私の中で「学ぶこと」が日常になった






2020年04月25日~:
現在メンタルヘルス系過去記事を順次全書き直し中です。
上記年月よりも古い記事は順次修正予定記事になります。

noteで公開している記事です。
https://note.com/elepan/n/n7020e8622eab

人は何かを学ぶ時、大抵なんらかの目的をもってる。

資格取得のため、ビジネスのため、就職活動のため、いろいろだ。

私もその例に漏れない。目的のために何かを学ぶ、何かをする。

しかし私は、そう考えて何かに取り組もうとしても、全然続かなかった。

いつも途中で放り出し、娯楽に逃げてしまう。

そんな自分に嫌気が差して、コンプレックスで押しつぶされそうになっていた。

しかしある時期から自意識のメタ認知をするようになって、

なぜ自分がこれまで何毎においても長続きしないのか、逃げてしまうのかかがわかった。

それを元に自意識を変えてから、

自分にとって学ぶことが生活の中で当たり前のことになるまで浸透したのだ。

結果を求めても不安になるだけだった。

当時の私は結果に執着していた。

必ず自分の想定した結果にならなきゃいけない。

私にとって結果に対する意識は「マスト」だった

そしてそれが底知れない不安を作り出している原因だった。

「本当にこれで大丈夫だろうか」

「うまくいくだろうか」

「正しいやりかたなんだろうか」

結果を心配すぎて、まったく集中できなくなっていた。

不安で集中できない

だから何かに取り組もうとしても、すぐに不安に襲われ、自分がしていることに意味を感じることができなくなってしまっていた。

それに気づいた。結果を求めると、不安で何もできなくなる、と。

そして、完全に手が止まってしまっていたのだった。

いつまでたっても結果にたどり着けない苦痛の無限ループに陥っていたのだった。

結果は全て”幻想”だった

どんなにこれでうまくいくというプランを練っても、必ず想定した結果が得られるわけではなかった。

これならいけると思った方法で学ぼうと取り組んでも、期待している結果は得られたことはほとんどなかった。

適切な方法でなかったり、別のいい方法があったことが後でわかったりすることが多々あったがそれ以上に、

やはり何より手が全然動いていないのだ。

方法論にいくら執着しても、手が動かなきゃ全く意味がなかった。

その結果を得てもたいして感動しなかった

それでもたまには、何かの拍子で続けられることもあった。

体調が良かったとかたまたま集中できる気分だった時がたまにあって、そういうときだけは続いた。

それで何かしらの結果を得られることもあった。

しかし、その瞬間は大して嬉しさだとか興奮を感じていなかったのだ。

多分、これに気づいたことが、自分を変える上で一番大きかったように思う。

当時は「自己評価が低いからなのかな」と考えたが、そうではなかった

実現した結果とはその時自分ができることがそこに現れているだけだったのだ。

その時の自分ならやれて当たり前。できて当たり前。

後で振り返ってみるとできることが増えてるな、というくらいだった。

当たり前にできるからその結果があるだけだった。

感動しなくて当たり前だった。

日常生活に何も感動しないことと同じことだった。

知らない間に服をたたむのがうまくなっていたり、

知らない間にスマホの扱い方が手馴れていたり。

そういうことと同じだった。

結果を求めることに対する疑問

結果を求めると手が止まる上に、得られてもたいして感動を感じない。

求め続けていた結果は幻想で、実際に達してみるとそれは既に普通のことで、結果を得ることで得られると思っていた、「万能感」のようなものはない。

ではいったい結果を求めることに、なんの意味があるのだろう。

自分は一体なにをしてきたのか。とてつもなく不毛なことを自分はしてきたのではないか、と思いはじめるようになった。

でも目的があったから手を動かせた。

でも確かに自分は結果に何かを求めていたから、何かをすることができていた。

もしそれがなかったら何もしなかった。する理由がないから。

しかし求めると不安で手が止まってしまう。手に入れると、それは大したことじゃなくなってしまう。

この矛盾はなんなのだろう?

