感受性が強いあなたに。共感の仕方を変えて人生を楽に生きよう。






2020年04月25日~:
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共感とは?

人との関わりの中で、人は他者の言動や行動を見たとき、他者を自分に置き換えて感じたり想像したりする。

それを共感という

他人だけでなく映画の登場人物などにもできる、人生を豊かにすることもできるこの機能だが、

人によっては”強く共感”してしまうために、それで苦しくなって生きづらさを感じる人もいる。

それをHSPという風に呼んだりすることもある。

そういう自身の特徴とうまく付き合っていくにはどうすればいいか。

切っても切れない共感

共感を避けるのは非常に難しい。

人と付き合うことがほぼ必須の社会において、特に感受性の高い人が、これを避けることはほぼ不可能であると思われる。

誰かと会話するだけでも、相手の会話する内容から相手の内面や思考、感情を想像しようとしてしまうのではないだろうか。

最近ではSNSでも人のやり取りが活発で、そのやり取りを見ているだけでも共感を示すことになる。

リツイートで、メンションで、トレンドで。

そういう形で目に入ってきてしまう。

映画やドラマ、様々な娯楽を通じても、登場人物に共感を示す。

ニュースサイトでも、そこに書かれている情報に対して様々な形で共感する。

それは気持ちよくなれるものもあるし、不快な気持ちになることもある。

日常生活のいろんなところで転がっていて、それで楽しんだり、悲しんだり、楽になったり、苦しくなったりする。

共感の仕方を変えることは日常を変えること。

思っている以上に日常的で頻繁に行っているもの。切っても切れない要素なのだ。

だから共感の仕方を変えていけば、今後の生活を楽に、豊かにすることにもつながっていく。

“自由”に”能動的”に共感する

人の能動的な意思、感覚に共感するよう変えていく。

例えば、映画やドラマを見るとき、どう共感しているだろうか?

