幸福は自分だけのもの





したいことだけでいい

したいことをしている時の自分の感覚は常に一人だ。一人自分の作業に没頭している感覚である。人は何かに没頭しているとき、そこに誰かの顔はない。

そういう孤独感を嫌って、自分のしたいことに素直になれない人もいるかもしれない。

しかし人は孤独においても、したいことだけで全然誰かと関われる。自分のしたいことに誰かを巻き込む形でかかわっていくことができる。

むしろこうした孤独は自分の視点というものを確立してくれる。自分を主体として誰かと関わることができるようになる。

それを経験すると、人と関わるのは、単に情報交換したり共感したり、共同の何かをすることだけにとどまっていることがよくわかる

そこにはお互いの気持ちの理解というものはなく、そのような目的もないことがわかる。目標が誰かの内側でなく、外にある何かになるからだ。

他人が自分の事をどう思っているのか、ということはどうでもいいことになる。気にすらならない。

思いやりは悪魔で個人の裁量であり、自分のためにしているということも。

したいことの延長線上にだれもいなければ、一人でやればいいだけなんだ。

自分のしたいことに嘘をつかなくていい

自分のしたいことを否定しなくていい

自分の人生を生きるのに、罪の意識なんか感じなくていい

自分はいつだって、何をしていたって常に自分でしかないんだ。

だから、自分のしたいことがあるってことは”とても立派なこと”なんだよ。

それはかつて自分が一度は感じたであろう幸福感を”感じて良い立派なもの”なんだ。

それは誰かをも幸せにしえるんだから。

そんな自分を認めてあげればいい。自分だけの幸福の道にいる自分を

それだけでいいんだ。人間の幸福なんてのはそんな難しいことなんかじゃない

すぐそこにあるものなんだ。あとは自分がそれを幸福とおもうかどうかというだけのことなのさ

幸福というのは単に感覚なんだ。だから幸福を一度でも感じたことがあるのなら

今の自分。今の自分や今の自分がしていること。身の回りにあること。そんな”日常”をが幸福なんだってことを、あの幸福の感覚とむすびつけてしまえばいいだけなのさ



共有することで誰かの幸福を助けてみよう。

誰かには自分のしたいことを共有すればいい。身近な友人でも会社の同僚でも家族でもだれでもいいんだ。

共有するってのは話すことだ。何か書いて誰かに伝えることだ。

自分がしていること、自分が経験したこと

つらかったこと、楽しかったこと

そういう話をするってことだ。

それはとてもいいことなんだ。弱いことなんかじゃない

自分がしてきたことを、そうやって共有することで肯定する助けになっているんだよ

そしてそれを聞いた誰かも同じようなことで悩んでいたら、そんなことで悩む必要なんてなかったんだって気づくかもしれない

あるいは同じような価値観を感じて、仲間意識が芽生え、共同体として生きていく関係性を構築するきっかけにだってなるかもしれない

そうやって自分のしたいことで、人を幸せにしてあげようとするだけでいい。

それで十分なんだ

自分の周りを幸せにしようとすれば、不幸のシグナルはみえなくなるから

自分の幸福に素直になればいいだけなんだ

自分は今すぐに自分を幸福だといってもいい。

というかそもそも今の自分は既に幸福なんだよ。

自分の幸福は自分だけが感じている

例え他人の愛なんてなくても、孤独であっても、人ってのはそこに生きている時点で、本当はもう既に幸福なんだ。

生きているってことはそれだけで素晴らしいことなのさ

それでも自分を不幸だって思うのは、「そうじゃない、もっとあるはず」と他の幸福を欲しがって、それを無視してしまったからなんだ

何かをしなきゃ幸福じゃないというのは、ただの思い込みにすぎないんだよ

「あれがあれば私だって…」

そう自分に言い聞かせてね

でもそれは大きな間違いだ。

あの人達が幸せそうなのは、何かを持っているからじゃない

自分が幸福だって思っているから。それだけのことなんだ

むしろ自分は既に満たされているって感覚が前提にあるから、幸せそうな顔ができるんだ。現実を受け入れていて自分は既に幸福だから、何をしていても幸福である。だからあんな表情ができる。

幸福っていうのは自分がそう思うだけでいい。

「これで十分だ」

そう納得して、いまあるありのままの自分で十分だって思えばいいだけなんだ



人の幸福はその程度のもの。完全に精神的で、自分が何をどうみているのか、だけでしかない

人はそんな狭い世界の中で幸福になっている生き物。ずっと単純で、それこそ動物と変わらない

猫みたいなものさ。猫は単独行動が主だけど、人間みたいにさみしがりはしない

もっとも、人の手によって甘えん坊に育て上げられなければ、だが…

野生の猫はたくましい。愛らしいが、孤独に生きることが彼らの普通だ。

彼らから学ぶことは多い。彼らの姿は、たとえ一人であろうと例外なく幸福でいられることを如実に表している

幸福に上も下もない

いいかい。幸せには上下の関係があるんじゃないんだ。

横の関係があるだけなんだよ。いろんな形の幸せがあって、人によって様々だというだけ。

それは比べられることなんかじゃない

だから「あの人は○○だから私よりも幸せ」なんていうのは間違いなんだ。

自分が不幸を感じているのは「他人よりも不幸」だからじゃない。単に今の自分の幸福を感じようとしていないからなんだよ。

自分の人生でなく、他人の人生を信じようとしている。他人と自分を比べて自分は幸福、不幸ということをやっているだけなんだ。

自分も他人も、本当はお互いの幸福の形なんて知らないし、一切感じていないんだ。

自分のしか知らないんだよ。

人は孤独なんだ。だからみんな幸せを感じられなくて迷ったりすることもある。幸せの本質を見失って、ずっと不幸で居続けようとしてしまう。

もし孤独じゃなかったら、とっくにみんな誰でも幸福になれる考え方を知って実践できてる。でも実際にはできてない。それは

例え文字や言葉でそれを伝えても、個人毎の解釈は違うし、その解釈自体は共有できないからなのさ。

自分の幸福を他の人の幸福に代替なんてできないんだよ。自分の幸福は自分しか感じられるものじゃないから

だからさ。もう自分は幸せじゃない、なんて見方、やめればいいのさ

たったそれだけのことさ。夢の中に幸せを探すんじゃなく、今ある現実を幸福だと認識すること。

今ある現実をみとめ、そこで安堵することなんだ

幸福は実際にはもっと地味なものさ。派手に見えているのはそう言う風にメディアが広告しているからなだけだ。

静かで、静寂に満たされ、まるで夕涼みの中一人道端を悠然と歩いている時の感覚のように、満たされていて、孤独で、でも心地が良くて。心の底から落ち着きながら世界を感じている。

そんなものなのさ

自分の幸福は自分だけ。そしてそれは今そこにある。他人の幸福は、欲しがったところで永久に知りえないし、感じ取ることすらもできてない。

だから自分の目の前にある幸福に素直になればいいんだ。



幸福は孤独のように、既に自分のすぐそばにある人間の本質的感覚の一つなんだ。

それを否定するから、不幸が生まれる。よその幸福を使って自分の幸福を否定するから不幸だと感じているだけなんだ。

素直になろう。自分に。自分というこの世界で最もかけがえのない存在に。

それで十分だったのさ。

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