「自分はいまここにいていい」という安心感で大抵の不安はなくなる





「ここにいてもいい」

そう誰かに言われた時の感覚を覚えているのならわかりやすいかもしれません。

「もう安全だよ」「もう何も怖くないよ」と誰かに言われた感じた時の「暖かい感覚」のことです。

人目を気にしている時というのはこの感覚が失われています。なぜなら

「私はここにいてはいけないのではないか」

「周りから蔑まれている気がする。こんなところにいたくない」

という風に、逆に「お前はここにいるべきじゃない」というようなマイナスの人目を感じて「自分がここにいるのは間違っている」と捉えているからです。

そしてそれは「誰かに認められていないと自分はそこにいてはいけない」という思い込みがそうさせています。

そう、「思い込み」です。そこに居ていともいいと自分が思うための条件を自ら設定しているためにその感覚が失われ、不安感、焦燥感を感じるのです。

自分がそこにいていい感覚。暖かいような、自分を包み込んでくれるかのような、安心感に包まれた感覚。

そんな感覚は誰かに言われなくても今すぐこの瞬間から感じることができるのです。

その方法はいたって単純。「誰かに認められたら」という条件を外してしまうことなのです。



そもそも他人は関係ないのです。

大抵自分の場所がないというのは、いま自分がいる場所が精神面において自分に相応しくないという意識からくるものです。

精神面とは己の心理、内面、心。つまり完全に外と隔てられた世界にしか存在しないものです。

物理的な意味はほとんど含まれて射ません。仮にその可能性を考えたとしても、そこに居場所が物理的にないということは、物理的にそこにいくこともできないということになるわけですから、悩みすらも起きないはずです。

閉じた自分の精神という世界に他人が直接干渉することはできません。他人は他人の心を直接操作などしていないし、そもそもできないのです。

つまり他人には自分の精神面において何ら自分がそこにいてもいいかどうかという許可について一切決めることができていません。

実際に「居てはいけない」と決めているのは他でもない自分自身なのです。

他人の意見はあくまでその自分の意思決定のための判断材料として、これまた自らの意志で使っているにすぎません。

「他人の意志」「他人の評価」当てにするからつらいのです。

そんなものに頼るから本来シンプルな人生が複雑化して、どんどん生きづらさを増してしまうのですよ。

「この世の全てが自分の場所だ」

これでいいのです。どこにたって自分は自分。それはかわらない。態々周りに気を使って自分を偽ることをしなくとも、

自分の場所は既にいまここに、常にあり、それはどこへ行こうと変わらないのです。

自分がどこにいようと、誰も自分を責めることはできない。しいて言うなら自分だけが自分を責められる。

他人が自分を責めても他人は外側だけに見えている自分を見て勝手に言っているにすぎないのだから。

だから「安心していい」のです。「もう何も怖がらなくてもいい」のですよ。

「自分はここにいていい。自分の安全な場所だ。もう安心だ。」

自分がそう思うだけでいいのです。

そもそも、こういう居場所の不一致からくる不安感は本来我々人類が外敵から身を守るための防衛手段として使われていたものだと思います。

危険な動物たちの脅威を察知するために、そこが安全かどうかを確かめる必要があった。そのために”不安感”は有益だったのです。

しかし今はこの機能が必要になることは実質ほとんどありません。

野生動物は山へ追いやられてほとんど接する機会がないし、(猫くらい?)人目が自分を捕食したり殺したりすることなんてないですし、他人が殴り掛かってきたり消毒してくるような世紀末な社会でもない。

現代ではこの機能が暴走して数々の思い込みを作る要因となり、結果生きづらさを作ってしまっているのでしょう。

結構前書いた記事に「人間の本質は自分の場所を求めること」ということを書いたんですが、

これはちょっと誤りで「人間の不安感は自分の場所がなくなるという喪失感が根底にある」ではないかと思います。

自殺をするのも、死ぬことで「自分が生きていい場所なんてない」という不安感、焦燥感から解放されたいからなんじゃないでしょうか。

古来の状況下であればこの不安感は野生生物の存在がいないことが確認された時点でそんな消し飛んでいたはずですが、

現代では人目などという他人の内面などどいうようなわからないものをわかろうとしてそれを担保に自分の居場所としようとするから、

いつまでもたっても見つからずに延々とループして不安感から解放されないのでしょう。

しかし現代を生きる我々は野生生物が徘徊する世界に生きていません。だからこんな風に不安感を持ち出してここが自分の居場所かどうか考えること自体ナンセンスなんですよ。

ですからそこにいて死ぬ可能性がほとんどないのなら、そこは「自分が居ていい場所」なんですよ。



「脅威がないんだから安全だ。だから安心していいんだ。自分の居ていい場所なんだ」ってことです。

感覚として他人ではなく、この世界が自分を受け入れてくれている。生かしてくれている。そんな感覚といえばいいでしょうか。世界は自分を殺したりしない。だから

どんな場所にいても

どんなことをしていても

どんな人と一緒にいても

どんな人に観られていても

どんな人にどんな風に扱われていようとも

周りから賞賛されようと毛嫌いされていても

自分がどんな人間でも、どんな評価をうけていても、どんな姿でも

全ては何の関係もない。ある場所を自分の場所だと自分が感じるのにこれらはなくてもいい。いらないんですよ。

自分の精神的居場所に、人間が勝手に作った基準を設ける必要なんかないわけです。

そんな基準を満たそうが満たさないだろうが、自分は死なないわけですから。いたいところにいればいいだけです。

だからがんばらなくてもいい。無理をしなくても、今そこにいる自分でいい。

「ただそこにいるだけでいい」

それだけでそこは、すでに自分の居場所なんです。

生きているだけでいい。それだけで既に今自分がいるところ全てが自分の居場所なんですよ。生きているっていうことはそれだけ力があるってことです。

それが人間の全てなんですよ。

まぁもちろん、賃貸契約を結んでいないのに勝手に家に上がり込むのは犯罪なのでやめたほうがいいでしょうが。

後、山奥に足を踏み入れるのも。あそこは野生生物が徘徊しているでしょうから、襲われでもしたら本当に死んじゃうかもしれないですからね。

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