人生とは、「己の積み重ね」というブラックボックス




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2020年04月25日~:
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これまで生きてきた時間という積み重ね

生きるというのは、何かを積み重ね続けることである。

どんなことを感じたか

どんなことを考えたか

どんなことをしたか

どんなことを経験したか。

そういった積み重ねが人生である。

自分の積み重ね以外人はしらない

人は自分自身がこれまでに何を積み重ねたことは、その頭で良く知っている。

しかし、他人のものを自分は知らない。自分以外のものを人は何一つ知ってなどいない。

そしてそれを理解する術を、人は持ち合わせていない。

これまでにある他人がどう生きてきたのか

そのすべてを知ることは、誰一人としてできない

自分のものしかそれを知らない。

人の人生は、そんな孤独の中で積まれていくのだ。

「言葉」という積み重ねの頂点で出力される記号

“最高の善とは智慧(ちえ)であり、最高の悪とは體(からだ)の苦痛である”

─レオナルド・ダ・ヴィンチ

人の言葉は、その言葉を発するまでに積み重ねてきた自分の人生の頂から出力されるものである。

これまでに経験してきた様々なものたちを合算し、その答えを、言葉という手段で出力しているのである。

あらゆる人の言葉とは、「それを発した時点のその人」にとっての答え、”積み木の頂点”でしかない。

他人はそんな自分の積み重ねなど何一つ知らないのだから、積み木の頂点でも、答えでも何でもないのである。

他人は自分とは異なる積み木を積み重ねている。

他人は自分以外の人から聞いたその言葉を、その他人自身の積み重ねの積み木に合わせて解釈するだけである。

その他人の都合に、目的に合わせて、如何様にも解釈してしまうのだ。

ゆえに人は相互理解などできない。

同じ理解をすることということは、これまでの積み木の形が全く同じでなければならず、原理的に不可能である。

自分が「そう考えて」出力したすべての言葉には、既に「そう考えて」が何も反映されていないただの記号にすぎないのである。

ゆえに人は同じ言葉を共有していても、それが相互理解していることを意味はしていない。

ただ同じ記号を共有しているだけ。それだけであり、それに対する意味や解釈を何一つ共有できていないのである。

言葉を使い続ける限り、単独で人生を積み重ねる人の仕組みを捨てでもしない限り、人がその仕組みから逃れることは不可能である。

長く生きるほどあらゆる他者から遠ざかる

長く生きれば生きるほど、人は他人から違う存在になっていく

積み重ねれば積み重ねるほど、あらゆる他人から違っていくためだ

経験、知識、そういったものが、自分を作り、積み上げ、自分らしさになっていくのだから。

その「自分らしさ」が、同時に他者に対する独立性と孤独を高めることでもあるのだ

年齢を重ねるほど「合う人」はへる

積み重ね続けるほど、価値観や思想は限定化されていく。

それに従って、「合う人」も減っていくのだ。

幼稚園や小学校の頃には簡単に誰とでも仲良くなっても、中学、高校と進んでいくうちにどんどん限定化されていくように。

社会に出ればさらに顕著になる。仕事以外で付き合う人間はいないか、相当に少ない

SNSを見れば、まるで自分と”合わない”と感じる人は様々な形で、いろんなところに存在していることがわかる

自分が積み重ね続ける限り、近いと感じる人間は減っていくのである。

他人も遠ざかっている

では自分が行動しなければ他人との距離は遠くはならないのかといえば

当然他人だって生き続けている、つまり積み重ね続けているのだから、あちらからだって遠ざかり続けているのである。

人は生き続ける限り相互に遠ざかり続ける運命にある。

それを拒否することは、宇宙の法則に反しようとするようなものだ。

「他人に理解を求める」とは

そんな人間にとって「他人に自分の理解を求める」ということはどういう意味を指すのかといえば、

「自分がこれまでに積み重ねた全てと同じことをしてほしい」と言っていることに等しいのである。

いつどこで生まれて、何とどうかかわって、何をして、何を感じて、考えて、行動していきてきたのか。

その一切合切を経験してほしいと、それも全く同じ形でお願いしているようなものである

それは「相手にこれまでの自分の人生を全く同じに生きなおしてほしい」とお願いしていることに等しい行為なのだ。

そんなこと人にできるはずがない。

同じ時、同じ環境。全てが全く同じように再現された環境を用意し、かつ当人を赤ん坊にまで巻き戻して人生を生きなおさせようとしない限り不可能である。

完全に自然の法則を無視している願い

“他人の人生というあまりにも巨大な未知の文脈”など、たどりようがないのだ。

ゆえに、人を他人を”疑えない”

実際に疑っているのは、他人の言った言葉が、自分の思っている解釈と繋がらないことに対するものだ。

その言葉を発するに至った他人の解釈ではない。他人の解釈は、人は知らないのだから。

人は自分のことしか疑うことができない。他人を疑うかのようにふるまうことはできるが、それはあくまでみせかけにすぎない。

人が他人にやっていることは、「人形遊び」とほぼかわらないのだ。

他人や他人の言葉は記号。しかしされど記号

誰かの言った言葉も、誰も自分のことを理解するものはないし、正解を導くこともない。

ただの記号。人にとっての他人や他人の言葉、他人の作ったもののすべては単なる記号にすぎない。

しかしそんな単なる記号の存在ではあっても、自分が次に積み上げようとする何かの布石くらいにはなるかもしれない。

自分の生きたい方向。それを教えてくれるきっかけにもなりうる。

誰かに影響をうけたり。

勇気づけられたり。

別の考え方を知って、変わるきっかけ気になったり。

だから無価値でではない。

無価値かどうか、どう価値があるのかを判断するのは、自分自身だ。

世の中にはいろんな人の言葉にあふれてる。

それと自分が関わるのか。どう使うか。そして積み上げるか。

それを自分で決めて自分の積み木のこやしにしていくことができる。



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Name : Elepan

元うつ病患者 (闘病歴10年)

約10年間のうつ病の体験と、独学で立ち直ったことや、実施した治療法について書いています。一人でも誰かの役に立つ情報になりますように… その他にも遊んだゲームの情報、世の中のおかしいと思うことなどについて考えたことを色々まとめています。

 

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