自分は承認欲求を捨てられるているかどうか確認してみよう






2020年04月25日~:
現在メンタルヘルス系過去記事を順次全書き直し中です。
上記年月よりも古い記事は順次修正予定記事になります。

考えてみると、人間というのは自分で自分の顔を直接みることができていません。鏡やカメラを使えばそれも可能かもしれませんが、全て道具を使った間接的なものです。

いわばFPSゲームの主人公のように、人は自分の腕や足、肩、お腹を見ることはできますが、それ以外の情報って本来は見えません。余談ですけど、FPSゲームの主人公のモデルってプレイヤーが視認できる部分しか作られていないことが多いのですよ。手足だけとか。なんだか哲学的ではないですか?

人間の目で見ている世界についてもっと細かく説明しますと、目の付いている頭の位置から前方に向かっての範囲でしか人間はものを直接見ることが出来ません、眼球を動かしたり首を回したり、体を動かくすことで景色を見ることはできますが、自分の体だけはそうもいかないですよね。

それに、目の位置は頭蓋骨や筋肉などの組織によって頭に固定されています。よって、足のつま先から自分自身を見上げたり、腰のあたりから自分の全体像を把握するように見ることもできません。

あなたの眼球がカタツムリの目が如く伸びて腕のように動かせるのならそれは別ですが…

“誰かから見た理想の自分という偶像”を手放せているか

さて少し前向きが長くなってきたところで。

承認欲求を別の言い方で表現するなら、人に見られているか、どう思われているのかという判断に使う相手から見た自分の姿を頭の中から捨て去ることができているかとして説明できます。人に見られているというところがポイントで、人に変に見られる自分に劣等感を感じたり、逆に優越感を感じる意識が頭の中に存在しているのなら、承認欲求はまだ残っている証拠です。



オープンワールドゲームをプレイしている時の感覚

承認欲求のない世界を感覚的に説明すると、オープンワールドRPGで主人公を操作している感覚がかなり近いと思います。FP視点がより近しいと思います。

昨今のゲームは現実と見分けがつかないどころか、現実よりも美しいと感じてしまうくらいにリアルで美麗な世界が構築されています。登場する人々の表情やすれ違いざまにこちらを見てくるあの表情は本当に生きているみたいですよね。

こういったゲームをしている時に、例えばNPCがこちらをじーっと見てきた時に、現実の世界で自分がされた時と同じような感覚、例えば嫌悪感を感じたりすることってあるでしょうか。多分ないと思います。

当たり前かもしれないけど、全くNPCの目を気にしていない自分がいることは事実

その理由は操作しているキャラクターが自分と別人だからだとか、いやそもそもゲームだし、とか色々とあるかもしれませんが、共通しているポイントは他者にこう見られたい自分という偶像がそのゲームの中には反映されていないからです。

より正確に言えば、自分が自身の理想とする偶像をゲームの世界に存在する架空の人々達に承認してもらうことを求めていないからです。

当たり前の話なんですがここが重要で、この「気にしていない」感覚、他人の視線など、微塵も気にしていない感覚が重要なんですね。どこかでNPC達が騒いでるのを見たら「何してんだろ?」って彼らの目とか気にせず野次馬全開で近づいていったりするじゃないですか。現実世界だと周りの目とか気にして中々近づけなかったりとか、そもそも近づこうとしなかったり。(単に身の危険を感じるから、ってこともあると思いますが

ゲームによってはプレイヤーに中指立ててくるようなNPCだっています。でもほとんど嫌な感情なんて湧いてこないですよね。現実世界で知らない誰かに突然中指立てられたらイラッとするのに、ゲームの世界のNPCに同じことされてもなんともない。この差に承認欲求の存在の有無があると思うのですよ。

NPCは心がないから本心から自分をバカにしてるのかどうか、それを想像する必要がなくてなんとも思わないけど、現実の人間は心があるからそれを想像してイラッとする。と、

