アドラー心理学の目的論の先で見つけた「快楽欲求」





私はアドラー心理学を通じて哲学をしていくうちあることに気づきました。それはアドラー心理学の人のあらゆる行動には全て目的が存在するという、「目的論」のその先にあるもの。

なぜその目的があるのか。その正体でした。

人間は快楽を得るために生きているだけ

人間はその生続く限り、快楽を求め続けて生きているだけの存在でしかありません。

人間のあらゆる行動には全て目的が存在していますが、さらにその全ての目的には達成したい「何か」があるわけです。その「何か」がどんな形にせよ、全て突き詰めれば「快楽」なわけです。それを得ようとせんがために人は日々目的を作り行動しているだけにすぎない、ということです。

人間は太古の時代から現代まで、そんな単純なメカニズムに従って今日まで生きてきた、生き残ってきただけにすぎないのだと思います。

そういう風に脳が作られ、そう作られていたからこそ生き残ってこれたのでしょう。

何等かの快楽を得るために行動し続けるという単純な動機に従うことで生命活動を維持してきたわけです。そして子孫を残し、繁栄してきた。

おなかがすけば食べ物を食べ、眠くなれば睡眠をとる。そうすれば快楽を得られる、空腹や睡魔という苦痛から開放されるからそうしているにすぎない。

そうやって快楽に従い自分を満たし続けて今日も生き続けているだけの存在。もしこの感覚がなかったら、案外人は簡単に死んでるんじゃないでしょうか。空腹感がなかったら人は何も食べなくても平気で居られるでしょうが、エネルギーがそこを付けば死にますし、睡眠も取らなければやがては死に至ります。

でも実際にそういうことにならないのは、やはり人の脳がそうさせないがためにそう作られているから。快楽を求めるように作られているから。

快楽を得ることを達成するためにあの手この手の目的を考えて実行する存在。それが人間なんじゃないでしょうか。

人と関係を結ぶのだってみんなそうです。友達と遊ぶ、恋人と付き合う、あるいは人を見下す、比べる、自身を卑下することさえも。

全てはそうすることによって何等かの快楽を得られる機会があると自分が考えているからにすぎず、それに従った行動にすぎないわけです。



しかし快楽を得られない場合もあります。それどころか不快感を感じてしまうことも。

例えば相手に好かれたいという欲求。好かれることによって得られる快楽を想定するからそんな欲求をもつわけですが、反対にそれがかなわなかったり、逆に嫌われてしまうと快楽ではなく不快感にさらされたりします。

快楽を得られると思って行動したものが、実際にはその逆のものを得てしまった。それが人間のする思い込み、”ヒューマンエラー”というやつだと思います。

現代社会は、そういったいろんな”思い込み”の宝庫ともいえます。こうすれば幸せになれる、こうすれば素晴らしい。反対にこれをしなければ不幸、人間としてダメ。

そんないろんな思い込みを助長させる価値観が世の中にはびこっている。それを鵜呑みにすればするほど自分を追い込み、いわゆる真面目すぎるほど心を病んでいくわけです。

文明が複雑化する中で人間が今まで生き残るために使ってきたこの単純なメカニズムが逆に自身を追い込むようにもなったわけですな。

承認欲求も快楽を得るための手段の一つにすぎない

「誰かに認められて気持ちよくなりたい」「もし否定されたときのためにいろんな予防線を引いておこう」

全て自分の快楽を得るため、またはそれを守る行動です。

しかしこの承認欲求は多くの思い込みによっても構築されている、非常にもろい手段だと言えます。

本来わかるはずもない相手の気持ちをわかっているかのように考えてしまう、相手に好かれていなければ人間関係は構築できないと考えてしまう、

褒められないことに価値はないと考えてしまう…他にも挙げだしていけばキリがありません。

承認欲求が恐ろしいのは、こういった幾重もの、いくつもの思い込みによってなりたっているものであること、少し誰かにつつかれただけでたちまちに委縮したりしてしまうこと、精神を病みやすくなること、

相手に自分の人生の主導権を握られる人生を送ることになること、他人に承認されない人はずっと不幸な人間でい続けることになってしまうところにあります。

脱することに時間がかかるところもポイントです。幾重にも重ねた思い込みを打ち消していくのは時間がかかりますし、そうするために必要な恐怖とも戦うことにもなりますし、苦痛も感じるでしょう。



快楽を得る手段はいくつもある

人間の本質が快楽を得ることであれば、承認欲求に拘る理由は薄くなるのではないか、と思います。

人間は単に快楽を得ようと生きているだけの存在。であれば、それを達するための手段というのは他にいくらでもあるわけですから、

そのうちの一つにすぎない承認欲求に拘る理由もまたないということになります。

自分の脳が悦べばいいわけですからね。

承認欲求を求める生き方に納得しているのならそれもいいのでしょうが、それで人生がうまく行っていないと感じていたり自身を不幸だと感じてしまっているならやはり捨てた方がいいと思います。

その手段は少なくともそんな自分にとっては既に使えない手段なことは明白なわけですから。

生きていく上で必要な食欲や睡眠欲を無視することはできないでしょうが、現代社会でこれに苦しむ機会はほとんどありませんし、

人間の悩みのほとんどは人間関係に起因するとアドラー心理学でも言っています。

つまり現代人は生きていく上で必須でない事柄について悩みを抱いているにすぎないわけです。

必須でない以上、承認欲求というのは捨てられるものなんです。本能なんかではない。「捨てられない」と思うのはただの思い込みでしかないわけです。

であれば私は、「承認欲求を求める生き方」をやめ、「何かを愛する生き方」を始めてみることを推奨します。

求めるのはやめて、与えることを代わりにする、ということです。これも同じく快楽をえることができますし、ずっと心地よいはずです。

これは私が実践して最も効果があり、かつ承認欲求から脱することに成功した決め手です。

愛を与えることで得られる”愛という感覚”。

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より踏み込んだアドラーの実践

アドラー心理学は実践が難しいとされる心理学です。

それは人の解釈という、実際には他者と全く共有できていないものの問題だからで、最終的には自分が気づく必要があるからです。

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元うつ病患者 (闘病歴10年)

約10年間のうつ病の体験と、独学で立ち直ったことや、実施した治療法について書いています。一人でも誰かの役に立つ情報になりますように… その他にも遊んだゲームの情報、世の中のおかしいと思うことなどについて考えたことを色々まとめています。

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