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病的な承認欲求を抱えて
私の人生の30年を振り返ると、それはまさに承認欲求に振り回され続けた人生であったと思います。
外に出れば人目を気にして横目で通りすがりの人をみては自分のことをきっとこう考えているに違いない、「あの人ずっとこっち見てるな。自分に気があるのかな?」なんて妄想をずっとしていました。常にだれかに見張られている感じがあって、それは自宅の部屋に一人でいるときでさえ変わらなかったです。
やることなすこと全てその誰かに、何かに見られているような感覚。心がざわざわして緊張しているのか興奮しているのか、そんな感覚がずっとありました。
いつもかっこいい、すごい自分というような、自分が賞賛される姿をよく妄想していました。文化祭でかっこよくギターを弾いて黄色い感性を浴びる姿とか、そんなものです。こうして書いているだけでなんだか恥ずかしくなってきますね。その反面で常に失敗してはいけない、バカなことをしてはいけない、いい子でいなきゃいけないという強迫観念も抱えていました。
学生の頃はさっそくかっこいいと思われたくて夢見たギターを始めたりもしました。でも練習がつらくてすぐやめちゃいましたけどね。容姿にも気を遣ったり、すごい奴だと思われたくて高校1年の時に入った野球部で「中学の頃リトルリーグに所属していました!」なんて言ったり。本当は入って数か月でいじめにあって嫌になってやめたのに。実際入部しても全然ダメで「なんだあいつ、口だけじゃん」と周りに失笑されてばかにされてましたね。居心地も悪いし練習もつらかったのでこっちも3か月たたないうちに辞めてしまいました。
勉強しようとしても長く続けることができませんでした。ちょっとでも解けない問題とかにぶつかると帆織り出してしまうんですよね。解けないこと、わからないことがとても苦しくて、猛烈な嫌悪感で押しつぶされそうになる。すぐに手が止まってしまって、全然続かなかったです。
ホント、何やっても全然続かないんですよね
もっと自分はできるはずなのに、できると思ってたのに。そんな見栄っ張りと自己否定だらけの窮屈で息苦しい不満だらけの人生を送っていたんですね。
そんなすべては、誰かに認められたいという承認欲求から来ているものでした。
自分を好きな人、自分を認めてくれる人、それを保証してくれる何か。そんな人たちに、ものに囲まれて、保証されていい人生を送りたいと思っていたから求めていた
そんな私だったから、私は自分でやりたいと思えることを何一つもっていなかったんです。他人に与えられた課題を求められた形でこなして、ちゃんとできたね、えらいね、すごいね、そう言ってもらいたいだけの理由でしかやってきませんでしたから、自分で何かを決めて何かをやる、という経験が圧倒的に不足していたんです。
だから自分にできそうなことじゃないと手が出ない。だって褒めてもらなさそうだから。でもそんな都合のいいことはそうそう転がってもいない。だから毎日無気力で、何もしたくない日々が悶々と続いてダラダラとごまかしながら生きていたら、気が付けば社会に出ていたんですよね。
誰かに求められていることじゃないと価値を感じることができない人間だったんです。
褒められたことも少しはあったけど
そんな私のような人間でも下手な銃も数うちゃなんとやらで、たまには褒められたり求められたりもしました。かっこいいといわれこともあったし、優秀だとほめられたこともありました。
でも褒められるって、全然大したことではないというか、褒められても自分が本当に欲しかったものは手に入らなかったんですよね。
褒められるっていうのはそもそも、その時だけの一瞬限りのことでしかないんです。
今後もずっと褒めてくれるというわけでもないし、好きでいてくれるわけでもない。次の瞬間にはそう言ってくれた人が別の人のところに行って、同じように人を褒めていたり、失敗したりするとがっかりされて興味を持ってもらえなくなったり、そんな光景を見るとなんだか裏切られたかのような気分になって、その人が信じられなくなったりもしていました。
褒められたからといってずっと誰かが自分を慕ってくれたりとか、その褒められた何かや誰かが自分の人生を保証してくれるなんてことはなかったんですよね。人に褒められても、仕事でいい成績を残して評価を受けても、これで自分は安泰だ、救われたんだなんてことはなくて。
次の瞬間にはもう褒められたとかどうとか関係ない。ただの現実が流れているだけ。現実は自分のそんな思いなんて関係なくただただ無慈悲に流れているだけなんですよね。
承認欲求が実際にはそんなはかないものであったというのはどこかではわかっていたと思うのですよね。無意識にわかっていたからこそ、満たされない思いも変わらずいつまでも褒められようと何度も何度も欲していたわけで。
で、なぜこんなにもはかないものを求め続けていたのかというと、それは安心したかっただけなんです。ただほっとしたかっただけ。心の底からほっとして、まるで一人プールの上であおむけになりながら漂っているかのような心地よさが欲しかった。それが永遠に続くことが欲しかったんです。永遠に安心することが欲しかった。他人に褒められ、永遠に優秀でいることでそれを手に入れることが出来ると信じていました。