おかしなことを言っているように思うかもしれませんが、私は頭を何度か打ったことはありますが、いたって正気私は本気です(憤怒。



この時の「気にしていない」という意識、感覚を 現実世界でも同じようにできているかどうかが重要だと思うんですよね。

平たく言うと、「この世はゲームみたいなものだ」みたいな感覚ですね。まさにそんな感じ。現実世界とゲームの世界は確かに違いますが、そこに居るときの自分の感じている感覚はゲームをやっている感覚のほうが認知の歪みが少なかったりするのかもしれません。

といっても人をいきなり殴ったり殺したり、犯罪を犯すのは当然ダメだし、お腹も減るから日々の生活を稼がなきゃいけないといういろんな違いはありますが、相手の頭の中をのぞけないとか、外部に広がっている物理的世界が全ての世界という意味では、ゲームも現実世界もそれほど違うことはないと思います(もちろんゲームの物理法則と現実の物理法則とでは大きな差があるでしょうが、人間が認識できるレベルであればそれほど差があるというわけでもないでしょう。

そういう意味では、オープンワールドゲームは認知行動療法のシミュレーションとしては割と優秀なツールになるかもしれません。

大事なのは自分の5感で直接感じることのできる現実の世界

人は面白いもので、この5感で直接みている世界から離れれば離れるほど、現実のそれから遠のいていきます。

「本当はばかにしてるんだろ」と、相手の言葉の裏を知ろう相手の頭の中を頑張って想像して、結果被害妄想になったり、あることないこと考えたりします。

容姿にコンプレックスがあったら、「あの人は私のことをブサイクだと思ってバカにして見てるのかもしれない」、と疑心暗鬼になったりします。

こういう承認欲求に関連することって全部実態がないんですよね。他人の頭の中をのぞきでもしないとわからないことばかり。全部確証がない。承認欲求とは、現実の世界とは遠いところにあって、妄想の領域にしかない概念なんですよね。

承認欲求がない世界とは、5感で感じている現実の世界だけを受け入れて、妄想の世界とはそっぽを向いて生きているということでもあるのだと思います。

5感で感じる世界だけを感じてみよう

一度妄想の世界に浸るのをやめて“5感で感じる世界だけ”を感じてみてください。一度あらゆる自己否定、他者承認による自身の価値という考え方を外して、世界を感じるのです。

「目で見ている光に満たされた物質世界」、「空気の振動を伝って聞こえてくる音」、「息を吸って感じる空気中のにおい」「口に運ぶ食物から感じる味」「肌に触れることで感じる対象の触覚、暖かさ、冷たさ」

これだけを意識してみてください。他の事は何も考えてはいけません。

するとどうでしょうか。どこか空っぽというか、空虚、退屈、地味な世界のように感じるのではないでしょうか。ただフラットな、全てが平等に価値がない、いえ価値という考え方が存在しない、ただ物質でみたされた世界が、ただ目の前に広がっているような感覚。

現実世界で人間が“本当に感じとることができているもの”というのは、実はこれだけなんですね。

この一見地味に感じる世界こそが本来の現実世界なのですよ。それ以外の感じていると思っているものは、全て自分の思考、妄想の中で作り出しているものにすぎません。

この地味なような何もないようなフラットな世界が悪魔で基本です。どれだけ誰かと一緒にいようと、反対に一人であろうと、誰かから蔑まれようと賞賛されようと、

全ては等しく物質的なもので満たされている世界でしかない

そこにはなんの優劣も、差も存在しません。ただそれがそうあるだけということです。そこに価値をつけて、色を付けているのは悪魔で自分自身の認知の仕方によるものでしかないのです。



他人の正しさや間違いに無理やり従おうとしていないか

現在の世の中には、多くの人の言う正しさや間違い、価値のあることやないことが散乱しています。それにただ従ってしまっていないか、ということです。

例えば、学校の勉強の成績が振るわず「成績が悪い人はバカ」と、無意識的に誰かが言いそうな、考えそうな「成績上位の人間は優れている」という価値観を信じ込み、かつそれを使って自分を自己否定していないか、ということです。

人間が作り出したあらゆる価値観は全て絶対的なものではありません

自分が作り出している劣等感の源は、全て他者が作り出した価値観が元になっているのではないでしょうか?

