他人は”手に入らない”





世の中の多くの人は特に恋仲や結婚という関係性をもった相手を「手に入れられる」と誤解しているのではないかと思う。

他人は自分の思い通りになると無意識的に考えている。でなければ相手に自分のしてほしいことを一方的に押し付けようとしたり、自分が相手に愛されたいという理由で関係を構築しようとはしまい。

多くの人々はそんな自分の思考に無自覚であると思われる。そうでなければ不倫という概念にあそこまでヒステリックになることはないだろうし、炎上することもないだろう。

彼らはそんな「他人は手に入るもの」という思い込みと、それに執着するあまりに自分を不幸にしてしまっていることにおそらく気づいてないのではないかと思う。

誰にも誰かを所有することなど、初めからできはしない。人にはそんなことはできやしないのだ。

それに気づけば、他人について諦めがつき、どこまでが自分がコントロールできるところかを知り、もしそれが悩みの種であればそれは幸福の実現へとまた一歩近づけさせてくれるだろう。



自分が「所有」しているものとは

実際に人間が持っているといえるもの、“所有している”のはざっくり言っても「自分という存在」だけである。

しかしこれはあくまでざっくりとした見積もりである。

実はコレについてさらに突き詰めて考えていくと、自分すら自分の持ち物とは言えなくなる。

「自分の持ち物」とは何か、その定義について考えてみると、それは完全に自分の自由にできる何か、

つまり「全て自分の思い通りにできる何か」といったところだろう。

しかし、自分の肉体は自分の意思に関係なく変化し続けている。その時点で、既に自分の持ち物とは厳密に言うことはできなくなる。

人は自分の意志で肉体を変えたりなどしておらず、生体反応というオートマチックな処理によって変わらざるを得ないのである。

自分の肉体すらも実際に人はそれほどコントロールできてなどおらず、自由にできていない。

病気だって自分の意志と関係なく患う。自分の意志でコントロールできたら、病気などこの世のどこにもなかっただろう。

老化すれば体は言うことを聞かなくなっていく。仮に手足が不自由になったとして、それは自分の持ち物と認識できるか。

手足の感覚すらなくなってしまったら、果たしてそれを自分の所有物として見ることができるのか。

自分の思い通りにならない、使い物にならなくなったものは、果たして本当に”所有している”のだろうか。

肉体だけではない、精神を病み、自分の心のコントロールすら取れなくなることもある。

さらに人は皆いつか必ず死ぬことが約束されている。自らの死も自分の意思でコントロールすることはできないのだ。

たとえ自殺という方法をとったところで、人は自分の意思で死ぬわけではない。

正しくは自殺という何らか行為によって受けた外傷行為による生体反応の停止が原因である。

人は自分という存在すら、本質的には所有などしていないのだ。

さて、そんな最も身近でもっとも自在にコントロールできそうな自分という存在ですらこれほどに思い通りにならなくなるケースがあるなかで、

他人という存在は、これはもう完全に自分の思い通りになる存在ではない。

自分という存在が唯一限りなく掌握しているものは何かといえば、今この瞬間の「自分の意思」という存在だ。意思があるからこそ自分は存在し、体をある程度操作できる。

しかし、他人の意思においては、自分の意思が介在する余地すら少しもない。

他人には他人の完全に独立した意思があり、他人の意思で他人自身の体をコントロールしているからだ。

他人も他人自身について考え、他人自身の目的、欲求を達しようとしている意識をもった存在である

故に、例えば結婚という関係性は悪魔で書面上の、突き詰めれば宗教的取り決めの概念にすぎず、それが相手を束縛する効能をもっているわけではなく、相手の宗教観次第なのである。

それぞれの意思は常に独立していて、そこに”つながり”といったものはないのだ。



他人とは、自分という存在とは全く別の、決して手に入るものではないのである。

故に、他人に自分の所有物になってくれることを期待することはあまりにも自己中心的で、酷な発想であり、かつ妄想も甚だしい行為なのだ。

相手を自分の奴隷にしたいと言っているようなものである。

本当に相手を愛しているのなら、相手をそんな風に扱おうとするべきじゃない。相手に自分の勝手な期待を押し付けるべきではない。

早い話が、「相手に期待すべきではない」ということである。

相手は相手の課題に注力してもらうべきで、こちらの都合に無理やり付き合わそうとしてはならない。

良好な関係とは「相手を尊重し、相手の都合を考えて助力する関係」なのである。そしてそれは何より自分の「そうしたい」という欲求によって生まれていなければならない。

してほしいのなら、ちゃんとお願いをし、「交渉」をすることである。話し合いをすることで、相手にしてもらえるかどうかを判断してもらうべきなのだ。

「最良のパートナー」

もし「最良のパートナー」を探すのなら基準はそこにある。

「自分が愛したいと思うだれか」

これだけなのである。自分の意志の元で行えること。自分がしたいと思う事こそが、唯一の自身のコントロール可能な事柄なのだ。

その人のためならしてあげたいことがたくさんある。そんな人であろう。それがわかればどこからどこまでの範囲で自分の幸福を実現すればよいかもわかるようになるはずだ。

そしてそれをより確かなものにするために、よく話をするべきなのだ。相手のことを知ろうとするために、色々と聞いてあげるのである。

相手が悩んでいること、したいこと。それについて一緒に考えてあげることも、また愛なのだ。

恐れる必要など無い。自分の限界を知り、他人を愛することができるというのはとても幸福なことなのだ。

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