哲学:美とは何か?





美は本質的に主観的なものである。

世の中で”美”とされているもの。雑誌などの情報媒体などを伝って伝わってくるあれらは悪魔で統計的なもの。

皆がそれを美であると評しやすいものを選んでいるだけにすぎない。

美と「感じる」のは誰か。それは「自分」だ。

他人じゃない。何かをどう感じるのか。それをしているのは「自分」以外にいない。世の中でこれが美しい。かわいいと言われていようがいまいが全く関係がない。

統計的価値観と主観的価値観は本来は関係がないからだ。

統計的価値観は全てなんらかの形をもつものに対して行われるもの。人の意思そのものというような主観的要素、形なきものについては統計的価値観など用いることはできない。それをしようとしても結局文字に書き起こしたりする必要があるからであり、やはり形あるものになるからである。

統計的価値観とは全て物的形をもつ、5感で直接感じられる世界の中に実存するもの達が対象なのだ。

つまり世の中で美とされているものたちとは、個々が感じた”美”を元に外的世界に出力された物体たちであり、統計的価値観の産物なのである。

そしてこれの意味するところは「美を具現化するというフィルター」を通しているということであるのだ。

一方主観的価値観とは外的世界に具現化することができないものだ。自分の頭の中にしかない思考、概念、主観そのもの。それそのものを外には出すことはできない。

故に統計的価値観と主観的価値観には全く別物である。

物質的世界に存在するものと、個人の脳内にそれぞれ存在するもの。存在する次元が違う。別宇宙の概念である。

美の基準は本当は人それぞれである

故に各個人にとっての”美”という存在は、各個人の中にしかなく、それをそのまま共有することはできない。別の人間が同じ対象に美を見出したとしても、

その美がどのような形であるか当人を除いて確かめる術を持たないからだ。

例えば自分が「あの人はきれい」だといったとする。すると、それを聞いた別の人(“相手”とする)が「どこが?一体あの人のどこがきれいなんだよ」と返したとする。

一見否定的に見えるこの意見。しかしそれは自分が思った「あの人はきれい」を否定しうるものではない。否定しうるのは自分自身がそれを否定しようとしたときのみである。

相手が否定したのは悪魔で「相手が見たあの人」もしくは「あの人をきれいだと発言した自分」であり、「自分が見たあの人」ではないからである。

そして、人はいくら他者を否定しても、他者そのものを否定することはかなわない生き物だ。否定しているのは他者という鏡に映った自分自身なのだから。その逆の肯定もまた同じである。

“美”という感覚そのものは自分という世界の中にしか存在しない。自分の世界という障壁を、”美”という感覚そのものは越えられはしない。

故に自分の思う”美”が、直接他者に伝わることはない。世の中で言われている様々な”美”とは他者たちが独自にもつ”美”の感覚を元に加工され出力されたものであり、それは自分にとってどこまでもある解釈するためのコード、例えばそれを美と解釈するコード、それ以上の意味をもたず、やはり美そのものではない。



何を美とするのかを自分で決める

人間は価値観という考え方を5感と思考という機能を使って発明した。価値観という値札をある対象につけることによって、それに対して意識を向けたり、時間を使ったり、逆に退避したりする。

人間は「人の生」といういつかは終わる時間的制約、限られたリソースを何にどう使うかを決定するための道具として「価値観」を使っているにすぎない。

“美”というものもそんな価値観の一つ。ある何かを”美”とすることによって、それに対してどうかかわろうとするか、感じようとするか。何をしようとするかを決定している。

つまり”美”という単語が指すその意味、定義について自分で決めることができるということである。それを他者がどう感じるのかなど、本来はなにも関係がない。

全て自分が素直に感じるものを美とすればいい。とすれば何者にも縛られない自分が純粋に思う「自由な美」こそが美の神髄ではないか?

自分の思う美の正当性を証明する必要もない

したところで意味がないからである。いくらそれを言葉で表現しようと、あらゆる手段を用いて表現しようと、

自分の美そのものが外に出てくることはない。それをいくら認められたとして、認められたのは美を具現化するフィルターを通して出力された物質であり、他者から見れば”美”という名前がついたただのコードであるか、美とすら認識されないかもしれない

更に他者が”美”をどう認識しているかどうかをこちらは確かめられない。フィルターによってほとんど伝わることがない自身の美という感覚は誰からも承認されえず、それを確かめることもできない以上、

そこに正当性を証明する必要性もまたない。外にそれを求めなくてもいい。自分がそれを美しいと思うのなら既にそれで充分であり、それ以上はない。

真の美とは

美は自分がある何かを美とするなら美なのであり、それは世間で言われる美に必ずしも合致するとは限らない。いや、合致しているかに見えても、実際に合致しているのかどうかを確かめることはできない。

ならば美とは孤独な自身の世界でこそ真に構築できるのではないか。

外にある上っ面の美を真似するだけでは真の美にたどり着くことはできないのではないか。

世間で言われている美の基準に自身を準じさせる必要など最初からない。自分には自分の美がある。ならばそれをひたすら追求してこそ、本当の美ではないだろうか

シェアはこちらです!



より踏み込んだアドラーの実践

アドラー心理学は実践が難しいとされる心理学です。

それは人の解釈という、実際には他者と全く共有できていないものの問題だからで、最終的には自分が気づく必要があるからです。

当サイトでは管理人のElepanがアドラー心理学を元により深く、より根本的な思い込みの解消、哲学を実践実施した結果、その考察と気づきをまとめております。

孤独 認知論
私の「甘え」うつ病治療


私のうつ病の主原因は「甘え」だった。甘美に感じられた「甘え」が私を苦しめていました。

そんな私が自分の甘えから脱し、

精神の安定、自由をつかむためにやったことをまとめています。


孤独 認知論
承認欲求を捨てよう


承認欲求を捨てて「自分の人生」を生きよう


孤独 認知論
人間孤独論


「人は生まれた頃から死ぬ時まで孤独である」

それを論理的に考える記事です。


孤独 認知論
My哲学


主に「人の心」について、私個人の哲学考察をまとめたものです。


孤独 認知論
MBTI考察


MBTI関連の考察記事です。ENTPが多め


孤独 認知論
ゲーム系


遊んだゲームのレビュー、攻略情報などなど


previous arrow
next arrow
Shadow
Slider
自己紹介

Name : Elepan

元うつ病患者 (闘病歴10年)

約10年間のうつ病の体験と、独学で立ち直ったことや、実施した治療法について書いています。一人でも誰かの役に立つ情報になりますように… その他にも遊んだゲームの情報、世の中のおかしいと思うことなどについて考えたことを色々まとめています。

MBTI : ENTP

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。

日本語が含まれない投稿は無視されますのでご注意ください。(スパム対策)