ENTPにとっての「壁」





ENTPは議論好きですが、何事も論理的に物事を解釈しようとする傾向があるので、理屈っぽいか哲学的な回答が出てくることがあります。

単にそう考えることが好きなだけだからなのですが、はまり込めばはまり込むほど他タイプの考え方と親和性がなくなっていきます。

例えば事実を根拠とするタイプ、感情を根拠とするタイプとのです。

共感の壁、閾値

同タイプならまだいざ知らず、根幹から違うタイプ達からすれば、

まったく共感を得ることができなくなってしまうこともあるのかもしれません。

これは多分ENTPだけに限らず、他のタイプから見た別タイプたちにも当てはまり、それぞれの指向性を根とした思考や感覚、感情をどんどん研ぎ澄まし開発をしていけば、

それだけ一般的な共感、”コモンセンスの閾値”からどんどん遠くなっていくと思います。



「なんでこんな絵が…」

例えば芸術の世界なんかはわかりやすいと思います。

ただ色塗っただけの落書きにしかみえないような絵に、どういうわけか億単位の値段が付けられたりしています。

経済的な裏の理由もあるでしょうけど、多くの人の感覚からすれば「なぜあんな絵がそんな値段で売れるんだ」と、全く共感もできないものになってしまいますよね。

あるいはある感情を豊かかつ個性的に開発した人が、ある芸術作品に心頭するあまりあふれる感情をおさえきれずそれを全て言葉に出したとします。

しかし、周りの感覚からズレてしまって「何がそんなにすごいの?」「言っている意味がさっぱりわからない」ということになってしまうかもしれません。

ENTPの場合もそうです。ある事象に対してどんなに論理的に分析し、堅牢な改善案を出したとしても

そう考えない、共感できない人からしたら「それがどうしたの?」「何言ってんの?」程度の話にしかなりません。

つまり食いつかない、興味がないからです。

世の中の多くの人々は態々考えるよりも感情に共感を示しやすいですから、それほど関心をもたれないんですな。

持たれるにしても、それほど考えなくてもスッと共感できるようなものじゃないと難しい。

でもそれは別に悪いことというか、「考えない人間なんてバカだ」みたいなそんな話ではありません。ただの価値観の違いでしかないんです。

西野かなの曲に共感を示す理由が、NTタイプのような理屈重視な人達からするとさっぱり共感できなくても、

感情をメインとして使っている彼ら彼女からすれば西野かなほど共感できる曲をなんとも思わない人がいることの気がしれないということなんですな。

でもそれが「個性」ってやつだ

しかしそれはそれでいいと思うのです。

それって、それだけ自分の世界に正直に生きてるってことだと思うので。むしろとても素敵で幸せなことだと思います。

自分だけしか見ることができないのが「自分の世界」ですからね。

それにどっぷり浸かることを楽しむってことはこの現代社会では結構難しいことなんですよ。

大抵は人目が気になったり常識とかそういうのを気にして、自分に素直になれていないんです。

そういうことが気兼ねなくできるってことはもうその時点で既にある種の才能といってもいいと思います。

問題は、そうやって離れた価値観の側にいる自分が一般的な人に、それを感じてもらったり考えてもらうことで貢献しようとした時、

多分そのまま表現しただけでは難しいのではと思うのです。



論理、哲学という名の”宗教”

さてENTPの話に戻りますと、宗教観とでもいいましょうか。考え方のあり方というか、何事も理屈、合理で考えようとします。

理屈で考えたことを言葉や文章に出して、世の中の人達に自分の考えをもっと知ってもらおうと広めようとすることもあります。

ENTPは自身の論理的思考や哲学的思考を半ば絶対的なものであることのように信じていることがあります。

(割と最近まで私がそうだったんです…)。

しかし論理的価値観や哲学的価値観というのは、所詮は人間が考えうる価値観の一つにすぎないんですね。

他の「事実的根拠を根とする価値観を持つ人々」、「感情的根拠を持つ人々」、「道理的根拠を持つ人々」からすると、ただのうるさい気難しい人、偏屈家であるように映ることもあるようなのです。

