人生は「保証」を捨てることで楽で簡単なものになる






2020年04月25日~:
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これから先、自分の人生はうまくいくのか

今やっていることは、本当に自分の人生を保証してくれるだろうか。

そういったことが心配で、かえって生きづらくなっているのなら、それは捨ててしまったほうがずっと楽に生きることができる。

そして、そもそも人生に保証なんて求めないほうが、ずっと生産的に幸福に生きられることがわかってくる。

気にしても何も変わらない。

保証を求めるというのは、自分の安全を外の何かに求めるということ。

例えば,

「大企業に就職することで安定した雇用を得る」

「正社員雇用されることで先を担保する」

という将来的なものから、

「周りの目を気にして生きる」

「当たり障りのない人生を送る」

「誰かの言った通りに生きる」

そういった自分の生き方に関することでも同じことがいえる。

いくらそれを気にしてもそれが自分の思った通りに保証されはしない。

先のことなどわからないからだ。

保証など最初からどこにもないのだ

「自分の外にあるもの」に、保証などなにもない

特に自分の外の存在がどうなるかなんてことはわかるわけがない

一年後に世界はどうなっているか?雇用状況は?経済は?治安は?

そんなこと誰だって知らない。わかるわけがない。

いつどこで何が起きるのか。そんなことを把握している人間などいない。

1年前、コロナウィルスで世界恐慌になるなんて思っていた人など誰もいなかったはずだ。

それで職を追われてしまった人だっている。いくら何かに備えたって、突発的に起きるものにはどうしようもない。

それが自分のコントロールできる範疇を超えてしまっている“外の何か”なら当然のことなのだ。

他人だって同様だ。他人も自分から見れば”外の何か”である

他人の目を気にしたってどうにもならない。他人の出方をうかがったところで、その結果が保証されることなどない。

そんな保証を気にして得られるものは何か?

そうやって気にして得られるものは何か?

不安だけだ。

焦燥感、不快感。本当に保証されているのか?そうなるのか?という心配事だけが増える。

その焦燥感を感じている間、一体自分は何をしているか?

何もしていないだろう。目の前のすることを前に、手が完全に止まっているはずである。

そしてその心配を埋めるために、目の前のことを放り出して誰かが大丈夫、安全だと言ってくれるものを探すためにインターネットで時間をつぶしたりしているのではないか?

外に保証を求める、つまり「気にする」という行為は、自分を恐怖にさらしているだけ。時間を無駄にしているだけ。

人は恐怖を前にすると足がとまってしまう。手が止まってしまう。

「気にする」という行為は非生産的行為以外のなにものでもない。

そして気にするというのは、何かに対して身構えているということでもある。

つまり受け身でいるということだ。受け身でいて、嵐が過ぎるのをただ待っているだけ。

受け身は完全に時間と気力と体力の無駄。

自分をただ使いつぶすだけの考え方でしかない。

気にしても何も進まない。気にしても何も問題は解決しない。

結局のところ「気にする」という行為は、ただの妄想とほぼ変わらない。

無駄なことに時間を費やしているのだから、妄想で時間をつぶすことほぼ変わらないのだ。

外、つまり環境とは気にしても意味がないものなのだ。

「保証がない」。それが人生。現実のありのままの姿だ。

気にしても意味がない。生産性ゼロ

つまりしなくていいいいことなのである。

「気にしなきゃいけない」なんてのは思い込みなのだ。

思い込みをすて、保証を気にしない人生こそ、人にとって最も効率的に生きられる人生の在り方なのである。

現実の世界は何もかも、人間にとって都合よく備えられているような生暖かい世界なんかじゃない。

次の瞬間にはどうなっているわからないのがこの世の摂理。

保証などという概念は、そもそも人が作った概念にすぎない。法律だとか保険会社などの契約書だとか、そういったただのペーパーワークであり、

人間が作ったただの”作り物”でしかない。

それを受け入れてこそ、「本当の自分の人生」始まる。

現実を直視すること。保証などという妄想に逃げないこと。

現実のありのままを受け入れ、自分の都合を全開して生きていく。

そうすれば今まで保証を求める気にする対象だった「外」が別の見方に変わっていくのだ。

「気にする」のではなく「使う」

外は気にするものじゃない。使うものである。

今存在している環境を「使って」自分の目的を達成するために行動するのである。

雇用状況も社会情勢も他人も何もかも、

自分が”今”持っている確かな目的のために利用することだけを考えればいいのだ。

今できることをするだけ

この考え方に切り替えていく

「今学べることをする」

「今作れるものを作る」

「今やれることをやる」

「今やりたいことをやる」

という思考に変えていく。今目の前にあること、できることだけを考えて実行する。

受け身になっていても意味がない。自分から行動していかない限り、何も変わることはない。

誰かからされることをまつんじゃない。周りが変わることを待つんじゃない。

今自分がすることだけをやる。

これだけでいいのだ。

これに切り替えるだけで、簡単に肩の荷がおりる。外を気に変える思考から、外を使う思考に切り替えるだけで、簡単に楽になり、手が動き続ける。

人の幸福なんてのは外に保証された何かに宿ってなどいない。

今在る自分の感覚次第なのだ。

「気にする」は不幸の考え方。「使う」は幸福の考え方

今自分が安心感を感じているか

今自分が不安を感じているか。

それが人の幸福のすべて。

外を気にする限り、人は生涯不安と直面しつづける。

外を使い続ける限り、人は不安とは無縁になる。

幸福は相対的なものであるとある人が言っていたが、それは外を気にしている人の発想にすぎない。

外を気にして、自分が幸せかどうか他の誰かと比較しようとしたりして、自分が幸福だと保証されているかどうかを確かめようとするからだ。

「今ある外を使っている人間」からすれば、そんな発想はわいてきすらしない。

今を見ている人間に、気にするという概念は存在しない。

今を生きている人間に、不幸というという概念は存在しない。

どう生きるかは自由

不幸と隣り合わせの人生か?生涯を通して不幸とは無縁の人生か?

それを人は選べる。幸福も不幸も。人の生き方の形態にすぎない。

どちらでも構わない。どちらでも正しくも間違ってもいないからだ

ただ選べばいい。自分が生きたい人生の形を。

それが自由というものだから。

 
 



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Name : Elepan

元うつ病患者 (闘病歴10年)

約10年間のうつ病の体験と、独学で立ち直ったことや、実施した治療法について書いています。一人でも誰かの役に立つ情報になりますように… その他にも遊んだゲームの情報、世の中のおかしいと思うことなどについて考えたことを色々まとめています。

 

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