承認欲求は満たされると気持ちがいいと感じるもの。
だから欲しがるのだけれど、なぜそれが”気持ちがいい”のか、それがずっとわからなかった。
そしてそれを求めている間、なんでこんなに”苦しい”のか、それもわからなかった。
でも自分の承認欲求と向き合い続けてようやくそれがわかった。
承認欲求は、他人に対する恐怖から来ている欲求だった。
目次
“独り”から逃げ続けてきた私の人生。
初めに。
私のこれまでの人生を一言で表すなら、『孤独から逃げる人生』だった。
孤独を恐れて、他人に好かれるために他人に気に入られることばかり考えて、生きる人生だった。
その代わりに自分の人生を自分で楽しむということから逃げていた。自分で自分の人生を決めて、自分で楽しむということからずっと逃げ続けて、他人にその心の穴を埋めてもらおうとしていた。そんな自分の世話をしてもらおうとしてきた。他人に自分の人生を決めてもらって、他人の好きな自分になって、安全と安心を求めて生きてきた。
そのためにいつも他人に合わせた。何もかも。自分の好きなものもやりたいことも全部誰かが喜びそうなものを選んで、自分のに変わりに楽しんでもらって、それに私は共感してコピーすることで楽しもうとした。
そうすればその他人と同じになれる、一つになれるなんて思っていた。それで自分はまっとうになれて、認められて、大丈夫だと。
他人と同じになれることが幸せ。そんな感じだった。
安心したかっただけだった
でもその実態はただずっと他人に合わせていただけ。他人に決めてもらっていただけ。他人に依存していただけ。自分で決めるのが怖くて、代わりに全部他人にやってもらっていただけ。本当は他人のことがずっと怖くて、他人に自分の決めたことを否定されるのがずっと怖かったから、ずっと他人に合わせていただけだった。
他人に褒められたり、喜んでもらえたり、共感して同じに鳴れた時に感じていた喜びのような気持は、実際にはそんな他人の恐怖から解放されたという安心感でしかなかった。
これまで妄信し続けてきた他人に対して無意識に抱いてきた恐怖を癒すためのものだった。
その無意識に気づいたのはうつ病になったとき。先輩にいじめられたとき。他人に褒められようが何だろうが、認められようが嫌われるときは嫌われる。嫌われないことを保証できていると思っていた私の思い込みは、それを前にもろくも崩れ去ってしまった。
他人はいつも自分のことを好きでいてくれるわけでも守ってくれるわけでもないことが分かった時。
全部その時の他人自身の都合次第、気分次第でしかなくて、他人は常に他人のことしか考えていないという現実を見せつけられたとき。
褒められたいは、自分の素直な気持ちじゃなかった
その中で気づいた褒められたいという気持ちの正体。ずっと喜びだと思っていたこの気持ちは本当に自分がそう“したい”と思って求めた気持ち、感情じゃなかった。
“褒められなきゃいけない”と思い込んで怖くて求めていたものだったんだ。
「褒められないと何かをしちゃいけない。」
「評価されることでなければそれは全部無駄なこと。」
「好かれないと人を好きになっちゃいけない。」
「好かれない自分はダメ人間で、生きている価値がない。」
他人を恐れ、まずは他人の都合を満たしてから出ないと自分がしたいこと、感じたいこと、やりたいことをしていけないという思い込み。
そんな「他人のための自分にならなければならないと何もしちゃいけない」義務感で、仕方なく求めていたものでしかなかった。
好かれたい = 好かれなきゃいけない だった
誰かに好かれたいとずっと思っていたけど、それは本当は自分のしたいことじゃなかった。
本当は好かれ“たい”だなんておもってない。本当は褒められ“たい”だなんて思ってない。
全部「しなきゃいけない」という無意識がそうさせている欲求だった。自分に強いて、自分を苦しめて無理やり求めさせている仮初の欲求でしかなかった。
そうやって自分をだましてきたんだ。他人を恐れて、自分の気持ちに欲求に蓋をしてきた。だから苦しかったし、求めている間は窒息しそうな感覚でいっぱいになっていたということに気づいた。
“本当に自分がしたかったのは、自分の気持ちに、欲求にただ素直になることだけだったんだ。
その許しを他人から欲しだんだ。自分を許さない他人を頭の中に作り出してまで。
自分がすることがを、すべて誰かに許されなければできないことだとずっと思いこんできただけ。
でもそれはいらなかった。他人の許しなんて必要なかった。他人の承認なんて必要なかった。他人の評価なんていらなかった。
人目のを気にしていたのだって同じ。それもいらなかった。意識すら必要なかった。全部気にしなきゃいけないという意識の産物であって、気にしたくてしていたことなんかじゃない。
本当は他人のことなんて無視したかったんだ。開き直りたかった。それが本心。
他人の気持ちなんて気にせずに自分の好きなことに夢中になっていたかっただけだったのが本心だったということに気づいた。
自分を好きになるのに、褒められたいはいらない。
それが私が承認欲求を捨てる過程で気づいた最も大きなもの。最も大事なこと。他人を巻き込んで自分を好きになる必要も、他人に許されて自分に素直になる必要も全くない。
他人の都合を無視していい。他人を無視して、気兼ねなく自分が好きなものを好きになっていいんだ。
褒められることはいいことでもなんでもない。それを求めているということは、他人を怖いと思っているだけ。勝手に自分が他人を怖がっているだけで、それを癒すために、安心するためだけに求めているだけのこと。
自分を他人が褒めるのは他人の勝手で、他人のやりたいことの話しでしかなく自分には何も関係がない。
自分の欲していることとは何も関係がないこと。承認欲求は欲しいものではなく、他人を恐れて無理やり欲しているものでしかなかった。それで自分の本当の素直な気持ちが今までそれに隠されてずっとみえなかっただけ。
そんな単純な事実だったけど、そんな単純なことをいろんな思い込みを重ねて歪ませて、これまで私は生きていた。だから気づきにくくなっていたし、手放すのが怖かった。承認欲求が喉から手が出るくらいにまで欲しいと病的になるくらいまで、複雑な思いこみを重ね続けてきたから。
だからそんな歪んだ思い込みたち、他人の都合たちをすべて捨てるのには時間がかかった。それでも歪んだ思い込みを根こそぎ掘り起こして、捨てに捨てまくった。
そうしたら本当に軽くなった。それでようやく納得もできた。
「いらなかったんだ」って。「必要ないんだな」って。
そう心から思えたときだ。承認欲求を捨てられたのは。
素直でいることっていいですね。
私も気付きました。
我慢して周りに合わせて承認してもらえる一時的な安心と、自分に素直でいて責任を取る事。
後者の気持ちよさを知ったら、前者に戻ろうとは思えないですね。