その矛盾を考えながらふと、気づいたのだ

何かを追っている時が一番面白いということ

何かに向かって努力している時。

何かを夢みて、ひたすら何かに取り組んでいる時。

そんな瞬間が、一番心地よく、一番集中していて、一番気持ちがよくて、何もかも心配することがなくて、ただただ幸せだったということに。

何となく調子がよくて、続けたい気持ちで取り組んでいあの時の集中した感覚。

確かなあの手ごたえ感。

自分が欲していたものはここにあったのだと。

希望に向かって何かを積み上げている”過程そのもの”だった。

結果が出ようがどうだろうが、何かに取り組むことは何も変わりはしない。

この取り組むことそのもの、ここで感じることそのものが、自分が求めているものだということに気づいた。

結果に対する執着を捨て続けた

これに気づいてからは、自身の結果に対する執着の認知を捨て続ける日々だった。

今にすべてがあるのに、それを無駄にするだけだからだ。

そうしていくうちに、自分の作業に対する不安はなくなっていき、より作業に没頭することができるようになった。

能動的に生きることが当たり前になっていった

学ぶことそのものに集中ができるようになっていく中で、受動的な目的がなくなっていった。

学びは、自分から目的を作って学ぶ。

つまり自分の能動的意思で行動するもの。

それが自分の生活に溶けていくうち、能動的に物事をとらえることが当たり前になっていった。

そして、娯楽に”逃げる”こともなくなった。

私は娯楽に「結果」を受動的に求めていたことがわかった。

娯楽は勝手に自分が求めている結果を与えてくれるからだった。

だからいつもそちらに逃げていた。

ただそれは“与えてくれるように見えるもの”でしかなかった。

気持ちよくしてはくれていたが、自分に何も積み上げちゃくれなかった。

学びとは積み上げるもの。

そして積み上げるのは、自分自身しかできない。他人や他の何かではできないのだ。

娯楽の楽しみ方も変わっていった。楽しませてもらうのではなく、自分で楽しむものになっていった。

娯楽を通じて何かを作ろうとしたり、何かを学ぶきっかけになっていった。

娯楽に対する共感の仕方すら変わった。

キャラクターが窮地追い込まれてるとか、そういった受動的な共感ばかりしていたが、

逆に境地に立たせた相手の能動的な気持ちや、逆境に立ち向かうキャラクターの激情、

さらには法律を使って相手を退けたり、違法であっても目的のためにためらわずに破ったりと、

自分の目的を達成するために何かを使うという能動的な行動に共感を示すようにもなった

皆何かに”構えて”などいなかったし、備えていたのではなかった。

皆何かを”使っていた”だけだった。

道具だけじゃない。人は他人すら”使う”。

能動的人生とは「万物を使う人生を生きる」、ということに気づいた。

ただひたすら目の前のことに取り組み続けることが生活の大部分になった。

「今を生きる」ということを身をもって理解できた。

人は今を生きている。その意味を自分の人生そのもので理解できた。

これが今を生きるということなんだと。

「”今”何かをしていること」

ここにすべてがある。

それが人のすべてなんだということに、気づくことができた。

学ぶことが”自分”になった

こうして私の日常は何かを学ぶことになった。

何かを調べたり、気になったことを心行くまで学ぶようになった。

暇さえあれば何かしら学んでいるようになった。数学、絵、創作、プログラミング、英語…

これからもきっとどんどん増えていく

それがとても幸せだ。

これが自分の求めていた自由そのものだった。

何かを学ぶこと、探索すること、解析すること。

それが自分の人生のテーマになった。

何かを学ぶことが、自分自身そのものになったのだった。



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自己紹介

Name : Elepan

元うつ病患者 (闘病歴10年)

約10年間のうつ病の体験と、独学で立ち直ったことや、実施した治療法について書いています。一人でも誰かの役に立つ情報になりますように… その他にも遊んだゲームの情報、世の中のおかしいと思うことなどについて考えたことを色々まとめています。

 

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