この世に「変人」なんて存在しない レッテル張りなんて気にしなくていい。




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2020年04月25日~:
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記事サムネ: 傘持ちさんによる写真ACからの写真

「変わっている」とは主観的感想にすぎない。

「皆が持っている基準」などない。

ゆえに普通など存在しないのである。なぜその基準がないのかといえば、

それは人が、他人を真に理解することができない生物だからである。

他人は他人を理解できない

他人は「他人の思考」を知ることができない。誰も人の頭の中など知ることも感じることもできないからだ。

ゆえに人は、他人の頭の中そのものに存在する何か、知識や経験、感覚、感情、その使い方や在り方といった、「解釈そのもの」を共有することはできず、ゆえに全く同じ「基準という解釈」も共有などできない

言葉を使っているから、それができているように見えるだけ

言葉は解釈そのものではなく、単なる記号。ある言葉を人がどう解釈するのかなど、自分以外のそれを除いて知ることも確かめることもできない。

同じ言葉を共有していても、その言葉に対する解釈は全く違うかもしれないのだ。

ゆえに「皆が思っていること」などない。皆が共有している基準、標準、普通など、存在しない。

よってどんな「それらしい言葉」を使おうと、すべてその個人の感想にすぎない。

「皆が変だということが変」だと思ってはいないか


前述したとおり、変というのは主観的感想である。

客観的事実などではない。そんなものはハナから存在していないのだ。

つまり「変である」というのは、「自分が変だと思うこと」である。

誰かが変だと思うことなんかではない。世間が変だということなんかでもないのである。

「誰かと共有している変」は存在しない。

これも前述したとおり、他人が何をどう変だと考えているかという思考の領域の産物など、真に人は知ることはできないからである。

人は他人のことを少しも知りもしないのに、そんな他人全員が共有しているであろう「普通」を知ることなどできようか、ということである。

ありえないことなどありえない。


なぜなら、ありえたことはすべてありえることであり、自明の事実達だからである。

つまり自明の事実だけでできている「現実」にありえないことなどないのだ。

ありえないこととは、人が真に経験しえない何かの事である。

例えばこの宇宙には果てがあるのか。そもそもどうなっているのか。
見たこともない、聞いたこともない。

そういう「未知の物」のこと。そういうものを人は何も知りえない。

ゆえに、ありえないことなどありえないのである。

ありえないことを、人は何も感じとることもできず、存在しているかどうかすらしらないからだ。

起きたことは全てあり得ることなのである。

どんなことも、どんな想像をすることも、どんな考え事であっても

どんな人間も、どんな事象も、そこに存在している時点で全てあり得ることなのだ。

それを否定することは、現実を否定することに等しい行為なのである。

現実を否定し、当人の都合のいい世界になってほしいと駄々をこねて「そんなのおかしい、ありえない、変だ」とレッテル張りをしているだけにすぎないのである。

変だとレッテルを張るのは、単なる詭弁である。

何かを変だという目的は、「当人の都合に合わないからうやめろ」という「要求」にすぎない。

ようは「気に入らない」のである。当人に生理的に合わない何かがあって、ヒステリックに反応し拒絶しているだけに過ぎない。

それをもっともらしく正当化して表現しようとする「詭弁」にすぎないのである。

ただの”数”を担保にしているだけ。

みんなそうだからとか、それが世の中の常識だとか、そうやってを担保にして説得死にかかろうとしているだけにすぎない。

単なる数字に、数字の比率、大きさに真実があると信じてやまないのだろうが、

そんなものはすべて単なる弁論術なのだ。相手を説得させ、自分の都合を通すためのマジックワードにすぎない。

そんな詭弁を使って自分の都合をどうにか達成しようとしているだけ。完全な当人の都合にすぎないのだ。

そんな相手の「わがまま」など聞いてやる必要はないのである。

この世に人間としてあるべき姿など存在しない

なぜなら、全てのありえることは現実なのだから。

全てがありえる、ありえている事象の塊が現実だからだ。

今この瞬間に存在している自明のものたちのすべてが現実で、事実だからである。

そんな中で、「あるべき姿」など決められはしないのである。

そんなものは最初から、この世に存在すらしていない。

どれだけ変だといわれようが、何だといわれようが、起きていることは全て現実の事象なのだから、

それを言うのなら、自明の事実を変呼ばわりするあなたの方が「変」だと言ってやれるくらいなのだ。

ゆえに、この世に「変」などない。
全ては「現実」である。ただの現実が当たり前のように広がっている。

ただそれだけの世界だ。

それを否定したところで現実が変わることはない。

そしてあなたも変わることはないし、変わる必要もない。

故に、あなたは「変」じゃない

あなたはただの「自明」だ。現実に存在する確かな「自明」の存在なのだ。

まったく変なんかではない。完全に「普通」だ。

現実に存在し、生を実感している生物の一人なのだから。

他人の変に振り回される必要などない。

他人の詭弁などに耳を貸さなくていい。

彼らは現実を見ていないだけだ。ただ身勝手に自分の都合を他人に押し付けているだけにすぎないのだから。

あなたは「あなたという普通」を否定しなくていいのである。

他人の宗教観などどうでもいいことなのだ

「あなたの普通」が何をするかだけだ

他人がどんな「普通」を持っていようが、そんなことは少しも重要じゃない。

「他人にとって自分が普通かどうか」なんてどうでもいいことなのだ。

それは自分の普通ではないのだから。

あなたは「あなたの普通」を使って、生きていくだけでいいのである。

自分がどうしたいかだけ。

ただこれだけのことだ。他人の詭弁を捨て、世間の詭弁を捨て、残るものはこんな単純なじことだけである。

変というレッテル張りを捨てれば、そこには膨大な可能性に満ちた現実が顔を見せてくれる。

そんな現実の世界で自分がどうしたいか。

それだけのことを考えながら日々を生きていっていいのだ。



自己紹介

Name : Elepan

元うつ病患者 (闘病歴10年)

約10年間のうつ病の体験と、独学で立ち直ったことや、実施した治療法について書いています。一人でも誰かの役に立つ情報になりますように… その他にも遊んだゲームの情報、世の中のおかしいと思うことなどについて考えたことを色々まとめています。

 

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