しかしこれは別の記事で書いていることなのですが、人の下す評価なんてのはみな他人の気まぐれや勝手な尺度でしかないんですよね。それぞれのその他人特有の価値観や考え方から出た尺度で測ったもので、世界共通のどこでも通用する何かというわけでもない。ここでは褒められても、違う場所では褒められるとは限らない、同じ評価をもらって同じ扱いをされるとも限らない。むしろ逆にけなされることもあるかもしれない。
言い換えれば評価なんてのは読書感想文と同じなんです。同じ本に対する感想文なんて読み手によって全然変わるものです。そうでなければ例えばレビューサイトにあれだけ多くの人が感想をこぞって描く必要性もその仕組みもいらないですから。
さらに年を取って経験をへて人生観が変われば、その個人の中でさえも変わってしまうものです。子供のころに見た創作物を大人になってから見たとき、これってこういうことだったのか、と違う視点で何かに気づくことってあると思います。
人の評価というのは人それぞれバラバラでかつ時とともに、状況とともに変化するとても不安定なものなんですね。
それもそれぞれの読書感想文という各自の持ち物ですから自分とは関係あるようで実はほとんどない。
「優秀な自分」だとか「かっこいい自分」だとか「誰かに認められている自分」なんていうのは自分だけが勝手にそう思い込んでいるだけのものでしかない。他人の読書感想文はそれぞれの独自の思い込みで書いていて自分の想いとは少しも関係がない。しかもその瞬間の時点のものでしかない。それぞれの他人が好き勝手思うだけの、何の根拠もない記号にすぎなかったのですよ。
結局私は単なる一人の凡人、ただの人間でしかなかった。真に優秀でも真に劣等でもなんでもない。何のラベルもついていない70億人いる存在のうちの一人。
そんな凡人が必死に背伸びをしていただけだったんです。
幼少期の頃から止まっていた”精神の成長”
そんな承認欲求の塊になってしまった自分の背景はというと、それは幼少期のころにありました。
子供の頃はというと、私は親から毎日叱らていました。
特に母親は支配的な性格で、いつも私のことを母親の思い通りにしたがりました。些細な失敗でもヒステリックに「なんでそんなこともできないの!」「そんな簡単なことも出来ない子は私の子じゃありません!」「それくらい普通でしょ!ちゃんとしなさい!」「人前で恥ずかしいでしょ!背筋を伸ばしなさい!」と、口を酸っぱくしてねちねちとしかりつけてくる人でした
少しでも反論したりすると「親に向かってなんて口だ!」「今度そんな口を利いたら家を追い出す!」「言うことを聞かないならごはん抜き!」などと私の意見をきくどころからねじ伏せるような教育を受けてました。
何を言って否定されたりうやむたにされたり最悪の場合は飯を抜く、家を追い出すなどの強硬手段を持ち出され私は母親の言う正しさに屈服し常に従わなければ生きていけなかった、そんな環境でした。
父親は父親で家庭のことはほとんど気にかけない人だったんですが自分の機嫌で周りに八つ当たりをするような人で、例えば好きな球団が試合に負けたり仕事で不満があったりするとそれを家族に当たり散らすような人でした。記憶に焼き付いているのは突然怒鳴られたり、無理やりベランダに引きづりだされて長時間閉じ込められ放置されたことで、ある時期は寝るときに父親の怒鳴り声の幻聴が聞こえていたこともありました。
私は、常に母親と父親の機嫌を取ることに必死でした。そのためなら、反省したフリ、それも本気の反省したフリをしてました。怒らせないように常に気を使っい「自分はなんてだめなんだ」と必死にそう思い込ませつづけました。いや、そう思い込まざるを得なかったんです。
そうでないと私は家族に所属できない、自分の居場所を作れないと感じて不安だったから。
そう感覚的に感じていたんですよね。怖かったんです、とても。
そんな自分に対する思い込みが、いつのまにか強迫性を伴うようなレベルにまでなってきて、そんな”装ってきた自分”がまるで本物の自分だと錯覚するようになるまで私は私を洗脳し続けていました。
たまに親から「やればできるじゃん」みたいにほめられたこともありました。
でもそれはうれしかったというよりもホッとしたといった方が近かったです。褒められた、よかった、自分はここにいていいんだ、という安心感でしたから。
家族としていいことを許可されたような気がしてホッとしたんです。
暴力こそほとんど振られなかったものの、言葉による暴力は母親から毎日のように受けていました。その経験から、誰かに認められないと自分はダメなんだという風に考えるようになり、承認欲求の塊になる自分の土台がそこでできた。その上に積み重ねていった人生が、そんな私の半生でした。
いじめのトラウマ
親からの支配的な教育を元に構築した私の承認欲求を基底にした人生観は、人をイラつかせる特徴があったのでしょう。私は小学校くらいから基本的にずっといじめを受けていました。いつもうじうじしていて自分から相手に話しかけられない。嫌われたらどうしよう、嫌われたら独りになって生きていけない、そんな無意識の恐怖が常にあってそれが出来なかったように思います。
