どうすれば誹謗中傷に傷つかなくなるか






2020年04月25日~:
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SNSで日々行われる誹謗中傷。

炎上した芸能人から一般人、時事ネタ関連の情報をSNSから探ってみれば
必ずと言っていいほど目に入るこの行為。

「態度がむかつく」

「こんなやつ死んで当然」

「生きてる価値なし」

これにいろんな「〇〇だから」という理由のおまけをつけながら、こんな感じの中傷がいろんなところでたくさんついている。

ニュース、個人アカウント、誰かのメンション。

SNSを利用する上で、これらと出くわすことを避けることはほぼ難しい。

対岸の火事なら安心してながめていられるかもしれない。

しかし、いつ自分がその的になるともわからない

何気なくツイートした何かがそれを気に入らないと思う誰かの目に留まり、誹謗中傷の種になってしまうかもしれない

それにそんな対岸の火事ですら、自分のことのように感じてしまって苦しむ人もいる。

現実だけでなくSNS上ですら気を使い、「生きづらさ」のような物を感じながらも利用している人も多いと思われる。

そんなSNSであるが、それでも利用したいと思う人も多いはず。

であれば利用するための障害は少ない方がいいのではないか。

誹謗中傷を気に銭司楽しく使えたほうがいいにきまっている。

SNSを楽に利用するためにも、どうやったらもっとSNSを楽に利用できるか。

それを考えてみよう。

まずは誹謗中傷について知ろう

誹謗中傷とは「相手をばかにしたりけなして、他人の名誉を傷つけようとする行為」である

つまり、誹謗中傷は常に「他人のいったこと」が起点にある。自分が言ったことでも思ったことでも感じたことでもない。

他人が思ったであろうこと。他人がそう感じたであろうこと。

自分のそれが一切存在しない。

「その他人の言い分を受けて自分が傷つく」、というメカニズムになっている。

そしてこれらの要素に、誹謗中傷を気にすることが、如何に意味のないことであるかのヒントが隠れている

他人はこちらのことを何も知らないで言っている。

全ては他人の言い分が誹謗中傷の始まり。

そしてその他人の言い分の発信者である他人は、こちらのある何かを指してそれを侮辱し、傷つけようとするわけだが

他人はこちらのことについて何一つ知ってなどいない。

「その他人自身にとってそう見えている何か」に対して言っているだけ。

〇〇なやつはバカ(と他人自身には見える)。

〇〇な人は無価値(だと他人自身には見える)。

ただ他人に見えている景色を言っているにすぎない。

こちらが見ているもの、感じているもの、考えていることなど何も知らずに適当に言っているだけである。

鏡に使ってるだけ。

“他人にはそう見えているだけ”

“他人は何も自分を知らない。”

“他人が知っているのは他人自身だけ”

つまり人にとって自分以外の人というのは「鏡」なのである。

人は相手を知ることが一切できず、せいぜい自分の内面を他人に映し出して想像することが限界なのだ。

つまり誹謗嘲笑とは、相手が傷つくことを面白がっているということではなく

相手という鏡に映った自身の内面が傷つくのをみて、愉快になっているだけなのだ。

遠回しに自分を傷つけているだけなのである。一種のマゾなのだ。

それを当人が差も傷ついていると勘違いしているにすぎない。そう見ようとしているだけにすぎない。

そうやって誹謗中傷を繰り返すほど、その他人自身がどんどん僻み、ひねくれて不幸になっていっていることを知らずに。

自らの手で他人を使って自分を否定し、不幸にしていっていることに、本人たちは気づいていないのだ。

ただの歪んだ自己満足

すべては当人たちの歪んだ自己満足にすぎない。

歪んだ承認欲求を満たすために、誹謗中傷をしているだけ。

そのターゲット、誹謗中傷者の内面を写す鏡としてこちらを使っただけだ。

だからそんな他人の戯言など少しも気にする必要などない

彼らのマゾヒズムにつきあってあげる必要はない。

他人の言ったことを真に受ける必要など、どこにもないのだ。

他人が言った事に真面目にならないでいい


他人が言われた事に真面目に理解、共感しようとしなくていい。

真面目に考えてそれが正しいか間違っているか検証しようとするからつらくなるのだ。

全て彼らの都合でできた妄言、マゾプレイにすぎないのだから。

「私は本当にダメななんだろうか。私は本当にひどい人間なのか。間違っているのか。」

そんな答えを他人に、外に求めなくていい。求めているから、他人の誹謗中傷にも本気で受け取ってしまうのである。

さっきも言ったように、他人は自分のことなど少しも知りはしないのだ。

こちらを全く知らずに言った相手の言ったことなど、全てどうでもいいことなのだ。

他人と自分を切り分けて楽になろう

「他人に言われたという事実」と「自分が思う事実」の切り分けをしていくことで、人から何かを言われても傷つかなくなる。

そうすればSNSもストレスを感じずに利用していくこともできるようになっていく。

誰も自分を傷つけることはできない。

自分を本当に傷つけているのは自分自身で、自分の思い込み。

他人の言われたことをまじめに取らないといけないと感じていること。

他人が言っていることがまるで真実のように感じていしまうその心。

それは他人に対して自分の価値観を置いている証拠。他人に依存している証拠でもある。

別に依存自体を悪いことだと責める意図はない。ただそういう特徴をもっているから、苦しんでしまうということを言っているだけだ。

他人に依存していると、他人の言われた通りの自分を演じることになってしまう。

他人に嫌なことを言われれば嫌なことを感じ、他人に褒められば安心するという風に自分を感じようとしてしまう。

そしてこの思い込みは、長年自分がこれまでに積み重ねてきた自分の使い方によるところにある。

自分がこれまでどう教育されてきたのか。その積み重ねによるところが大きい

それはひょっとしたら、「他人に従わなければならない」という、心の癖のようなもからなのかもしれない

それを解き放って他人から自由になれば、他人が何をしていようと何を考えていようと、全てどうでもよくなり、自分の人生を素直に楽しむことができるようになっていく。

誹謗中傷のために生きなくていい

人生は自分だけのもの。

他人の誹謗中傷のために生きているわけじゃないのである。

ただ自分がしたいことをしたいだけ。見たいものを見たいだけ。

だからそれに素直になってしまえばいい。もっと自己中に、自分を解き放ってしまえばいいのだ。

つまりは常に開き直ってしまっていいのである

ただ自分であり続けていい。今の自分の時点で、もう十分なのだ。

「今目の前にあるもの」。それが自分の世界のすべてである。

パソコンやスマホの向こう側など存在しないのだ。

ただの文字の羅列。記号の集合体。

それ以上の意味は存在していない。

存在していないものよりも、確かに存在している今という現実こそが、自分の今感じている全てなのだ。

自分がある場所は今ここにある。

今こうして立っている

今こうして座ってる

それだけのことだ。



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Name : Elepan

元うつ病患者 (闘病歴10年)

約10年間のうつ病の体験と、独学で立ち直ったことや、実施した治療法について書いています。一人でも誰かの役に立つ情報になりますように… その他にも遊んだゲームの情報、世の中のおかしいと思うことなどについて考えたことを色々まとめています。

 

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