嫌われることに「勇気」は必要なかった!





「嫌われる勇気」という名著があります。

嫌われる勇気―――自己啓発の源流「アドラー」の教え
岸見 一郎 古賀 史健
ダイヤモンド社
売り上げランキング: 50

非常に素晴らしい本で、人に好かれるために、承認欲を満たすために生きてはいけないという事を対話形式で非常に分かり易く書かれています。

別にこの本を否定しようという意図はありません。むしろ書かれている内容をベースに私は自分を変えたくらいです。

ただ私個人の考えは、

「嫌われること」に対して、「勇気は必要ないんじゃないか?」

と思っているということなんです。

今回はそれについての考えをまとめてみました。

なぜ勇気がいる?

そもそも嫌われることに勇気が必要なのはなぜか。多分それは「嫌われることが怖い事」だからだと思います。

そう自分で定義しているから怖いんですな。

もし相手に嫌われたらどうしよう、友達全員から嫌われたら…会社で孤立したら…嫌われることで「何かを失うこと」を恐れている。

そういった恐怖を振り切るために勇気がいるという事だと思うんです。

確かに怖いものに対して“立ち向かう”には勇気が要りますよね。

不良に立ち向かったり、強情で嫌みな上司に不満を一言申し立てようとしたり…

それは真実だと思うのですが、ではもし、それらが怖いことではなくなったとしたら。

人に嫌われること自体が実は「怖いこと」ではなかったとしたら…

それに必要な「勇気」も必要ないんじゃないでしょうか?

余談:そもそも恐怖っていうのは、定的なものでは無いんです。前述にもありますが自分が何を怖いとするかを自分で定義しているだけ

例えばライオン。もしライオンと相対したら誰だって怖いですよね。

サバンナのような直接触れられる場所でライオンと対面したら誰でも恐怖を抱くでしょうが、

完全に檻の中にいるライオンであればほとんど怖くない。テレビに映っているライオンならほぼ恐怖なんて感じない。

ライオン = 怖い っていうのは常に成り立たないわけです。全ては状況次第で、その状況を解釈して怖い、怖くないとしているのは自分自身なんですな。

それって本当に大事な物?

嫌われることに恐怖を発生させるのは、前述にもチラっと書きましたけど、「何かを失うから」だと思うんですな。

嫌われることによって「友達を失う」、「恋人を失う」、「信用を失う」…

でもそういった「失うもの達」っていうのは本当に大切な物なんですかね?

まず友達や恋人。確かに自身を幸福にしてくれる、大切な人達かもしれません。

そして嫌われることによって関係が途切れれば、確かにそれを失うことになる。

しかしそうやって実際に関係が切れてしまう、終わってしまったってことは、元々お互いの間で何か合わない問題があったりとか、

それが一時の感情に任せて切れてしまっているにせよ、より本質的な原因によって関係が終わってしまったにせよ、

そこで自分を犠牲にして相手に合わせる、”相手に好かれる”という手段を講じて、関係を無理に続けようとして、果たしてそれで幸せな関係は築けるんでしょうかね。

ホントはイヤだけどなんかかわいそうだし情だけで付き合ってるとか、一人は寂しいからと本当はそれほど好きでもない人と合わせて付き合っているとか…ずっと煮え切らない、妥協のような関係性…

あるいは一方的で相手はこちらに興味がないけど、こっちは好きでたまらない。だから相手に”好かれるため”にひたすら努力するとか。

でもそんなことをしたって、自分の「本当に欲しいもの」は手に入らないんじゃないでしょうか。

偽りの自分で好かれて構築できた関係なんてものは、手に入るものも全部偽りなんじゃないでしょうかね。

そんな関係性の中でどうにか相手に振り向いてもらおうと更に自分にいろんな嘘を付き続ける。

相手に好かれるために嫌われないために苦渋をなめる。

そうまでしないと手に入らないもの、失うもの。

それは元々自分が描いていた「欲しかったもの」、「失いたくなかったもの」だったのでしょうか?

かつて自分が本当に手放したくないと思っていた大切なものだったんでしょうか。

そうして実際に手に入れたものは、自分が本当に欲しいものだったのでしょうか?



「嫌われる」は本当に存在するの?

そもそも「嫌われる」って現象は存在しているんですかね?

あるとしても証明可能なんでしょうか。可能であるとして、どうすれば証明できるのか。

嫌われているか好かれているかどうかの出どころは、相手の頭の中にあると思います。相手が自分のことをどう思っているのかが全てでしょうからね。

ではここで質問なんですが、相手の頭の中で実際に何が起こっているのか、それを「理解」して、かつ「証明」できる方法ってあるんでしょうか?

