「承認欲求お化け」だった私の半生を独白します




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2021年06月25日~:
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病的な承認欲求を抱えて

当時の私の承認欲求はとても強く、常にだれかに見張られている感じがするというか、自宅の部屋に一人でいるときでさえ、誰かに見られている気がしていた。

やることなすこと全て見られているような気がしていた。かっこいいとか、すごいとか、自分が賞賛される姿をよく妄想していた。

学生の頃はかっこいいと思われたくてギターを始めた。容姿に気を遣ったり、すごい奴だと思われたくて高校1年の時に入った野球部で「中学の頃リトルリーグに所属していました!」なんて言った。本当は入って数か月で嫌になってやめたのに。実際全然ダメで後から周りに失笑されたした。

そんな見栄っ張りなだけの”恥ずかしい人生”を送っていた。

誰かに認められたいという一心だった。

まさに必死。「誰か自分を認めて」「自分を必要としてくれ!」

そんなことだったから私は自分で本当にやりたいと思えることなど何一つもっていなかった。誰かに求められてでしか何もする気が起きなかったから。

でも特別にはなりたかった。誰もが認めるような特別な存在になりたかった。

たまには褒められたりもした。かっこいいといわれこともあった。

しかし結局のところは、私は単なる一人の凡人にすぎなかった。凡人が必死に背伸びをしていただけ。

そんな凡人であることを認められず、なぜずっとそんな人生を送ってしまったのか。

それは、自分が幼少期に、自分のことを好きになれなかったからだった。

幼少期の頃から止まっていた”精神の成長”

子供の頃はというと、私は親から毎日叱らていた。

私の親、特に母親は支配的で、些細な失敗でもヒステリックに「なんでそんなこともできないの!」「そんな簡単なことも出来ない子は私の子じゃありません!」「それくらい普通でしょ!ちゃんとしなさい!」と、口を酸っぱくしてねちねちとしかりつけてきた。

少しでも私が行儀が悪かったり、姿勢が悪かったり、ちょっと汚い言葉遣いをしただけで、鬼のような剣幕でしかられ

少しでも反論したりすると「親に向かってなんて口だ!」「今度そんな口を利いたら家を追い出す!」「言うことを聞かないならごはん抜き!」などと私の意見をきくどころからねじ伏せるような教育を受け、母親の言う正しさに屈服し、常に従わなければ実質ほぼ生きていけなかった。

私は、常に母親の機嫌を取ることに必死だった。

そういう環境の中で育った私は、私はいつまでも「自分が悪いんだ」「こんなこともできないなんてなんてダメなんだ」「自分はバカなんだ」「自分は何もできないんだ」と常に自己否定をして母親を怒らせないように装ってきた。

そんな”装ってきた自分”がまるで本物の自分だと錯覚するようになるまで、自分を思い込ませるくらいに。

たまに親から「やればできるじゃん」みたいにほめられたこともあった。

でもそれはうれしかったというよりもホッとしたといった方が近かった。暴力こそほとんど振られなかったものの、言葉による暴力は母親から毎日のように受けていた。

その経験から、誰かに認められないと自分はダメなんだという風に考えるようになり、それは成長しても変っていくことはなかった。

なぜならそれが、自分にとっての普通だったから。私の根本的な精神面のそれはその時点から成長することをやめてしまっていた。

ずっと母親を怒らせない偽物の自分を演じることだけをしてきて、本来の自分自身で感じること、考えること、経験することを押し殺してきた。

自分以外の人間に対する接し方も母親に対するものと同じようなものになっていた。そりゃ当然で、それ以外の人間関係の形を知らないし、それが普通だと思っていたから。

友人に対してさえ、常に親のような自分の存在を認めてくれる人を求めようとしていた。

だから私にとって友人とは「自分を好きになってくれた誰か」だった。

自分から誰かを好きになったことなんかなかった。

そして置き去りにしてしまった”本当の幼い自分”を抱えたままいきてきたために、学校生活、社会人生活にも影響を及ぼしていった。

女性と上手く話せなかった学生時代

承認欲求が強かったので、女性からもてたいという願望も強くあった。前述のギターを引こうとした理由もこれが大きな理由。しかしその反面で、私は女性に対して相当に口下手で、女性を前にすると何を話していいのかがさっぱりわからなくなってしまうような人間だった。