もしそうなのだとしたら、一度その劣等感の種を捨てましょう。自分を真っ新な白紙の状態にしてリセットして考えるのです。

世の中にはさまざまな考え方があります。その中からどの考え方を取り入れるのか、あるいは自分で作り出して、自分を自分の思う正しく、心地よい方向へと導いていきましょう。

容姿が悪いと感じて自己嫌悪を感じるなら、容姿の良さで自身の価値を感じるという考え方をやめる。友達がいなくてコンプレックスを感じているなら、友達の有無で自身の価値を蹴ってしようとする考え方をやめる。1種の断捨離です。

「どの宗教を信じるのか、どの神を信じるのか」ということです。普遍的とされているような価値観であってもそれは同じで、そもそも人間の価値観や趣向性は、突き詰めていくと全部宗教なのです。

何を信じ、何を信じないのか世に存在する多くの”偶像”たちから少しだけ自分が選ぶだけでいいのです。

嫌われるのは悪い事?

余談:孤独は悪い事じゃないよ

ちょっと余談ですが、こういうことで悩んでいる人って孤独になることをすごく怖いものだとか、いけないことだと思っている方が結構いらっしゃるのではないか、と思います。

しかし実際の所では、この世に本当に悪い事も良い事もないんです。

[再編集]孤独な人には孤独な人の幸せがある

よって、世の中では避けるべきだと思われている孤独すらも、悪いことではありません。

孤独は自分の大切な時間を作ってくれます。人は何かを作ったりしている時は目の前の作業に集中していて、いくらまわりに人がいても心理的には孤独の状態なんです。

SNSとかで自分の発信した情報に簡単にフィートバックがもらえる時代になったから、人と人は分かり合えるんだとか、繋がっているんだとか、人と人の絆は尊いとか、きっと誰かが私を見ててくれるんだ、と思うこともあるのかもしれませんが、

人間って他人のことそんなに考えていないっていうか、ほとんどの時間自分のことしか考えてないんですよね。

実際に意識して1日の時間をどう使っているのかを考えてみると、他人のことってその時その時の自分の行動の目的の中に人がいた時に意識しているだけで、基本的には自分のことばかりだと思います。

つながっているいうと、まるでネットワークみたいに常時接続されて交信が途絶えない状態のように感じますけど、実際の所はたまに無線で自分のビーコンを送りあっているくらいのか細いものなんじゃないでしょうか。実際発信をしなくなると人々から忘れられていくわけですし。人間のつながりなんて、所詮その程度のものなんですよ。

何か考え事をしたり、自分の人生について一度考えてみるには、人と一緒にいるととても難しいのです。自分の思っていることと他者の思っていることは違いますから、同じ道を行くことはありません。

人の性質は突き詰めると孤独なのです。それが人間のニュートラルな状態。白紙の状態です。一度真っさらな自分で自分や周りのことについて考えてみれば、本当に大事なことがなんなのが見えてくると思います。

人は孤独である – 人は真に理解しあえない –



アドラーの心理学を論理的に実践

アドラー心理学は実践が難しいとされる心理学だといわれています。

管理人が実際にアドラーの教えをもとに実践した内容の記事を残しております。

孤独 認知論
私の「甘え」うつ病治療


私のうつ病の主原因は「甘え」だった。甘美に感じられた「甘え」が私を苦しめていました。

そんな私が自分の甘えから脱し、

精神の安定、自由をつかむためにやったことをまとめています。


孤独 認知論
承認欲求を捨てよう


承認欲求を捨てて「自分の人生」を生きよう


孤独 認知論
人間孤独論


「人は生まれた頃から死ぬ時まで孤独である」

それを論理的に考える記事です。


孤独 認知論
ゲーム系


遊んだゲームのレビュー、攻略情報などなど


previous arrow
next arrow
Shadow
Slider
自己紹介

Name : Elepan

元うつ病患者 (闘病歴10年)

約10年間のうつ病の体験と、独学で立ち直ったことや、実施した治療法について書いています。一人でも誰かの役に立つ情報になりますように… その他にも遊んだゲームの情報、世の中のおかしいと思うことなどについて考えたことを色々まとめています。

 

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。

日本語が含まれない投稿は無視されますのでご注意ください。(スパム対策)