共感と理解の違い – 人の限界 –





一般に言われている「他者を理解する」ということは、実際には理解ではありません。

理解というのはその本質、中身についてわかっているということであり、人であれば人の思考、感情など、

人の内面、「人の心」が該当します。誰かと話しているとき、その誰かが実際に何を考えているのか、ということです。

人は他人のそれを理解できていないのです。むしろ実際にやっているのは、共感ですね。

人は他人の心を”感知できる感覚器官”をもってない

人には5つの感覚器官があります。それぞれ、視覚、聴覚、触覚、味覚、嗅覚です。

それぞれが感じ取ることのできる感覚という情報はちがいますが、全てに共通して射えるのは、外界の世界を感じ取っているということです。

外界とは今私達が感じている世界、物質で満たされたこの世界のことです。

視覚は

聴覚は

触覚は触感

味覚は食べ物などの

嗅覚はにおい

全て、なんらかの物質を元に感じ取るための器官であり、かつ人間はこれしかもっていません。

つまり外界に表れてこないもの、人の内面といった、物質的、形なきものについては一切”知覚していないんです”。



全てただの想像でしかない

人は人を理解しようとしているとき、実際にやっているのはただの想像です。

では、その”想像”を生み出している元になっているのは何かというと、自分の気持ち、考え、価値観なんです

相手の気持ちを想像するというのは、実際には、

「他人の気持ちになった”つもり”の自分」がそれを想像しているということなのです。

例えば、相手に感情移入している時、実際に感じてる感情は自分自身の感情です。相手自身のものではありません。

相手の感情なんて一切”知覚”していないんです。相手の”つもり”になっているだけなんです。

他の例として、相手が何かを自分に言ってきたとします。それが「悪口を言っている」と自分が解釈した時、

それは他人の頭の中を理解した上で「悪口を言っている」と考えているのではなく、

“自分の想像するその相手の像”を想像して「悪口を言っている」と考えているだけにすぎない。

そしてその像の大元は自分自身なんです。

「あいつはきっと俺のことを悪く思っているに違いない」、っていうのは

正確には「もし俺があいつだったら、きっと俺のことを悪く思っているだろう」っていうことなんですな

人は自分を他人という鏡に移して、それに対してあれこれ文句言ったり想像したりしているわけです。

自分が考える「誰かにとっての何をされたらいやか、何をされたらうれしいのか」というのも全部自分の基準でしかないわけです

「常識」などの言葉で共有されているようなものでさえ、

実際には全て「自分の思っていること」ということでしかなく、人は他人のそれをひとつもわかってないんです。

共感は閉じた一人よがりなもの

人間は他者を理解することはできませんが、共感することはできます。

共感とは、相手が感じていることを自分のことのように感じるというものです。相手が笑っていたらこっちも楽しくなるとか、

泣いていたら悲しくなるといった感情的共感、

ある特定の趣味や考えが合ったと思った時の価値観的な共感と様々です。

しかしこの共感というものですら、先ほどの理解と同じ話で、相手が自分と同じ気持ちを共有しているかのように見えても

実際のところはそれに共感している本人にとって“そう見えているだけ”です。

哲学:いかなる人間も、何もわかっていないし、何も知ってなどいない

共感とは自身の想像によって作られる感覚であり、全ては自身の思考の中という、外界には現れてこない閉じた自分だけの世界で行われているものになります。

相手が悲しそうにしていたとしても、実際にそれがどの程度悲しいのか、そもそも「悲しい」そのものの感覚を同じように感じているかすらも、その本人を除いて感じることはできません。

この感覚は、生まれつき目が見えない人に色を説明する感覚と似ているんじゃないかと思います。

人は”知らないもの”を一切想像できず、共感もできない

目が見えない人は「視覚」という感覚がないのでその世界を感じ取ることができません。

それをどれほど言葉で伝えたところで、相手は一切その”イメージ”を想像することができない。

なぜならその人は“色”を見たことがないからです。いえ、“見る”ということすら、全く想像することすらできていない。

そんな人に、いくら空の青さを言葉で伝えたところで、まったく相手はそれを想像できない、つまり共感できないわけです。

相手の頭の中で考えていることや気持ちについて、自分が理解していると思っていることについてもこれと同じことが言えるということです。



人は相手の頭の中を感じたり、見ることができない。だからそれを一切感じられないし、それ自体には共感することすらもできちゃいないんですね。

いわば共感とは、ただの独り相撲なのですな。人間が他者に最大限できる共感ですら、このありさまなのです。

人ってのは本当はどうしようもなく孤独な生き物なんです。

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