それはつまるところ「もてたいけど話したいと思うことがさっぱりない」ということだった。

その人としたいと思えることがない。されたいことしかない。

ずっと本来の自分を押し隠して生きてきたがために、自分がしたいことというのが全くなかった。

つまり私は、女性に認められるためにモてたいと思っていただけであって、女性と付き合いたいということのためにモてたいわけではなかった、ということ。

単に自分を認めてくれることを期待していただけ。ただそれだけ得られれば後はどうでもよかった。

しかし現実は残酷だった。そんな風に自分のところに来てくれる人はいなかった。におわせてくる人はいても、直接着たりはしなかった。

そんな自分の態度を「きもい」と時に率直に言われもしたこともあった。

そりゃそうだ。考えてみれば、ただモてたいと思っているだけで何もしゃべらない、何を考えているかわからない男が目の前でじっとしていたら、そりゃ気持ち悪くて当然だった。

私は人目を意識して、モテてただ認められたいがためにより一層変なやつだと見られまいとして、かえって挙動がおかしくなってしまっていた。

どんなに見てくれをよくしたところで、所詮は形だけで肝心の中身は昔のままでキョドったまま。

終始無言、その陰険で奇妙で何を考えているかわからない不気味さが、彼女達の畏怖する対象となってしまっていたのだった。

その経験から、自分は女性に対して無価値で無力なのだと、女性不信が一層強くなってしまった。自分から女性に話しかけることはほとんどできなくなっていた。

それがマシになったのは社会に出てから、承認欲求を捨てることができ始めたころ。それでもまだまだ抵抗は全然あって、本当は自分のことバカにしてるんじゃないか、とか、この人も影では自分の悪口をいっているんだ、と勝手に決めつけて、常に疑いの心で接していた。だから一様に距離を置くことが多かったため、本当に仲良くなれた女性はほとんど0に近かった。

幼い自分をひきずったまま大人になって

誰に対しても幼い子供の頃から繰り返し続けてきた、誰かにほめられることで関係性をもとうとする人間関係。

それが仇となって、対等な人間関係の構築という経験をせずに生きてしまっていたから、他人に対して常におびえながら常に相手に気に入られなければならないという強迫観念を伴って生きる人間になった。

相手の価値観や趣向性、考え方などに自分のすべてを差し出していた。主体性なんてものはまったくなかった。それが悪だろうと善だろうと関係なかった。だから私は付き合う人間によってまるでカメレオンかのように悪い人間になったりいい人間になったりしていた。

本心では自分がそれをしたくなかったとしても、気持ちがそれを許さない。合わせなきゃ、これが普通なんだから。やらなきゃいけないんだから、と。

したいことなどなかった。将来なにかしたいことはあるの?と聞かれても、「わからない」が私の回答だった。

ただなんとなくで自分の人生の道をきめて、「無難」なものを選んでいるだけだった。「これが自分がやりたいことだ」なんて口で言えたことはあっても、今にして思えばそれすらも「無難なものを選んで、これを好きだといえば周りがほめてくれるだろう」という考えのもとに選んでいた全くの嘘でしかなかった。

全部嘘。気に入られるための嘘。

誰かに認められることを意識しての嘘でしかなかった

私はそんな「自分がない人間」になりはてていた。

そうして気がつけば、齢二十歳を過ぎても、自分の好きなことも嫌いなことも何もかも、自分が本当にしたいことが何なのかが一切わからないような、幼い自分をはるか昔に残したまま体だけが大人になった自分がそこにいた。

人目を気にしたり、相手の言う事に逆らえなかったり、褒められただけで有頂天になったり、けなされたりするだけで深く傷ついたり。

それは、それだけ相手の言うことに左右されてしまう、自己を確立することができていない自分がそこにいる証だった。

そしてそんな自分が社会に出て半年、それが原因でひどいうつ病を患うことになった。

他人に本気でどうしようもなく嫌われ、周りから冷たく扱われ、無視されるという、初めての経験を前に人に認められることすら信用ができなくなり人生に絶望することになるのだった。



そしてうつ病になった

そんな自分を変えたいと思うようになったのはそのうつ病を発祥したことが原因だった。

職場の先輩と上手くいかず、嫌われ、さまざまな嫌がらせを受けるようになった。嫌われないために色々と根回しをしようとしたり、とにかく毎日が必死だった。しかしその努力は報われず、会議では明らかにみなの前でその先輩によってのけ者扱いされ、仕事も意図的に回してもらえず、私は非常に肩の狭い環境の中、激しく体をこわばらせ、極度の緊張状態の中仕事をしていた。

それは相当の、かつて感じたことのない強烈なストレスだった。

それが半年以上続き、ついに私の精神はそれにもちこたえらなくなり、ある日突然、パソコンで仕事をしている最中、キーボードを入力する指が止まってしまった。

当時はその先輩もあまり社内におらず、当時に比べれば比較的和やかな環境ではあったのに、極度の緊張状態の中でずっと仕事をするうち、それが癖になってしまったのか、家に帰ってもずっと緊張している状態が続き、毎日猛烈に疲弊し、ストレスで体重は10kgも増え、顔からは完全に生気が抜けていた。