小学校のころは4年生まではずっといじめられてましたね。後ろから髪を引っ張られたり椅子をガンガンされたり「てめぇ何だまってんだよ」と脅されたり。悪口を言われたりものを壊されたり仲間外れにされたり。
「やめて」という言葉すらいえませんでした。他人にたてつく権利は自分にはない、そんな感覚があったからだと思います。とにかく私は他人に屈して生きることが基本的な人生観だったので、ただ黙って耐える以外に生き方を知りませんでした。そりゃいじめっ子は「こいつは自分よりも弱い人間だ」って面白がってもっといじめますよね。
母親から汚い言葉遣いも乱暴な態度もすべて鬼のような権幕で怒鳴られて禁止され続けてきたので、精神的なところから既に他者に対して一切の抵抗ができませんでした。
ましになったのは小学校5年生の野球部に入部したころ。このころから「お前なんか変わったな」とかつてのいじめっ子に言われたりもしてましたね。野球は私が心から楽しいと思えた子供のころの数少ない貴重な経験でしたね。(思えばこの経験があったおかげで、今の過去を克服する方向性を見つけられたような気もします。)
しかしそんな中でもできた少ない友人に対してさえ、常に自分が親に求めている自分の存在を認めてくれる人を求めようともしていました。
野球部の思い出は今でも本当にいい経験だったんですが、やっぱり交友関係には主従関係のような関係性が私の中にはあって、みんな自分のことを嫌わないでいてくれるから好き、みたいな受け身的思考だったんです。みんな気のいい奴らばかりで、とても暖かくていいところだったのに、それでも私は他人が怖かったんですよね。
自分を好きな人。自分のことを気に入ってくれる人。否定しない人。怒らない人。それが昔の私にとっての友人の定義でした。自分がここにいていい、生きていていいということに許可をくれる人を友人だとしていました。
つまり、私にとって友人とは「こんなダメな自分を許してくれた人」だったんです。
自分から誰かを好きになったことはありませんでした。だってそれは許されないことだから。自分の居場所、生きていい理由を決めるのは他人だから、他人から選ばれる以外にそんな自分が他人に声をかけるなんておこがましい。何より、それ自体がとてつもなく怖かったからです。
思うと、私は30年間のほとんどの時間で誰かからいじめられていたように思いますね。中学でもいじめありましたし高校に入ってからは親に「そんな根性ではこの先やっていけないだろ!バイトくらいやれ!」と脅迫されて無理やり始めたアルバイトで先輩からいじめを受けましたし。
専門学校の時くらいでしょうかね平和だったのは。でも家族からもいじめを受けていたようなわたしにとっては何処にも安心できる場所なんてありませんでしたし、信用できる人なんていませんでしたから相談もできませんでした。
このブログが自分一人で自分の問題に立ち向かう趣旨であるのも、もとをただせばここにあったのだと思います。誰も信用できないししたくなかったし、二度と他人に期待をして騙されたくなかった。他人に完全に絶望をしていた自分にとっては唯一自分だけが確かなものだった。
私にとっては唯一の自分を救う道であったと思っています。
女性と上手く話せなかった学生時代
中学高校と進んでいじめなどの経験でネガティブな考え方がどんどん強くなっていった反動だったのか、それに比例するかのようにますます承認欲求は濃くなっていきました。そんな中でも最も高く承認欲求を満たせそうな「女性からモてたい」という願望は日に日に強くなっていって、前述のギターを引こうとした理由もこれが大きな理由です。しかしその反面で自身に致命的な自身のなさを抱えていた私は女性に対して相当に口下手で、女性を前にすると何を話していいのかがさっぱりわからなくなってしまうような人間でもありました。
多分これは母親という女性との関係性で培われた女性恐怖症でもあったんだと思います。
加えて私は、女性にもてたいと思っていただけで他に何かしたいと思ったことはなかったんですよね。
女性に認められたい、好かれてみたいだけで、
付き合いたいとか、話したいとか、やりたいと思うことがさっぱりなかったんです。
つまり私は、女性に認められるためとか、許されるためだけにモてたいと思っていただけだったんです。
私の勘違いでなければ、自分に気がある人も何人かいました。実際そんな話を友人にほのめかされて、お前から声をかけてやれ、なんて言われたこともありましたから。実際彼の言う通りというか、皆あちらからくることはなくて、こちらを待っていた人がすべてでしたね。当然私はヘタレであったためこちらからいくことはできませんでした。
でもその中で本当に一回だけ、米粒程度は残っていたらしい自分の勇気を振り絞って声をかけて、デートするまでこぎつけたことがあったんですが、なんとそのデートで一言も相手と会話をしなかったのです。
その日は一緒に電車にのったりカフェにいったりしたんですが、終始無言です。
信じられますか?私自身信じられない光景なんですが、「あの、誰か死んだんですか?」というような雰囲気でしたね。そう周りから声をかけられてもおかしくない感じお互いうつむいてテーブルを挟んで向かい合ってる。お通夜かな?