これらの価値観の間にある大きな隔たり、ギャップ、“共感の閾値”を超えているようなことばかりいっても

相手の宗教観、”共感の閾値”にマッチしないので意味がなくなってしまうんですよね。

人間はそもそも、本当の真実だとかそういった絶対的な何かを発見したり考案することはできん生き物なのですよ。

なぜなら皆何を”真実”の根拠としているのかが違うからです。

みんな自分の思う真実しか出せないんですな。

確かに論理的根拠というのは、古代ギリシアの哲学をルーツとする自然科学的考え方なので、現実の世界解釈に最も近いかもしれませんが、

そうだとしてもそう考えない人がいるということもまた事実でしょう。

共感と理解の違い – 人の限界 –

そういう現実があるらしいことを考えれば、いくら自分の思う真実を語ろうと、ある人にとっては真実でもなんでもない

人に万人にとっての正しさ、真実なんぞ、だせっこないのです。

命題:人を殺すのは悪か?

例えばこのような問い対して、ある4者が話し合いをしていたとします。

仮に

事実で考える人をAさん

感情で考える人をBさん

道理で考える人をCさん

論理、哲学で考える人をDさん

としましょう。

さてこの問いに対しては各人は例えばこのように答えるのではないかと思います。

Aさん:人を殺すと法的に身柄を拘束されるから正しくない。そうでない場合は状況によるかも

Bさん:人を殺せるなんて信じられない。きっといかれたサイコパスかなんかだよ

Cさん:人をあやめることなんて許されるはずがない!

Dさん:人を殺すことは悪とは言い切れないのではないか?

こんな感じになるんじゃないでしょうか。



それぞれの宗教観から来る視点の違い

Aさんの場合は、現実的な目線で物事を考えるでしょう。

まず日本は法治国家であり、法律も高い水準で機能しているといえます。

もし人を殺してしまったら、それは犯罪であり法的拘束を受けることになるので、

そういったデメリットを被ってまで人を殺す必要があるかどうか、という事実達が判断の基準になるんじゃないでしょうか。

Bさんの場合は、人を殺した人間の感情をまずは推し量ろうとして、きっととんでもない殺意を伴っていたか、あるいは冷酷冷血で無感情に人を殺せるサイコパスに違いない、というように、感情を基準に物事の正しさをきめると思います。

Cさんの場合はより宗教的というか、人を殺すことは裁かれるべき悪であるという硬い信念に満ちた考え方が既にあるので、ほぼ神への冒涜、人間として完全に間違った許されない行為である考えるのではないかと思います。

さて最後のDさんですが、Dさんの場合は論理的、哲学的真実にのっとって判断しようとしています。

しかし哲学という世界には正解がなく、ただ問いだけが乱立していくので結果的に真なる答えを出せず、

「人をあやめることは果たして本当に悪なのか?」ということについて逆質問しています。

答えが質問になっていますね。かつそこからみんなで議論をしようとするのではないかと思います。

多分内心ではDさんはまず、人を殺す合理的理由がまず見当たらないので殺しても何のメリットもないので殺さないという回答はは既に出ているかと思います。

しかしそれは自分本位の回答であって、より哲学的で本質的なものから出力された回答ではない。

だからそれについて考えないわけにはいかなくなるんじゃないかと思います。というかほぼ私の場合だったら、の話ですねこれはもう…

仮に何か答えを出したとして、「人間のやることに本質的に善も悪も存在しないから、殺しは悪でも善でもない」なんてことを他のメンバーに対して言い始めたら、

特にCさんからはとんでもない剣幕で「なんて罰当たりな!」というツッコミを浴びせられそうですね。

Bさんからは冷たいやつだと解釈され、「あんたもサイコパスゥ!?」なんて言われちゃうかも。

Aさんはどうだろう…「そんなの机上の空論だろう?人を殺したらつかまる国で自分達は生きてるんだから、殺すことは悪が正解でしょ」と、なってしまうんじゃないかな。

とまぁこんな感じで自分の論理、哲学的根拠を元に出した回答っていうのは他タイプからは相当にやっかみを受けそう、

つまり彼らにとってそれが一種の正しさとして腑に落ちさせる、説得するにはもっと方法を考える必要があるってことなんですよね。

こういうとき大事なのは、「自分はなぜその答えを回りに広めようと思ったか、という目的」にあるんじゃないかと私は思っています。

さて、とりあえずこの記事はここまでで…次回はこれについて考えていきたいと思います。

“哲学”は既に死んでる

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