そしてその日を境に一切の仕事ができなくなってしまい、休職を余儀なくされ、それでも治ることがなく必死にそれでも働いたが、最終的に会社を自主退職という形でやめることになった。

それからの約7年間はまさに地獄。毎日が極度の緊張による激しい頭痛、まるで重くのしかかり内側からつねられているかのような激しい背中の痛み、けだるさにさいなまれ、もはや生きているのかどうかすらわからない朦朧とした意識の中暮らしていた。

それでも一人暮らしであったため仕事をしないわけにもいかず、親にはその時点で怨みしかなかったため頼りたくもないと思い、その症状を引きづりながらアルバイトで必死に仕事をする毎日だった。

アドラー心理学との出会い

「この状態のまま生きていくのはもう無理だ…」

「もう自分死ぬんだろうな」

おぼろげな意識の中ふとそう思った。ついには自殺しようと部屋のベランダから身を乗り出そうしたけど、結局未遂に終わった。

もちろんこの期間、うつ病を直すにはどうすればいいのかについて色々調べたし、病院にもいってお薬も一時期もらっていた。しかしそれもどれも効果はなく、かえって症状がひどくなるなど、逆効果ですらあった。

打つ手なしの絶望感にさいなまれ、もう後がなかった自分

しかしそんな時ついに「嫌われる勇気」という本に出会った。その本に書かれていたことを読んだときの“衝撃”、今でも思い出せるくらいに強烈に記憶にのこっている。

まるでこれまでの自分の人生の全てがそこに記されてでもきたかのような、今まで自分が感じてきた生きづらさ、そしてうつ病になり、絶望のどん底に今いる自分を、的確に、的を得た説明で解説、語ってくれた。

私が承認欲求お化けになっているということに気づいたのも、その本をよんだおかげだった。

自分がこれまでごまかしてきた自分の弱さ、置き去りにしてきた本当の「幼いままの自分」に向き合う機会をあの本は私に与えてくれた。それから私はその本をベースに、人に嫌われることを気にすることがどんなに意味がなく、自己中心的発想で、何より苦しい、なんら生産的でないことであったことをかみしめながら、自分を変えるためにあらゆる自己分析をし、それをブログにも書きながら日々自分を変える毎日を送ることになった。

一人の大人として生きていく

そうして私は承認欲求が自らの幼さ、アダルトチルドレンの気質からきているということに気づき、「自分のことは自分で決める」という自分軸の人生に変えていく取り組みを始めた。

そうして5年以上の時が過ぎて、今では背中の痛みや欝の症状も治り、問題なく健康的に暮らしている。

今の私は単に自分で決めてそれを自分で好きなように楽しむ、というだけの単純な人間になった。しかしこんな単純な人生で十分であったということは、今ならよくわかる。

他人に決めてもらう必要はなかった。他人の価値観に合わせる必要はなかった。

他人に認められる必要はない。社会にも何の基準にも従ってなきゃいけないことなんてなかった。

素晴らしい人生、誰もが憧れる人生を送る必要もないし、反対にみじめだといわれる人生を送ることになっても別にどうでもいいということ。

全部好きにしていいことだった。自分で決めてよかった。誰かの許しも指標もアドバイスも何も必要なくて、自分がその時に感じた感情や感覚、思考を素直に持っていていいのだと。

そうやって自分で自分のことを決めて、感じて、何かをして生きていく。そうすると、自分のことを自分でやるってことがいかに自然なのかがわかった。

そんな単純なことを繰り返して日々を過ごして前に進む。それが生きるってことで、それができるのが大人だったんだ、と気づくことができた。

大人として生きていくことできるようになってようやく、これまでずっと頑固な油汚れのようにしつこくつきまとっていた承認欲求から解放された。

そしてもう誰かの承認に頼らずとも、自分で自分の答えをだして考えることもできるようになったし、自分のやりたいことも見つかって、今はそれに向かってひたすら突き進むことができるようになった。

誰かの後ろ盾も、加護もいらない。大人として生きていくということは、承認欲求の存在、つまり架空の親のような存在を捨てて、一種の孤独になることでもあった。

そして、誰の承認も必要としない孤独の状態で自分という存在だけで他者と対等にぶつかり、関係を築き上げていくことで、

より成熟した大人へと成長していくのだと、そう思った。

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自己紹介

Name : Elepan

元うつ病患者 (闘病歴10年)

約10年間のうつ病の体験と、独学で立ち直ったことや、実施した治療法について書いています。一人でも誰かの役に立つ情報になりますように… その他にも遊んだゲームの情報、世の中のおかしいと思うことなどについて考えたことを色々まとめています。

