哲学とは「考え続けること。考えることを愛すること。」





哲学は常に、「自分自身との対話」の中にある

実際に物質的世界の中で対話する対象は自分かもしれないし、他者かもしれないが、対話をしているその”相手”というのはいついかなる時をもってしても”自分自身”である。

人というのは主に対話する相手は常に他者であるが、その心理的世界において、実際に対話を行っている対象は自分以外にいない。

それは相手を自身の姿を映す反射板のように使い、他者という鏡に映った自分と対話をしているためである。

人は相手の頭の中を覗くことが出来ない。相手の脳の中で行われている信号や思考、記憶のやり取りを自分の頭などを使って再現することができない。

人が相手の頭の中で考えていることを想像するとき、実際に人は自分の頭の中を想像しているのだ。

然るに、例えば他者から見つけ出し欠点は現在の自分か過去の自分かはわからないが、自分自身の欠点である部分を見つけたことに等しい。

つまり他者を批判した瞬間には、いつかの、または現在の自分自身への批判を行っていることになり、そこに反省する機会は生まれる。それは哲学的世界において気づきに該当する。

心から他者を賞賛する場合においても、自身にない未知の何かに触れて触発されたものではなく、自分が選択をしてこなかったために潰された可能性を実現した人を「あったかもしれない自分」に当てはめて自分自身を賞賛しているのだ。



人は無知への気づきの過程で、様々な道具を生み出した

素朴実在論という考え方から出発している哲学のそれは、人が見ている世界が本当に真実なのかということを常に疑い、真実を追究することにあった。

そしてそれは、人間の目には決して識別できないミクロの世界があることを人は知ることになり、それは科学などのさまざまな学問を生み出していった。

そうして生み出された道具達が今こうして世の中のテクノロジーや産業に使われている。

何も哲学は、科学の分野に限った話ではなく、人の幸福や、心理分析などもっと多岐にわたる方面において、あらゆるものの基底概念である。

哲学の探求の過程で出力された気づきをきっかけに、人はさまざまなものを見つけ出し、それを道具として使ってきた。

きっとそれはこれからも変らないだろう。

無知の気づきから、人は救われることもある。

人は生まれてから死ぬまで、なんらかの宗教を信じることになる。

人は限りなく本能的に近く宗教的生物であり、何かを思考したり、価値を見出したりした時点でなんらかの偶像を崇拝していることになる。それは物質的形をもつ偶像でなくても、概念や価値観といった形のないものも含まれる。人が作りし物は全て偶像であるからだ。

例えば花が好き、虫は嫌いという至極人間的な単純なものでさえも、そういったものは全て宗教的価値観であって絶対的なものではない。なぜなら花を嫌いで虫を好きな人もいるからだ。

宗教的価値観とは、いわば人間が存在するからこそ発生する、可変的かつ絶対的な存在とは程遠い存在である。

この世に絶対とされるものは、人が作ったものや感じたこと、価値を置かれていているものの中には存在しないのである。それがあるとするなら、それはこの世という物質世界のありようだけであろう。

しかしそれでさえも人はそれを正しく認識できているかどうかはだいぶ怪しいのだが。

人は何かを理解しているようで、実は何も理解していない。

ソクラテスの言う無知の知とは、自分は本当は何も真に知ってなどいないという事を知ることである。

これを私は無知の気づきであると考えていて、それはありとあらゆる日常的生活の中にもその姿を隠しながら潜んでいると思う。

哲学:いかなる人間も、何もわかっていないし、何も知ってなどいない

しかし人はそれが真実であるとわかることはなくても、見つけ出そうとすることはできる、そうすれば何れは“その時の自分に見える形で”その顔を覗かせてくれるだろう。少なくとも、自分が生きている限りは。

そして、そういった気づきの中で、そうでなくてはならないと思い込んでいたことが、実際にはそうではなかったということに気づくことがある。

現代的な価値観を例にして考えれば、たとえ容姿が悪かったとしても、それで自身を絶対的に否定できる存在など自分を除いてどこにもいないという事実を発見できると、

では自分がそれを肯定してしまえば、その悩みはなやみでなくなってしまうということにも気づくことができる。



自分にとってもっとも必要な信じるべきことは何かを見極められる。

自身の哲学の道程の中で得た気づきによって、それが絶対的でないものであることに気づいた時に、

それが自分にとって本当に価値あることなのかを見極めることに役立てることができる

例えば「他者に対して正しくあろうとすること」は、一見”正しく道徳観ある行動”のように見えるかもしれない。

しかし実際にそこで行われている自身の心理は、相手にこびへつらいたいがため、または相手からの賞賛をえたいがためとする目的が先立っていて、誰かのためや自身の徳のためでなく、自分の評価や評判を気にしている自身がそこにいることに気づくと、

それははたして”道徳観ある正しい行動”であったのかについて再考する機会を得る。そうしていくなかで自分にとって本当に大事なことが何なのかが見えてくる。

人の目を気にすることが愚かであることだと判断した場合はそのような動機によって行動することをやめるようになり、

結果として今まで自分がしていたことから”余分”なものが削除され、変わりにすべきことに使える時間がふえていく。

人は時間的な生き物であるから、今こうして生きている瞬間も人は、常に何をするのかという機会の取捨選択を、無意識的にしろ意識的にしろ、しているのである。

そうして無駄なものを捨て去っていくことで自分にとって大事なものが何なのかがわかってくるのだ。

哲学は人にほめられるためにあるのにあらず。

それはすなわち、人の人生は人にほめられるためにあらずということになる。

つまり自分がこれからするあらゆることは、人にほめられるためにするのではなく、自身の純粋な成長、無知への探求のためである。

私の場合においては、ここにそれを残すのはそうした私の哲学の道程をここに残す目的である。その道程から誰かにとって何かの参考になるのかもしれない。

人は他者に対して、言葉や感情、態度を通じて自分の見ている世界を表現することができる。

その表現がときに、人を助けることもあれば人を傷つけることもある。しかしそれが人間のできることであり、純粋な人間らしさなのだ。

自分の人生を歩める

哲学によって自身のあらゆる無知に気づいていくことで、本当に自分に必要なことは何であるかが見えてくる。

それはつまり、それに気づいて不要なものをどんどん捨てていくことを意味する。

捨てれば捨てるほど、本当に必要なものだけが自分の中に残っていき、のこった純粋な自分とやらこそが、自分であり、人生なのだ。

ある”答え”を出すのも、その道程にすぎない

哲学の道はその道程の中で、さまざまなことに気づく機会を得る。そうして今まで自分が絶対的だと信じていたことがそうでないとわかったり、

それから新たに導き出した答えが後の哲学の道程の中でまだそれすらも誤りがあったことに気づくこともある。



哲学に終わりはない

哲学は人の人生における「考える」という行為を、体系的なものにしたものであるといえる。

人は人生の中でさまざまなものに誘惑されたり、翻弄されたりすることになるが、その時に哲学という思考ツールを使うことで、自分にとっての真実が何であるかを見極めることができるようになる。

そうした道程は、人が生きて思考し続ける限りにおいてはずっと続いていく。いわば哲学は人生と共にあり、哲学は人生の一部だ。

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約10年間のうつ病の体験と、独学で立ち直ったことや、実施した治療法について書いています。一人でも誰かの役に立つ情報になりますように… その他にも遊んだゲームの情報、世の中のおかしいと思うことなどについて考えたことを色々まとめています。

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