ちなみに私は「無い」って結論付けています。

人は人のことを理解できない。いくら言葉を交わそうが、一緒に居ようが、自分が相手はこう考えているに違いないとどれだけの確信を自分がもっていたとしても、全て自分に”そう”見ているだけにすぎないと。

人は自分以外の「人間の意識」って存在を知覚することができていないんですよ。

人は孤独である – 人は真に理解しあえない –

そんな感覚器官は何一つ持ち合わせていないんです。

人間のもつ五感という器官、これでしか人は世界を感じ取っていないんです。

それでも相手の意識を感じ取っているように感じるのは、勝手に自分が色々想像したりしながら勝手に解釈、思い込み、飾りをつけているだけにすぎないんですな。

だから人は本来、生まれてから死ぬまでずっと孤独なんです。

誰のことも理解できず、誰からも理解されず、誰のことに対しても自分がもっている”意識”と同等の存在が、彼らにもあるということを、直接感じることもないまま死んでいく。

だから孤独であること憂いたり、悲しんだりすること自体、全くのナンセンスなんです。

空気が存在していることを悲観視しているのと全く一緒です

価値観の見直し

嫌われることで「失うもの」が本当に大切なものでもなく、ましてや「好かれているかどうかという存在」そのものが危ういとなれば、

それに「関心」を置くことにすら価値があるのかどうかも疑問です。

全ては自分の思い込みで、それに関心を置いていただけ。

となると、人に嫌われることを気にすること自体、本当に価値があることなんでしょうか。

実態はただの一人相撲でしかないのに、それで一喜一憂する価値はあるのでしょうか?

そう考えてみれば、今まで信じてきた自身の価値観について見直す価値が出てくると思います。

自分にとって関心を向けるべきこと、すべきこと。

「自分の人生を生きる」ってことの方が、ずっと楽しいんじゃないかってことに。

方法:無関心になる

自分の本当に大切なものは何か。嫌われたくない、好かれたいという気持ちから自身を振り切るにはどうすればいいか。

それらを確認、達成する最も簡単な方法は、

人に好かれること、嫌われることに対して「無関心」になることです。

「人に嫌われることなんてどうでもいいし、そもそも存在すらしていなかった」

それだけで自分の人生を生きるために次に何をするべきかがわかるようになってきます。



勇気なんていらない

勇気なんて必要ないんですよ。無関心になるだけでいい。

無関心ですから気にすることすらできません。相手がどう思っていようが一切知覚、感知しないんですから、それに対する恐怖もなくなります。

要するに

気にしないくていい。

考えなくていい。

想像しなくていい。

感知しようとしなくていい。

無意識のうちに自分に課していた”鎖”を抜いていくだけ。解放していくだけ。実にシンプルです。

ただこういうと、アドラー心理学的に「他者貢献」をどう達成するんだ」という疑問がわいてきます。或いは罪の意識かも。

好き勝手にやってもいいのか、他人がどうなろうと、傷つこうとどうでもいいのかという感じです。

それについては別途こちらにまとめていますのでよろしければどうぞ

誤解されやすいアドラー心理学の「他者の課題」

シンプルイズベスト

人の心というのは実際には相当に単純なのかもしれません。複雑に見えるのは所詮自分が複雑にみようとしているだけなのかもしれない。

人間全体で言えば確かに、心の使い方にはいろんなパターンがあるのかもしれません。そういう意味では複雑かもしれない

しかし人間個人、自分だけのこととあっちゃあ、想像しているよりもずっとシンプルなんじゃないかな。

実際、こうして説明してきた、ただの妄想である「嫌われる事」「好かれる事」という関心毎をなくすためのプロセスは、

今までに複雑に絡み合わせてきた認知の歪みという紐を、解いて単純化する作業みたいなもんです。

ごちゃごちゃになった自分の認知の仕方を単純に、シンプルにしていく。それが自分の人生をもシンプルにできる。

シンプル化によって人の人生は洗練され、人は幸福をシンプルに感じられるのではないでしょうか。

人に嫌われることを”気にしないだけ”でできるようになること

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元うつ病患者 (闘病歴10年)

約10年間のうつ病の体験と、独学で立ち直ったことや、実施した治療法について書いています。一人でも誰かの役に立つ情報になりますように… その他にも遊んだゲームの情報、世の中のおかしいと思うことなどについて考えたことを色々まとめています。

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