絵を描くのが楽しいなら全然問題ないのだけれど…
もしそれを全然楽しんでいないのだとしたら…
全く褒められたものではないわね。
上の病んでいるような見下しているようなフ〇イ様のようなのも含めて、冗談なようで冗談でもないのですが…
楽しければ別に何も問題ないですもんね。だって楽しいわけだし。うまくなりたいと目標をもって楽しく描けるのいう事ナシ!ヨシ!
でももし楽しくなかったら?
絵を描くのが楽しくないのにうまくなりたいって思って絵をかいても多分苦しいだけなんじゃないかと思うわけです。
義務感で絵を描いている感じで描いてしまうというか、やらされているような感じというか…まるで学校で死ぬほど嫌な科目の勉強を無理やりさせられているかのような感覚を感じるくらい拒否反応が出て、ものの数分で投げ出しちゃったり。
「なぜうまくならないんだい?僕はこんなにがんばっているんだよ?」とクリ〇ナよろしくのセリフを携えて狂気に目覚めちゃうかもしれないし、
挙句の果てには私のように発狂しっちゃったり。
しまいには上のフ〇イ様のような人のような顔になって一体なぜ絵を描いているのと青い顔をしながら毎日を送る日々…なんてことになるくらいだったら、うまくなりたいって描くのを辞めた方がいいのでは?と思うのです。
絵描くの、本当に”好き”?。
上手くなっても例えばそれで「もう描かなくていいぞ~!」なんてならないわけで。
いやいやもちろん、描かなくていい、だなんてすごく妙なたとえですよね。絵描きたいから描いているわけですから。
でもなんというか、そんな絵を描いていることからどこか解放されたい、みたいな感覚ありませんかね?絵を描くのが実はもう苦しくて、でもうまくなれば自由に描けるようになってきっとこの苦痛からも解放される…みたいな
でもそれって、うまくなるまではずっと絵のこと嫌いなまま描くってことになりますよね。うまくなれるのっていつの話しになるんだろう?
いつになったら絵を描くのが楽しくなるんだろう、なんて期待しながら我慢して絵を描き続けるなんてことになっちゃいませんかね。
なんで絵を描くのを好きになるのに条件がいるんだろうね…?
絵描くのって趣味で始めたんだったら別に誰かに頼まれたわけでもないわけですし、うまくなくてもいいと思うんですよね。
でもそれを求めているとすると、なんというかそれは絵を描くこと自体が好きなのではなくて、描きあがった絵という結果が欲しいだけなのかもしれないなぁ、なんて。私はそうだったものですから。
それを人に見せたいとか、褒められたいとか、これまたいろんな目的があるけれど、単純に褒められたいがために絵を描くとしたら、絵はコスパ最悪な趣味だってことは自分の経験から確証を持って言える。
だって大半の時間が「絵を描く作業」でそれで作られる「描いた絵を見せる瞬間」も「相手に見てもらう時間」もそれに比べたら一瞬だから。
それに必ず褒められるとは限らないし。実質、褒められることなんてあってないようなものだ。
つまり、褒められるがためにうまくなりたいと思い、絵を描き続ける限りはずっと苦しみ続けるってことになる。絵を描こうとして自分に無理強いするばかりで、一向に楽にならないわけだから。
でもそれでも絵を描きたいんだ、っていう気持ちがあるのだとしたら、もう「上手い絵」とか「下手な絵」とか、そんな結果にこだわるのをやめて、もっと単純に絵を描くことを自分なりに楽しんだ方がいいんではないか、と思うわけです。
書けなくてかけなくて困ってます。
漫画で賞を取り、次の作品の作画をしているのですが全くと行っていいほどかけないです。
半年近く無駄にしています。
考えたも考えても気分が悪くどうしょうもないです。
折れそうです。
なるほど。お辛いですね。それについて助言になるかはわかりませんが、私の経験でよろしければ↓
私も絵が描きたくても描けない、みたいな状況に陥ったことは何度もありました。描けないというのはうまく描けないという意味だけでなく、描こうとしても描く気にならずダラダラと何もせず過ごしてしまう、気が付けば1日がすぎて、気が付けば一週間、一カ月、半年、1年、3年…そんな文字通りの意味でもありました。
それを最終的に克服できたのは「描かなきゃいけない」をやめることでしたね。
描かなきゃというか、「やらなきゃいけない」をやめたんです。絵を描くことで自分がイメージするいろんな「やらなきゃいけない」をやめました。
うまくならなきゃいけない、評価されなきゃいけない、毎日最低1時間はかかなきゃいけない、さぼっちゃいけない、いついつまでにはここまで描けるようにならなきゃいけない…
そんないろんな自分の無意識に眠る「しなきゃいけないこと」、義務の思い込みですね。
これをやめるのはとても怖かったです。ずっと「しなきゃいけない」ことにしてきたものに自分の価値とか存在理由をかけていたというか、
成功することじゃないと意味がないとか、無意味な人生を送りたくないとか、自分の人生の意味というものにずっとすがっていたものですから、それを捨てるのがすごく怖かったんですよね。
だから何度もやめることをトライアンドエラーしながら、少しずつ自分を義務から解放していきました。自分の人生の意味だとか価値というのも、自分が作り出した虚像に過ぎないんだという事にも気づきながら。
そうやって少しずつやめてみると楽になるだけでなく、すがっていること自体何の意味もなかったことに気づきました。
人生の成功や失敗自体が自分の思い込みでしかないというのもそうなんですが、それ以前の話しで
やらなきゃいけないと思って取り組もうが、やらなくていい、成功しなくていい、失敗しなくていい、もう全部なんでもいいと思って、取り組もうが、目の前の現実ってほとんど大差ないんです。
結局目の前の作業、絵を描くこと自体は別に何も変わりませんでしたから。実際、描かなきゃいけないって思っているのに、描けてなわけでしたし。手が動かなかったわけですからね。自分の思い自体は現実世界に何の影響も及ぼしていないんですよね。頭の中で考えていることが現実に具現化するように現実世界はできてませんから当然の話なんですが、私はそれを無意識にできることだと思い込んでいたようです。
それに気づいていろんな背負ってきた義務をあきらめて、その上で改めてペンを握ってみると、嘘みたいに絵を描くことが苦しくなくなりました。
「なんだ、こっちの方がずっと楽じゃないか。どう思いこもうが別に現実はかわらないんだから、だったら楽な方がいい。楽しい方がいい。もう義務なんていらないや」と。
そんな感じで以上が私の個人の経験談になります。ご参考になれば幸いです。m(__)m