もちろんそれ以来、相手からは何の音さたもなく自然消滅しました。そりゃ相手も嫌だったでしょう。めちゃくちゃつまらなかったでしょうし、というかきまずかったでしょうし、苦痛だったでしょうから。せっかくの休日だったでしょうしね。
時にはその受け身な態度を「きもい」と女性から言わたこともありました。「何考えてるかわかんない」「苦手」とも。
よく考えれば、むしろこっちの方がずっと多かったですね。
そりゃそうだ。考えてみればただモてたいと思っているだけで何もしゃべらない、何を考えているかわからない男が目の前でじっとしていたらそりゃ気持ち悪いでしょうと自分も思います。
どんなに見てくれをよくしたところで、所詮はうわべだけで肝心の中身は昔のまま。他人におびえ続ける自分のまま。女性が怖い自分のまま。ただのフリでしかない。そんな人間がかっこいいわけでもなければ魅力的なわけでもなかったのに、私は少しおしゃれをして髪形を整えただけでかっこよくなれると思っていたんです。
でも現実は違った。その期待に裏切られ続けた。そういった経験、自分の期待に対するいろんな裏切りから、私は自分は女性に対して無価値で無力なのだと感じるようになり、女性不信が一層強くなってしまいました。自分から女性に話しかけることはもうほとんどできなくなっていましたね。
それがマシになったのは社会に出てから、それも承認欲求を捨てる取り組みを始めてそれができ始めたころです。わりと最近なんですよね。本当は自分のことバカにしてるんじゃないかとかこの人も影では自分の悪口をいっているんだと勝手に決めつける癖はなかなかぬけなくて、常に疑いの心で接する自分から変わるのは結構時間がかかりました。
両親の間でピエロを演じていた
私の両親はかなり不仲で、全く会話をしない仮面夫婦でした。多分これは連絡しなくて久しい今でも変わっていないと思っています。物心つく頃にはお互いが談笑をしたりしているのを見たところがなく母親はいつも父親の悪口や陰口ばかり言っていましたし、父親は気にしていないようでしたが男尊女卑的な文化をもっていたので家に親戚などが来ると急にでかい顔をして、母を顎で使うような態度をとり母親はそれに明らかに不満と怒りの表情を蓄えながらもその空気を壊せなかったのかおとなしくしたがっていたり、そんな感じで家庭内は常にピリピリしていました。
そんな空気が嫌だった私は、わざと馬鹿なことを言ったりしながら笑いを取ったりお互いの言い分の橋渡しをしたりと、常にその空気の改善に努めていたように思います。そしてそれは割とうまくいっていたんですよね。実際笑いも生まれていましたし、私が間にたつことで会話も生まれていました。
そして私はその中で手ごたえのようなものを感じていました。
これがのちに自分は人の役に立つ人間でなければならないという認知を作ったのだと思います。役に立たなければ自分には意味がない、それが派生して特別なことができなければならない、人の注目を浴びなければならないんだという強迫的意識まで生まれ、そこに人生の意味を見出すかのような認知が生まれたのだと思います。
また自分は他人のことをどうにかできる、他人の問題に介入しを解決することが出来るんだという全能感を得たのだとも思います。ただヘタレであったため、全ての人間に介入できるとは感じてはいなかったように思います。自分から見て弱く見えたり下に見えたりする人にだけお節介を焼いて介入しようとしてましたね。
そういうところが多分、一般的な人にとってはうっとうしくやかましくもあったんだと思います。勝手に人の人生に口を出したりジャッジしたりそんなのうっとうしいだけですもんね。せっかくできた友人も不思議と皆私のもとを離れていったのはそういうことだったのかなぁと思っています。
いわゆるメサイアコンプレックスというやつだと思いますが、私の場合その始まりは両親の不仲にあった。このような考え方もまた、承認欲求をより強力なものにしていたと思います。
救うべくは他人ではなくそんな自分自身のことだったんですよね。
常に強迫観念を引きづって生きる人間に
誰に対しても幼い子供の頃から繰り返し続けてきた、誰かにほめられることで関係性をもとうとする人間関係。許されることを目的とした人間関係
それが仇となって、対等な人間関係の構築という経験をせずに生きてしまっていたから、他人に対して常におびえ、相手に気に入られなければならないという強迫観念を伴って生きる人間になりました。
社会に出てからもそれは変わることはなく、仕事をするのは稼ぎたいからではなく単にみんなが働いているのからという世間体が理由でした。
いい仕事をしようとするのだっていい仕事をした方が褒められるからというのはもちろん、仕事ができない人間というレッテルを張られたくないという消極的な受け身の理由が主でした。
あらゆる相手や会社の価値観や趣向性、考え方などに自分のすべてを差し出し合わせることで適合しようとしていました。自分の全てを他人のが良いとか正しいとかいってものに上書きしようとしていました。それが悪だろうと善だろうと関係なかったのです。自分にとっての基準が全くなかったので、その場の人々の価値観に完全左右されてましたね。だから私は付き合う人間によってまるでその地形に適応するカメレオンかのように悪い人間になったり良い人間になったりしていました。
