結果に対してポジティブに生きることがポジティブ思考?
「どんな結果に終わっても常に前向きに、いいところを探して前向きに生きていく」。
一般的に言われる「ポジティブ思考」とは、あらゆる結果に対して前向きにとらえ、全てを前に進むバネのようにして生きていく生き方である、という形で定義されている。
そして、この逆がネガティブ思考とも。結果に対して常に卑屈にかまえて生きることをネガティブ思考と一般的には呼んでいる。
で、そのポジティブ思考を実際にやてみようとするのだが、それが合わない事もある
失敗したことを無理やり前向きに捉えようとしても、苦しさを感じるだけだったり、自分に嘘をついているみたいで気持ちが悪かったりする。
これは一般に言われるポジティブ「思考」を実践しても、必ずポジティブな「気持ち」になることまで保証していない、ということを意味していることになる。
そもそも「ポジティブ」ってなんだ?
特に生き方や気持ちの問題で言われるポジティブ、前向きというのは、何かに対して肯定的であるということ。
肯定的であるという言葉が一体どのような意味を指すのかは個人差があるが、大抵は考え方だけではなくて、感覚的なものも期待してのものである。
肯定”感”とか、それに類似する幸福”感”とか、安心”感”とか、そういう自分が感じたいとある前向きな感覚を期待してポジティブ思考は求められる。
この思考を求めたとき、大抵は、”気持ちよく”、”楽しく”生きたいという願いをもって求められている。
つまり、思考そのものではなく、自分の感じる感覚の問題に対して求められるものであり、自己肯定”感”を伴うポジティブ思考が真に求められるものということになる。
今を生きるというポジティブ思考
前述したポジティブ思考の他にもポジティブ思考は存在する。
例えば「今を生きる」という思考。
これは結果にとらわれないどころか結果に対してほとんど関心をむけず、
「人の生きる本質は今この瞬間である」として、それだけを肯定して生きるポジティブ思考の一種である。
自己肯定感をどう感じるかの違い
上記のようなポジティブ思考の存在から、ポジティブ思考は一枚岩ではないということがわかる
ではポジティブ思考とは何者なんだろうか?
それは先程も上げた、求められているものが感覚的なものであるということにある。
「何らかの思考」 +「 自己肯定感」= ポジティブ思考
ポジティブ思考とは、実際には「たった一つ」ではなく、「ある思考」と「自己肯定感」の組み合わせのパターンがで成り立つものであるということである
人は思考と感覚をセットで組み合わせて使っているという特徴がある。
単なる組み合わせなのであって、”真のポジティブの思考”のような、これ一つというものは現実には存在していない。
自分が自己肯定感を感じられるのなら、ポジティブ思考を実践するには、その思考の形はなんでもいいということだ。
全部自分が作り出すもの
ポジティブ思考とは、実際には自分が何をどう考えて肯定感を感じるかをすべて決めることができる、「作りもの」である、ということ。
[どんなときにどんなタイミングでどんな風にとらえて]肯定感を感じるのかそんな[どんなときにどんなタイミングでどんな風にとらえて]の部分を人は選び、作り出すことができるということだ。
自分を教育してポジティブに生きられるようになる
人間はそれを教育というプロセスを用いて自分に覚え込ませ、習慣化することでそれを習得する。
つまり、もしポジティブ思考を手に入れたいなら、自分を教育すればいい、ということである
自分が前向きに考えることを考案し、それを習慣化し、肯定的な感覚を用いることを意識的に続けていくことで、それは習慣化していくだろう。
ただそのやり方をイチから考えて実施するのは大変だ。
だからその方法論として、過去の考え方、思考の形を無価値化したり、捨てたりする認知の歪みの修正という方法論も存在しているというわけだ
このサイトで書いているのは、皆そのような内容になっている
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