「人間とは何か」から学ぶ自分の変え方





マーク・トゥイエン”人間とは何か”の「気質」についての解釈

「人間とは何か」という本。

中々強烈な本で、

 

「人間はただの機械に過ぎない」

「人間は自分で考えてなんていない」

「人間に自由意志はなく、できるのは自由選択である」

「人間は特別でもなんでもなく、猫とかアリと本質的に何も変らない」

 

と、人間の本質的な資質、特に人の心の部分についてメスを入れどんどん人の様々な思い込みについて論破していくような本です。

一見どれも突拍子もない感じですが、本の中ではちゃんと納得のいく解説がかかれていて、1度読めば

 

「人間って全然すごくもなんともないわ」

「アリだって猫だって学習するんだわ」

「みんな外的要因をうけて思考してるだけの機械なんだわ」

 

と納得させてくれるような内容です。

それはもう世界観が変わるくらいに。

さてそんな本ですが同じく作中、

 

「人の性分は持って生まれもった気質と教育によって決まる」

 

という風に書かれていました。

この「気質」というものに対する解釈なんですが、難しいですね。人の性格までなのかどうか…作中では不幸な人はずっと不幸、幸せな人はずっと幸せなんて記述すらも出てきます。

そのまま受け入れてしまうと、人間は変れない、のようにも読めてしまいますね。

でも「教育によって決まる」とも言っていて、それが変えられる部分ではありそうです。

教育によって得たものと、元からあった気質の境界ってどこにあるんでしょうね。

理屈っぽさは気質なのか、それとも教育なのか…



「内なる主人」

作中で語られる「内なる主人」っていうのがあって、これは自分に行動の指令を出している絶対的な存在で、自分の意思とかお構いなしに命令してくるような存在として説明されていました。

多分これは、人の心の本質的かつ原始的で無垢な部分、

全ての人間が共通してもつ、「心の作用」という機能のことを言っているのだと思います。、

「反応する」「思考する」「気にする」「関心をもつ」みたいな。原理的な心の欲求のことを言っているのだと。

パソコンで例えると基盤部分でしょうか。BIOSソフトウェアとか動かすための物理的構造、各インターフェースの実装部分とか、そういった“物理的部分”

電力が供給されれば、嫌でも動いてしまいますよね。

そういった”仕様”。変えることのできない人間としての不動の”仕様”的部分。

 

そういった「内なる主人」に人は逆らうことができないってことですね。

 

人の心も、突き詰めれば化学現象でしょうし、脳幹が意識を作り出してるみたいですから原始的な部分の存在はあるんだと思います。

「心の作用」そのものを変えることはできない、が

「何に、どのように作用するのか」については、外的要因である教育などによって変えることができる。

ということなのだと個人的には解釈しています。

余談:ちなみに作中では「人間はあらゆる事象に勝手にあれこれ名前をつけているだけにすぎない」とも出てきます。

すべてはただの”事象”、”現象”で、それに華やかな名前とか、気落ちするような名前を付けているにすぎない

「病気」「不幸」「うつ」「幸福」なんてものも同じ。それが物事の本質を見えにくくしているのかも、と個人的に思いました。

“パニック発作”とその”要因”

私個人の話なんですが、当時パニック発作をもってまして、それを治すために認知の歪みを治してそれを“抑えよう”としてました。

でも、いくら歪みを一つ一つ直しても、発作は止まらなかったんですよね。

それを必死に抑えようともしてたんですが、全く言うことを聞いてくれなくてですね。

どうしてなんだ、なんで治らないんだって、毎日悩んでいました。

ある日ようやく自分の認知の歪み、というか発作を引き起こしていた根本的な要因である”強い思い込み”が解消されると

その瞬間からぱったり発作が消えてしまったんですよね。それを思い出して確か似そうだと思ったんです。

少しずつ慣れながら収まったとかではなくて、本当に根本的な要因を取り除いたっていう自覚があった瞬間から、ピッタリとやんでしまったんです

発作そのものはどうしたって抑えられない。発作は起きるべくして起きてる。

でも発作を引き起こしている元を変えると、発作はおきなくなる。

「人間って機械だわ」。そう確信した瞬間でした。

哲学:人間という機械の説明書

結論:変えられるのは、作用の対象とその方向

人の本質的な心の作用、「内なる主人」という性質、気質は変わらないのだと思います。

何かに反応する、興味をもつ、影響を受ける。

このような原始的な気質、己の欲求に忠実な機械という心の本質。

人間は、それ自体を制御することはいかなる意志をもってもできない。

反応しちまうもんは、反応しちまうのです。

しかしその作用する対象や方向については教育、つまり価値観などのソフトウェアによって変えられるということであると思います。

別の言い方をすると、自分を変えるには、その変わりたい方向を決めて、それに向かって自身を再教育する必要があるという事ですね。

これは多分パニック発作に対する「あるがまま」にも通ずるものであると思います。

現時点で不安を感じたりしてしまうこと自体は仕方がない。それはあるがままにほっておくしかない。

ただ、それを発生させているものが何なのかについて、ソフトウェアのバグとり、または再構築することが重要、ということなんじゃないでしょうか。

価値観の上書き、興味をもつ対象の上書き…そういった対象達を新しいものに、より適切で生きやすい形に上書きしていく。

すると、反応する対象もかわって、結果的に苦痛の種から解放されていく。という事なのではないかと思います。

[この本を読んだあとがき]

思えば今まで自分がやってきたこともこれに近い事だったのかもしれません。

作中の「全ては単なる事象、現象にすぎず、人間はそれにいろんな名前を付けて、物事の本質を見えにくくしているだけにすぎない」というのは、目からうろこでした。

人間はあらゆるものに価値を設定しているにすぎないとは認識していましたが、モノに名前を付けるという行為さえも人間がいなければ生まれていませんでしたね。

この世界はすべてはフラットで、単なる物質と物質的事象があるだけ。自分という存在すらもそれで、だから人はモノ、機械同然なんだ、という

人間なんて大したもんでも、崇高な存在でもなんでもない、結局は物質、機械と、何ら変わりないんだ、ということに気づかされました。

[あとがきのあとがき]

「気質」と「教育」の境については宿題ですね…私の中でまだ答えが出てません。

不幸な人はずっと不幸な気質、幸福な人はずっと幸福であるという気質も、それだと私が不幸だったころから変わることができた理由がわからなくなってしまう。

となると、気質っていうのはやはり「内なる主人」と同格の存在なのか…

あるいは「理屈で考える」「事実で考える」「感情で考える」といったような深層心理的な部分の話なのか…それだと私は子供の頃から理屈で考えるのが好きなのでそうなのかも。

うーむ (´ω`)

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