「窮地に立たされる」とか「追い詰められる」とか。

「嫌われる」とか「愛される」とかそういった受け身的なことがメインになってはいないか。

もしそうなのであれば、おそらく現実でも同じような形になっているのではないかと思う。

空気が悪くなることに耐えられないとか、他人が怒られたりするのをみて苦しくなったりするのは、

そんな他人から「される」こと、「さらさ”れる”」「怒ら”れる”」に強く共感しようとしているからである。

だから受け身的な共感ばかりでなく、能動的な共感の機会を増やしていくことで、「受け身で苦しんで共感する癖」を捨てて楽になっていくことができるのだ。

「される」ではなく「する」へ共感していく

例えば悪役に追いつめられる主人公を想像してみよう。

その時その「追い詰められている感覚」に共感しようとしているのではないか。

それを悪役のほうに「追い詰める方」に共感してみる、といった感じである。

とはいえ悪役ではしづらい、ということなのであれば、どんな状況だろうと目的を見失わずに立ち向かう主人公の意思など、

とにかく能動的な何かに共感していくようにしていこう

“共感させられている”を捨てる。

例えば誰かが自分のことを好きだと言っている時、

「好か”れた”」ということに対して何かを感じて”しまう”、と不可抗力のように感じる人もいるかもしれないが、

それは全部自分の意思で感じようとしているもので、あらがえないものではない。

悪口を言”われた”とか、そういって悲しくなったり苦しくなったりするのは、

自分が「されている」というものの見方をして、そこに何かを感じようとしているからである。

そういった受動的で苦しい共感はしなくていい。

“共感させられている”という思い込みを捨てること。

共感は自分で選べるものだ。自分の好きに使っていこう

全ての人間が能動的に生きているとみる

フィクションの登場人物から始めてみるのが一番手軽だ

それに慣れてきたら、日常で生きている人々に対してもそのようにみるように変えていく。

自分の目に映る全ての人が「する」ことのために生きているとみる。

もちろん自分がそう見出せる、自然なものでいい。

もし見いだせないのなら、無理に感じようとしなくていい。別の考え事でもしていればいいし、見なくてもいい。

他人が実際にどう感じているかは関係ない

共感は、「他人が感じていることのように共感しなければならない」という決まりはない。

そもそも他人が実際に感じていることを、自分は感じられないし、知らない。

他人の内面にあるそれは考えてもわかることじゃないからである。

共感と理解の違い – 人の限界 –

自分にできるのは、他人を自分の好き勝手に想像することだけである。

実際のところ、それが全てで、常にそうしてきているはずなのだ。

つまりなんでもいいのである。他人の都合と自分の都合は相容れるものではなく、まったく関係がないからだ。

だから他人を使って自分の好きなようにとらえていいのである。

自分の好きなように感じたいように感じよう。

“義務の共感”をやめる。

「相手の気持ちになって考えなさい」

こういわれた人は多いはず。

これを、「相手から気持ちを読み取って共感しなきゃいけない」というようにとらえている場合がある。

これは脅迫的な受け身的な共感のとらえ方で、歪んだ認知である。

「相手の都合にそって共感しな”きゃ”いけない」

そういった自身の意思に反する思考だからである。

自分軸を失う共感の仕方なのである。

自分軸を失って共感すると苦しくなる。だから、相手の都合に合わせて共感することをしなくていい。

目の前の”もの”にひっぱられなくていい

目の前の人やものに、自分の感覚をのせような共感の仕方は、もうしなくていい

今在る自分の感覚のままでいい。自分の都合全開でいい。

外に乗っけなくていい。自分の都合、感覚、意思だけでいいのだ。

今乗っている自分の感覚をただ感じるようにしてみよう

自分を否定して何かをしなくていい

誰かに話しかける前とか、何かに携わろうとしたとき、

まるでその準備をするかのようにどこか自分を否定してから取り組もうとしていたろはしないだろうか?

相手に気に入られるだろうか?怒らせないだろうか。

失敗しないだろうか。うまくいくだろうか。

結果に身構えるような感覚を使ってはいないか。

もしそうなら、これも捨ててしまっていい。

他人の期待に応えようとしたり、結果に執着して、

身構えたりして、自分を否定して苦しめる必要はない

その共感の癖も捨てていいのだ。

自分の好きなように共感する

しな”きゃ”ではなく「自分のしたいように共感する」に変えること。

相手を見たとき、自分がとらえたい形で共感する。

特にしたいことがないのなら、しない。

漠然とした”外”に対する意識も変えていく。

例えば常識、普通という概念だとか、社会情勢だとか。人は他人そのもの意外にも共感を示して自身の感覚を使っている生き物である。

そういった”外”に自分を合わせようと共感する必要はない。

その外にだって、自分が自由に使って感じたいように共感する、という風に変えていくことができる。

何にどう共感するか、しないかも全部自分で決めていい

だったら気持ちよく健やかに共感したほうが気持ちがいいし、健康的なものを選ぼう。

自由に、気楽に、前向きに共感していこう。

苦痛な受動的共感をやめる。

「気にする」をやめる

他人が「いる」をやめて自分が「ある」にする

相手からの「されること」に対する警戒、外からの何らかの要因に「身構える警戒心」。

もしくは自分自身が何かをやらかすことで被害を「こうむる」という受け身的な解釈。

他人の目が気になる。そんな他人が「いる」感覚のこと。

それをやめて、自分が「ある」という感覚に変えていく。

そうすると不思議なことに全く他人が気にならなくなる。

嫉妬をやめる

他者が何かに成功をしたなら、その成功によって感じている能動的な感覚を想像して共感する。

嫉妬は一種の呪いのようなもの。その呪いは相手に対してでなく自分に返ってくる。

相手に自分の内面の鏡を映して、その自分を嫉妬することで否定しているからだ。


「自分は成功しない」という呪いをかけているような破滅的行動でしかない。

それを続けていると、何もできない無気力な自分ができあがってしまう。

自分に損するだけの悪習は捨てていこう。

ネガティブな”投影”をやめる

例えば芸能人などの存在に対して、自分を投影しようとしたとき

「自分より輝いている」と感じて、嫉妬してしまうこと、自己否定してしまうこと。

そうやって外の誰かにネガティブに自分を重ねる癖をやめること。

自分が「ある」

常に自分を確かに感じるように、自分の感覚を最優先に感じていくこと。

この感覚を大事にすること。

卑屈に共感しない

「みんな自分のことしか考えていない」と卑屈にとらえない。

「皆ただまっすぐ自分の目的で生きている」と前向きに心地よく健やかにとらえる。

素直に、自由に、健やかに。

相手のために共感しなくていい。

自分がしたいときに、したいように感じていく。自分がそれをすべて選んでいい。

様々な能動的な共感の種、プラスの種を他者から見出し、他者という存在を前向きにとらえていく。

見出せないのなら、共感する必要もない。無理やり共感する必要もない。

場合によってはその人とは距離をとる。共感することはやめる。

それも全部自分で選んでいい。付き合う人もすべて自然体で、選んでいけばいい。

共感は自然にできることが望ましい。

そのままの自分で、何も無理をしない自然体な自分のままで、感じたいと思ったことを感じるだけだ。

そうすれば常に健やかに前向きでいられるようになる。

“自分のため”という意識が重要。無理をせず自然体の自分でいていい。

それが自分軸なのだ。自分軸で共感を使って、自分を前向きにしていこう

せっかくのその感受性は自分の人生のために使おう

その感受性は、自然に、素直に、自分を気持ちよく創造的に使ってこそ花開くというもの。

それをもっと良く使っていく上でも、自身の共感の仕方を見直して変えていくことはとても価値ある経験になっていくはず。



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元うつ病患者 (闘病歴10年)

約10年間のうつ病の体験と、独学で立ち直ったことや、実施した治療法について書いています。一人でも誰かの役に立つ情報になりますように… その他にも遊んだゲームの情報、世の中のおかしいと思うことなどについて考えたことを色々まとめています。

 

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