語り:自分を好きになるのに根拠はいらない!





誰かに認められなきゃいけない

誰かにすかれていなきゃいけない

そうでなきゃ自分に価値なんてない

そんなのただの思い込みだよ。

自分を自分で愛してやれ

自分で自分を好きになってよかったんだ。根拠を求めて自分を好きになる必要なんかはじめからなかったんだよ。

今までは親や社会が、教師やクラスメイトが、自分に彼らにとっての理想像を自分に求めているように見えて、自分はそれに完全にこたえようとしてた。

そりゃ、そんなとこに「本当の自分」なんてあるはずがないんだ。

八方美人そのものなんだから。

そうやっているうちに、いつのまにか「他人に好かれる自分」しか好きになれなくなっちゃうのさ。

いや、他人に好かれるために生きることが当たり前になって、他人に好かれないと自分を好きだと思わなくなってしまったんだ。<\p>

そもそも「人に好かれる」なんてこと自体、最初から不可能な話なのさ。

だって人は人を自分の鏡のようにしか見れないから。つまり相手そのものを見ることってできちゃいない。誰も相手の内面まで理解できないから、相手そのものを好きになることはできないからさ。

共感と理解の違い – 人の限界 –

つまり他人を好きになるっていうのはある自分の側面、今まで気づくことのなかった他人という鏡にうつる自分を好きになるのということなのさ。

だから自分を好きになれなきゃ、人を好きになることなんてできないんだよ。

他人を見て嫌なものとか、いやしいものが目に写るってんならそれはそういうところがある自分を嫌ってるってことなのさ。

鏡ってことはつまりそういうことさ。



他人に求めることが多すぎれば多すぎるほど、その鏡に映った自分を好きになれる可能性はなくなっていくんだ。条件を設定しているようなものだからね。

そしてそれは、同時に自分が自分そのものを好きになる条件をも難しくしてしまっているんだよ。

だからその条件を外せばよかったんだ。無条件に自分を好きになればよかったのさ。

多分世の中の多くの人はいろんな理由をつけて人を好きになったり嫌いになったりしていると思うけど、そんな他人の都合はお構いなしさ。

自分が何かを好きになるのに他人の御託や都合は関係ないんだよ。

他人が自分を好きかどうかなんて、他人が何を好きか嫌いかなんてのは、自分が何をどう思うかにそもそも関係がなかったんだよ。

最初から考える必要なんかなかったのさ。だってだれも好きになるための不動の根拠を出せないんだ。

「よく○○だから好き」だなんていうけどさ、その根拠とする大半は思い込みなんだ。

何かを美しいと思っても。美の基準なんてのは人によってバラバラだし、その気になればその本人の美の基準なんてどうにでもなっちまう。

人はその気になりゃ全てを好きになれるし、全てを嫌いにもなれる生き物なのさ。

そこに絶対的な守るべき基準だとか真実なんてものは、本当は存在しないのさ。

全ては人の認知という機能。「何をどのよに捉えるか」しかない。

その捉え方はいくらでもある。それがどうであろうがかまわないし、正解も間違いもないのさ。

ひょっとしたら今の社会はそういう認知の歪みで病んでいるのかもしれない。

みんな誰かに好きになるためにいろんな条件を設定しているし、同時にされていると思っている。

こうやって人間が何かを好きになるために作り出す条件だとか理由なんてのは、一種のハードルを設けることと同じなんだな。

あるハードルを設けてその規定を超えた人間だけを好きになろうとしているにすぎないんだ。

なんで態々こんなややこしいことをしているのか?

それはいわば、リソースの問題なんだ。人間は常に一つのことしか考えられないし興味を持つことのできる対象も物理的に時間的にも制限されている。

人間には寿命があるからね。

だからそうやって条件を付ける。条件付けて自分と関わるものを制限しているんだ。

好きとか嫌いってのはその本質は自分と関わるか関わらないかを選定するためのフィルターにすぎないんだね。

そうさ。何かを好きになったり、嫌いになったり。その理由、根拠。きれいだからとか、きもちわるいからとか、その根拠ってのはどれも本質的なものじゃない。

自分が何に限られた自分というリソースを割くか。それを選定するための道具にすぎなかったのさ。

だから条件なんてのは別に無くてもいいってことだ。フィルターを設定しなくても別にかまわない。

だから、自分を好きな理由なんてのは無い方がいい。なくてもあってもどっちでもかまわないのならないほうが良いのさ。

なければずっと自分を好きでいられる。幸福で居られるんだからね。



「自分のことくらい自分で好きになりなさい」

そしてその気持ちこそが愛ってやつなんだよ。愛ってのは自分に対してしか与えられないのさ。

他人に与える愛ってのも結局は他人という鑑に映った自分に与えているにすぎないんだからね。

「自分は自分のことが好き!」

自分にも他人にも、そうやって胸を張って言えること、感じられることこそが「最愛」であり、他人にしてやれる最大の貢献でもあるんだ。

自分を自分の愛で満たすんだ。

“ありのままの自分”を、”今の自分”をそのまま愛することができれば、どんな人も愛せるだろう。

それが無償の愛ってやつなんだ。

人が人を愛するのに理由がいらないというように

自分を愛することだって理由なんか必要ないのさ。

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