気づけば私はそんな「自分がない人間」になりはてていました。齢二十歳を過ぎても、自分の好きなことも嫌いなことも何もかも、自分が本当にしたいことが何なのかが一切わからず、自分が思う正しいことも間違っていると思う事もない。
信条も信念も目的もなくただ周りに使われ流されているだけ。常に誰かに導いてもらおうと、他人に親代わりを求めて、自分を必要としてくれる何かを求めて漂っているだけの人間でした。
大人になったらそんな自分も変わるかな、社会に出たら変わるとも少し期待していたんですが、考え方や価値観は、自分がそれを変えようと思わない限りは変わらないものなんですよね。
そしてうつ病へ
そしてそんな自分が社会に出て半年、会社でいじめをうけ、今まで積み重ねてきた歪んだ積み重ねたちが根本的なところから崩れ落ちてしまい、ひどいうつ病を患うことになりました。
他人に本気でどうしようもなく嫌われ、周りからも冷たく扱われ無視されるという、自分の周りが全員敵という状況を作り出してしまったこと、たとえ人に好かれていても状況次第でまるで手の平を返す化のように他人達はこれほどまで簡単に自分のことを嫌い、いじめるのだという初めての経験をすることになり、もはや人に認められることすら無意味に感じられ他人や自分の人生全てに絶望することになりました。
会社に対する批判的発言がいじめのきっかけ
そんないじめの決定的な原因はおそらく自分にあります。それは私が会社ではなったあるセリフでした。
その会社には休日に会社にきて勉強会をするという風習がありました。それも無給で。なぜ無給なのかといえば、自主的に社員が勝手に勉強しに会社にきているからという名目だったからです。
でもその勉強会にはおかしなところがあって、その勉強会に出ないと出世できなくなったり、社内での立場が悪くなるというのがあったのです。つまり勉強会といいながら、社内評価というものにつながる実質的には出席必須の会だったわけですね。
実際そこではリーダー研修といった、リーダー役職に上がるために受けなければならない必須の研修が合って、正直いって勉強会という名目は会社が給料を払いたくないがためのただの言い訳のようなものでした。
今思えば完全にブラックですね。実際そういう体質の会社でした。その会社のその仕組みについて批判的な意見を同僚と交わしていたのです。
「なぜ休日に会社にこないといけないんだろうね」「給料出ないんでしょ?」「ただの奴隷じゃん」、と。
私は当時調子に乗っていてタガが外れたのです。評価されている自分に気づいていて、少し気が大きくなっていて、マウントを取るようなことを言っていました。はっきりいってすっかり天狗になっていたと思います。そういうところも今思えば、嫌われたりいじめられた原因だったのかもしれませんね
そしてそれがどうやらある先輩の耳にどうやら入ってしまったようなのです。その先輩は上層部に気に入られている将来有望な幹部候補的な人で、その日を境に先輩からいろんな嫌がらせがはじまりました。仕事をわざとふらなかったり、会議を開いて私の失態を晒上げたり、こいつは信用できないからもう仕事回さないようにするべきというようなことをチーム全員が集まる会議の中で言われたりしました。やがて回りもそれを察してか私に対してよそよそしくなり、話しかけてくれる人も減っていきました。
私はこれ以上その先輩にも周りにも嫌われないために、色々と根回しをしようとしたり、とにかく必死でした。しかしその労力も無駄に終わり、結果仕事をしている間周りの目が恐ろしくて仕方がなく極度の緊張状態の中仕事をするようになります。
それは相当の、かつて感じたことのない強烈なストレスでした。冷や汗ダラダラ、まるで頭から肩、背中にかけてまるで内側から激しくつねられ、つりあげられているかのような激しい痛み、吐き気が押し寄せ、とても思考なんて回らない。
案の定仕事ではミスを連発し、ほかの先輩たちにも迷惑をかけ、一気に「使えない社員」になりました。
それが半年以上続き、ついに私の精神はそれにもちこたえらなくなり、ある日突然、パソコンで仕事をしている最中、キーボードを入力する指が止まってしまいました。
当時はその先輩もあまり社内におらず比較的和やかな環境ではあったのに、極度の緊張状態の中でずっと仕事をするうち、それが癖になってしまったのか、家に帰ってもずっと緊張している状態が続き、毎日猛烈に疲弊し、その苦痛を少しでも和らげたくて過食気味になり体重は10kgも増え、顔からは完全に生気が抜けていました。
その日を境に一切の仕事ができなくなってしまい、休職をしたものの改善せず、復帰しなければクビといわれそれから必死に働いたのですが、結局限界がきて最終的に会社を自主退職という形でやめることになりました。
それからの自分を変えるまでの約10年間はまさに地獄。毎日が極度の緊張による激しい頭痛、まるで重くのしかかり内側からつねられているかのような激しい背中の痛み、けだるさにさいなまれ、生きているのかどうかもよくわからない朦朧とした意識の中生活していました。そのおかげで髪の毛もほとんど抜けちゃいましたね。
精神科にも通うものの改善なし。確か2年くらい薬を飲み続けましたが、むしろ悪化する一方でした。まるで詐欺にでもあったかのような気分でした。
それでも一人暮らしであったため仕事をしないわけにもいかず、別の記事で書いていますが、親は全く私に理解を示さなかったので完全に愛想がつきて怨みしかなかったため頼りたくもないと思い、その症状を引きづりながらアルバイトで必死に仕事をして生活をつなぐ毎日でした。
