を復唱、コピーして、面接になったら本当は思ってもいないハリボテ志望動機を口ずさんで、その結果会社に内定されたり振られたりしている。

雇用側も被雇用側もお互いのことを値踏みして、自分にふさわしいか、コスパはどうかなんて気にかけていますよね。年齢によって難易度も上昇していき、30を超えたら難しくなったりもします。

日本の恋愛ってこれと大して変わらないと思うのですよ。年を取るだけで恋愛の対象外になったりして、恋愛は若い者がすることと世間的にも見られている側面すらあります。まるで公務員試験みたいですよ。このような損得勘定や形式的で歪んだ関係性のもとに恋愛という行為がが行われていれば、そりゃ疲れるに決まってます。楽しい訳ない。

まるで毎日が面接のようです。私だったらもって1か月ですよ。まぁ実際そうだったんですけど…

日本の恋愛に本当に”愛”はあるのだろうか?

日本の恋愛ってどこか形式的で決まった形でしか行われていないように見えます。

日本の恋愛観から見る”他人事思考”と恋愛離れの関係

男女互いに相手に「求めていること」は腐るほど語りつくされていますよね。ネットで調べるとそんな情報がたくさんでてきます。彼の気を引く10個のテクニックとか、捕まえた女を逃さない3つの方法!みたいなのとか。「与えたいこと」を話している人ってほとんどいません。基本的に全部自分の都合だけしか考えていないようなことばかりなんですよ。

相手に何かをしてあげたい、そういう自然な感情こそが“愛”じゃないですか。女房のボヤキ話や旦那のグチに花を咲かせている既婚者たちとか恋人のグチ大会で盛り上がる人達ってどういうことなんでしょうか。

そりゃ相手も自分も完全ではない人間で、時には相手に不満をもつのは自然の話です。でもそれがメインになっている人って一体どういうことなんでしょう。本当に相手のこと好きなんでしょうか?

“愛”とは何かをしてあげたいという「与えたい」というその気持ちとその行動です。相手のことをいとおしく大事に思っているかどうか。
そんなくっさい事誰も言わないし誰もやらないよって話なら、それは日本で行われているそれらに愛は存在しないということになってしまいます。

「与えられること」を求めても人は不幸になるだけ

なんというか現代人は、人と人が一緒に生きていくことの本質を見失っているのでは?と思います。人間関係の基本を忘れてしまっているのではないかと。

テレビやネットの様々な情報媒体が「これはいけない」「これをしなければならない」「こうしないと相手に嫌われる」「こうすれば好かれる」

こんなことばかり伝えてばかりだから、人々は「与えること」を忘れてしまっているんじゃないでしょうか。

哲学:現代社会の「うつ」の根源にある「余剰過剰な偶像崇拝」



アドラーの心理学を論理的に実践

アドラー心理学は実践が難しいとされる心理学だといわれています。

管理人が実際にアドラーの教えをもとに実践した内容の記事を残しております。

孤独 認知論
私の「甘え」うつ病治療


私のうつ病の主原因は「甘え」だった。甘美に感じられた「甘え」が私を苦しめていました。

そんな私が自分の甘えから脱し、

精神の安定、自由をつかむためにやったことをまとめています。


孤独 認知論
承認欲求を捨てよう


承認欲求を捨てて「自分の人生」を生きよう


孤独 認知論
人間孤独論


「人は生まれた頃から死ぬ時まで孤独である」

それを論理的に考える記事です。


孤独 認知論
ゲーム系


遊んだゲームのレビュー、攻略情報などなど


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自己紹介

Name : Elepan

元うつ病患者 (闘病歴10年)

約10年間のうつ病の体験と、独学で立ち直ったことや、実施した治療法について書いています。一人でも誰かの役に立つ情報になりますように… その他にも遊んだゲームの情報、世の中のおかしいと思うことなどについて考えたことを色々まとめています。

 

2 件のコメント

  • 同感できることがたくさんありました。
    日本人は何かにつけて型を探してはそれに従おうとする傾向が強いように思います。恋愛もそうで、容姿はこう、年収がこれくらい、といった外枠をまず作って、それに当てはまる相手を探そうとする。さらに他人の目、世間体も細かく気にする。そんな考え方に愛情など入る余地はないのですが、実際付き合おうと結婚しようとパートナーへの愚痴ばかり言っている人がほとんどですよね。愚痴もいろいろですが大抵はまさに仰るとおり、相手に求めるものばかり考えているとしか思えない愚痴が多いです。愛情もないし、精神的な成熟度みたいなものも感じません。

    恋愛に限らず、日本人は人の心を無視して「こうあるべき」みたいなルールを見ているだけの人だらけに見えます。そういう人たちはそれが正しいことと信じていて他の可能性は見えてもいないので、考えを伝えてみても伝わらない、それだけならともかく、まさに人を人と思っていないとしか思えない、心が冷えるような返答をあっさり聞かされます。
    日本人嫌いの人が、日本人はロボットのようだ、と言っているのをたびたび耳にしますが、まさにそういうことを言っている人も多いです。そして悲しいですが言っていることが正しいので否定もできません。正直、かなり怖いです。

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