アドラー心理学を知った
そんな時「嫌われる勇気」という本を読んで"衝撃"をうけました。
「あなたは人の期待を満たすために生きているわけじゃない。そんな風に生きる必要なんて全くない」
まるでこれまでの自分の人生で悩んできたポイントが全てがそこに記されてでもきたかのような、今まで自分が感じてきた生きづらさ、そしてうつ病になり、絶望のどん底に今いる自分を、的確に、的を得た説明で解説、語ってくれるかのような内容でした。私の人生がまるでそこに要約でもされているかのような感覚すらありましたね。
承認欲求お化けになっているということに気づけたのも、その本をよんだおかげです。
これまでごまかしてきた自分の弱さ、置き去りにしてきた「他人に依存した幼いままの自分」に向き合う機会をあの本は私に与えてくれた。それから私はその本をベースに、人に嫌われることを気にすることがどんなに意味がなく、自己中心的発想で何より自分が苦しい、なんら生産的でないことであったことをかみしめながら、自分を変えるためにあらゆる自己分析をしそれをブログにも書きながら日々自分を変える毎日を送るようになりました。
自分をただのちっぽけな一人の人間だと受け入れて
そうして私は承認欲求が自らの幼さ、アダルトチルドレンの気質からきているということに気づき、「他人ではなく、自分のことは自分で決める」という自分軸の人生に変えていく取り組みを始めました。
そうして5年以上の時が過ぎて、今では背中の痛みや欝の症状も治り、問題なく健康的に暮らしています。
今の私は単に自分で決めてそれを自分で好きなように楽しむ、何も背負ってないただの一人のちっぽけな人間になりました。
今の私がやっていることはもっぱら仕事と絵を描くことです。絵は休日なら8時間くらいは描いていると思います。昔はSNSのぞいてたら一日たってた、無気力な日々を送っていたものですがこうも変わるんですね。描く対象もいろんなものにチャレンジするようになって複雑な背景のついた絵なんて描く気もしなかったのに、今はとても夢中に描けるんですよね。
「めんどくさい」はただの言い訳だった
こういう背景がごちゃごちゃしたのは描こうとも思えませんでしたが今では何の嫌悪感もなく描けます。そもそも何がめんどくさいんでしょうね。やらなきゃどうにかなるわけでもないのに、「描かなきゃいいじゃん」って話なのに、うまくなりたいとか練習になるからといった理由で描いていたんですよね。ほかにどうしようもないんだ、我慢して描かなきゃ意味がないんだからって。そうやって誰かや何かのせいにして絵を描くことで自分を正当化することに必死で、どんどん自分を追い込んでいたから気楽に取り組むこともできず全然楽しくなかったんですよね。
「めんどくさい」って感情は他人のせいにして他人から認められたいという承認欲求が元だった。だからそのような一連の言い訳を一切やめたんです。
公開するのがめんどうで今はあんまりアップロードはしてないんですが、当時は褒められる目的で書いていましたから描いたら必ず挙げて褒めてもらわなきゃ見たいな感じでしたし、かなり欲望の方向が変わったと感じています。
できるようになりたいとかうまくなりたいという欲望が、ずっとこれを続けていたい、という形に、そしてよりそれを自分の作りたい形で達成できるために学び続けていたいという欲求に変わっていたんですよね。うまく絵を描くのではなく、この対象は一体どうなっているのか、光の当たり方や色彩、そういったものがどの様になすことでそのように見えているのか、それを知るため、学ぶために、もっと描きたいものをと変わっていきました。今思うと、褒められたかったのはさっさと許されて周りからとやかく言われることから脱出したかったということもあったのかも。
SNS依存もなくなり、今ではほとんどSNSをのぞくこともなくりましたね。受動的な情報を求めているのってただ目的もなく与えられたいだけなので楽そうに見えて実際は都合のいい情報が流れてくるまで我慢を強いていることもあり多くは苦しくてつまらないものだったということもわかりました。自分の目的さえあればそのも必要なくなり、自分のしたいことのために調べたり考えたりするくらいであとは行動のみですから、より自分のすることに没頭できるようにもなっていきました。
認知を変えるだけでこんなにも没頭し、自分の実現したい個人的なもののために夢中になることができるとは思ってもいませんでしたね。
何をしてもしんどくて続かなかったりすぐにSNSや他人に逃げ込もうとしたり、何かにチャレンジするのが怖かったのは承認欲求が邪魔してたからだったんです。みんな他人の都合ありきだったから。他人にとらわれ比較されることにおびえ、失敗することにおびえ、他人の都合に合わせないと落ち着いて何も取り組めなかっただけだったんです。
承認欲求を原動力としていた私にとってはまさに灯台下暗しというかいやはや…
不満もとくになくて、しいて言うならたまに腱鞘炎っぽくなるのと脇汗がやばいくらいでしょうか。特に夏の暑い日に上半身裸で書いてるとぽたぽた垂れてくるんですよね。(すいませんね、汚い話でした。)
いや、「もしもっと早くこれにづいて取り組めていたら…きっと全然違う人生を歩んでいたんだろうな」っていう後悔のような憧れのような思いですかね。まぁそれも言っていても仕方のないことです。
不満なんて言うのは結局、結果をコントロールしようとしたり成功にしがみつこうとしたり失敗を恐れたり、何かと他人に縋り付こうとして孤立してしまうことに対する恐怖の認知から来ているものにすぎず、孤独を受け入れてしまえば孤立とは無縁になるということ、孤立の問題がなくなってしまえば恐怖を感じる理由もなくなり、マイペースに穏やかに生きることが出来るということがわかりました。
他人に自分のやることを決めてもらう必要もなかったことがようやくわかりました。誰かに認められる必要も。人生に意味なんて必要なくて、ただ自分が生きたいように、何も背負わずに自然に生きてよかったんです。
誰もが憧れる素晴らしい人生を送る必要もないし、反対にみじめだといわれる人生を送ることになっても、そんな周りの目からの評価なんてどうでもいいんです。
全部好きにしていい。自分で決めていい。誰かの許しも指標もアドバイスも何も必要なくて、自分がその時に感じた感情や感覚、思考を素直に持っていていいのだと。
別に仕事もできてもできなくても何でも構わない。誰かにとっては大したことでも素晴らしいことでも何でも構わない。自分で決めて自分で楽しむだけ。単純な話だったのです。
そんな単純なことを繰り返して日々を過ごして自分が決めた何かに向かって前に進む。それが生きるってことで、それができるのが大人だったんだ、今は思っています。
大人として生きていくことできるようになってようやく、これまでずっと頑固な油汚れのようにしつこくつきまとっていた承認欲求から解放されました。
そしてもう誰かの承認に頼らずとも、自分で自分の答えをだして考えることもできるようになったし、自分のやりたいことも見つかって、今はそれに向かってひたすら突き進むことができるようになった。
そして、誰の承認も必要としない孤独の状態で自分という存在だけで他者と対等にぶつかり、関係を築き上げていくことで、より成熟した大人へと成長していくのだと、そう思うようになりました。
動き出せばやる気は後からついてくるってきいたことがある
私自身生きづらさを感じていて
検索していたらこちらに辿り着きました。
他の記事も拝読させてもらい、共感できることばかりです。
まるで私のことが書かれているかのように思いました。
欲しかったのは「安心したいだけだった」ってすごくわかります。
「私はダメなんだ」「私は悪い子なんだ」って思い込んでしまって
だからこそ「私はここにいていいんだ」って安心したくて、
このことを強迫的に追い求めていたような気がしています。
そのためには他人からの承認が必要で、承認欲求が暴走してしまい
「自分は特別なんだ」って特別になろうとして頑張るも
自分が望んでいることと違うから苦しいし、承認を得ようと他人に合わせようとして
自分の欲求や感情を抑え込んで、自分がわからなくなる、という悪循環に陥っていました。
ご自身のことを分析して言語化なされていてすごいと思いましたし
なんか、勇気づけられました!ありがとうございます!
1つ質問なのですが「自分がない人間」から自分らしく生きるられるようになるには
何が必要だとお考えですか?
やはり「他人ではなく、自分のことは自分で決める」ことを意識して実践されたのでしょうか?
考えを教えていただけたら幸いです。よろしくお願いいたします。
お役に立てたなら何よりです!
> 1つ質問なのですが「自分がない人間」から自分らしく生きるられるようになるには
何が必要だとお考えですか?
難しい質問ですね…というのも、いろいろ試行錯誤してどうにか直していったので、一つの結論というよりは、そこまでの過程が重要だったような気がしています。
あぁでもないこうでもないと、いろいろと自信の認知のゆがみに気づいてはそれを直すことの繰り返しだったんですが、いくら掘っても底の見えない何かを掘り続けているというか…
ただどこかでそんないろんな自身の気づきと、これまでの経験で何か引っかかるところが増えていくと、「こう考えなくてよかったな」「こう感じること自体がそもそも必要ないんだな」という風に感じられるようになっていって、自らつらい生き方をしていたということもわかってくいくほど、より単純に苦しい生き方をやめることができるようになっていきました。
あえていうなら、「忍耐」だと思います。根気と継続、気づきと断捨離。日々の生活の中で感じたことを振り返り、過去の自分を分析してある苦痛の正体を追い続けてそれを捨てていく。私の場合はこの繰り返しでした。
お返事ありがとうございます。
「忍耐」ですか。なるほどです。根気と継続、気づきと断捨離。苦手分野です。
ないと分かっているつもりでも、不安や焦りでいっぱいになって、正解や人生を一気に変えてくれる魔法の杖を求めてしまいます。
まだまだ周りになんとかしてもらおうとしてるんだと思いました。
でも今ふと、自分の認知の歪みが生きづらさを生んでいるのかー。じゃあそれってわたしが修正していくしかないじゃん、誰のせいにもできないじゃん、と思いました。
やっぱりコツコツと自分に向き合っていくしかないんですよね。頑張ってみようと思います。気づきをありがとうございます。
記事の更新楽しみにしています!
そうですね!時間はかかるかもしれないですが、少しづつでも前には進めると思います。
最近は他事で記事の更新はできていませんが、また何れ更新していく予定です。ありがとうございます!
自分の人生を読んでいるようでした。この記事の存在に感謝します
今まで人からどう見られるかとかすごい気にしてました。将来のことですごい悩んだりしてて息が詰まってうつ状態でした。しかし、この記事を読んで納得しました。人に何かしてあげる事でいつも欲求を満たしていたのですが、それは違いますよね。自分の好きに生きていいんだって思ってなんか心が軽くなりました。
前向きになれました!ありがとうございます
お役に立ててよかったです。いい人生を!( ´∀`)
私は17歳の時に初めて『嫌われる勇気』を読み、あなたと同じように衝撃を受けました。そして承認欲求を求めることの無意味さを頭では理解したつもりでしたが、今までの生き方をそんなに簡単には変えることができず、19歳で鬱になりました。その時思ったのは、承認欲求を求めるべきではないということを頭で理解できても、実際に行動することはかなり難しいということです。しかしもう一度本気で自分を変えようと思い、『嫌われる勇気』の内容を一つ一つクリアしている最中でこの記事と出会いました。あなたの記事で私は勇気づけられました。ありがとうございます。私も頑張ります。
若い時間をそうやって過ごしたのは、その時の心身の苦しみも、多分その後の後悔も、本当に辛かったでしょう。
同じような人生を歩んできた者として、お察しします。(途中まで自分の話かと思ったくらいです。文章できれいに表現されたものを見ると、他人事ながら少し救われたような気持ちになりました。)
あなたの「ガンコな油汚れのように付きまとってたもの」が落ちて、本当に良かった。おめでとうございます。
これから健やかな毎日が続くことをお祈りします。
大丈夫ですよ。
多分そんな深い意味で、なんとなくコメントしてるだけだと思いますから。笑
あなたは良く考えているし、いい記事だと思いますよ。読んだ人の1%でも、為になったら、それでいいんじゃないですか。
別に承認欲求があることが悪いこと自体は悪いことじゃないですから。その強さの問題でしょう。
人に迷惑かけたり、不快にさせたり、自分を必要以上に孤独にさせるレベルの承認欲求なら問題ってことだと思いますよ。
ですからあなたの記事ややっていることは、それに当てはまっていないし、正常範囲の欲求、ということだと個人的には思ってますよ。
そのまま突っ走ってください。
あなたが 誰かの役に立つようにと発信している情報も、誰かにとっては ただの[承認欲求]で[幼稚]と受けとめられているかもしれませんね。
思い込みや、観測地点によって解釈が変わるものですね。
これからのご活躍ご健康も願っております。
おっしゃる通りだと思います。思い込みや、観測地点によって解釈が変わるという点については。
人が何をどう解釈するのはその当人の解釈や、目的に依存するからです。
なので、ある誰かが私の記事を内容を”ネガティブ”に解釈したり、”ポジティブ”に解釈したり、解釈の形は人の数だけあるのだと思います。
そしてそれは、読み手の方がそのように読もうとする目的や都合がそうさせるのだと思います。
なので、「この記事は著者の承認欲求を満たすために書かれたものだ」という解釈もあるでしょう。
より直接的に言えばその読み手の方にそのように解釈したい目的があるからそのように読めるのだと思います。人は他者を自分の鏡のように使っていて、自分がある他者の内面を理解しているかのように見えても、実際には他者に映る自分自身を見ているだけにすぎないのです。
なので、正直私はあるがままよさんの指摘に面食らいました。そんな風に書いているつもりは私にはありませんでしたので…
また、「誰かのためになる」というのも、実はかなり曖昧です。個人の視点から見た「誰かの役に立つこと」とは、より正確に言えば、「もし自分がある他者の立場だったらこういうことが役に立つだろう」ということであって、結局は自分の役に立つことでしかありません。
悪魔でその他者は仮想であり、その正体は主観、自分でしかなく、実際に相手の立場に立てる人というのはいないと思います。
この記事の読み手の話にもどりますと、私を含め人によって記事をどう読むのか、何のために読むのかはそれぞれでしょうから、私自身を除いてそれぞれ読んだ方にとって具体的にどう役に立つのかもわからない。
私の想定した目的に近い形でお読みになるかもしれないし、全く違う解釈をされて、(例えば何らかの攻撃性があるように解釈した等)却って気分を害したり、不利益になってしまうかもしれない。
しかしやはりそこは、読み手の方である他者の都合なので、その方々がどう読もうとするか、どう考えるのかはそれぞれの課題であって、私にそれをどうこうすることはできない。
と、こう私は考えております。
つまり短くまとめますと、あるがままよさんのおっしゃる「誰かにとっては ただの[承認欲求]で[幼稚]」がどうだろうと、それは私の課題ではないということです。あえていうならそれはあるがままよさんの指摘する誰かにとっての課題でしょう。或いはあるがままよさんご自身の課題かもしれません。
ところでもし差し支えなければ、もう少し具体的にありのままさんご自身のお考えをこちらに書いていただくことは可能でしょうか?
特に「誰かにとっては ただの[承認欲求]で[幼稚]と受けとめられているかもしれませんね。」が何故そう思われるのか、どこから来たのかについて、より詳しくお聞かせいただければと思うのですが…どうでしょうか?私はあるがままさんの頭の中を覗くことができないので全くわからないのです。
ぜひご教示頂けないかと…