 

5 件のコメント

  • あなたが 誰かの役に立つようにと発信している情報も、誰かにとっては ただの[承認欲求]で[幼稚]と受けとめられているかもしれませんね。

    思い込みや、観測地点によって解釈が変わるものですね。

    これからのご活躍ご健康も願っております。

    • おっしゃる通りだと思います。思い込みや、観測地点によって解釈が変わるという点については。

      人が何をどう解釈するのはその当人の解釈や、目的に依存するからです。

      なので、ある誰かが私の記事を内容を”ネガティブ”に解釈したり、”ポジティブ”に解釈したり、解釈の形は人の数だけあるのだと思います。

      そしてそれは、読み手の方がそのように読もうとする目的や都合がそうさせるのだと思います。

      なので、「この記事は著者の承認欲求を満たすために書かれたものだ」という解釈もあるでしょう。

      より直接的に言えばその読み手の方にそのように解釈したい目的があるからそのように読めるのだと思います。人は他者を自分の鏡のように使っていて、自分がある他者の内面を理解しているかのように見えても、実際には他者に映る自分自身を見ているだけにすぎないのです。

      なので、正直私はあるがままよさんの指摘に面食らいました。そんな風に書いているつもりは私にはありませんでしたので…

      また、「誰かのためになる」というのも、実はかなり曖昧です。個人の視点から見た「誰かの役に立つこと」とは、より正確に言えば、「もし自分がある他者の立場だったらこういうことが役に立つだろう」ということであって、結局は自分の役に立つことでしかありません。

      悪魔でその他者は仮想であり、その正体は主観、自分でしかなく、実際に相手の立場に立てる人というのはいないと思います。

      この記事の読み手の話にもどりますと、私を含め人によって記事をどう読むのか、何のために読むのかはそれぞれでしょうから、私自身を除いてそれぞれ読んだ方にとって具体的にどう役に立つのかもわからない。

      私の想定した目的に近い形でお読みになるかもしれないし、全く違う解釈をされて、(例えば何らかの攻撃性があるように解釈した等)却って気分を害したり、不利益になってしまうかもしれない。

      しかしやはりそこは、読み手の方である他者の都合なので、その方々がどう読もうとするか、どう考えるのかはそれぞれの課題であって、私にそれをどうこうすることはできない。

      と、こう私は考えております。

      つまり短くまとめますと、あるがままよさんのおっしゃる「誰かにとっては ただの[承認欲求]で[幼稚]」がどうだろうと、それは私の課題ではないということです。あえていうならそれはあるがままよさんの指摘する誰かにとっての課題でしょう。或いはあるがままよさんご自身の課題かもしれません。

      ところでもし差し支えなければ、もう少し具体的にありのままさんご自身のお考えをこちらに書いていただくことは可能でしょうか?

      特に「誰かにとっては ただの[承認欲求]で[幼稚]と受けとめられているかもしれませんね。」が何故そう思われるのか、どこから来たのかについて、より詳しくお聞かせいただければと思うのですが…どうでしょうか?私はあるがままさんの頭の中を覗くことができないので全くわからないのです。

      ぜひご教示頂けないかと…

  • 大丈夫ですよ。
    多分そんな深い意味で、なんとなくコメントしてるだけだと思いますから。笑
    あなたは良く考えているし、いい記事だと思いますよ。読んだ人の1%でも、為になったら、それでいいんじゃないですか。
    別に承認欲求があることが悪いこと自体は悪いことじゃないですから。その強さの問題でしょう。
    人に迷惑かけたり、不快にさせたり、自分を必要以上に孤独にさせるレベルの承認欲求なら問題ってことだと思いますよ。
    ですからあなたの記事ややっていることは、それに当てはまっていないし、正常範囲の欲求、ということだと個人的には思ってますよ。
    そのまま突っ走ってください。

  • 若い時間をそうやって過ごしたのは、その時の心身の苦しみも、多分その後の後悔も、本当に辛かったでしょう。
    同じような人生を歩んできた者として、お察しします。(途中まで自分の話かと思ったくらいです。文章できれいに表現されたものを見ると、他人事ながら少し救われたような気持ちになりました。)
    あなたの「ガンコな油汚れのように付きまとってたもの」が落ちて、本当に良かった。おめでとうございます。
    これから健やかな毎日が続くことをお祈りします。

  • 私は17歳の時に初めて『嫌われる勇気』を読み、あなたと同じように衝撃を受けました。そして承認欲求を求めることの無意味さを頭では理解したつもりでしたが、今までの生き方をそんなに簡単には変えることができず、19歳で鬱になりました。その時思ったのは、承認欲求を求めるべきではないということを頭で理解できても、実際に行動することはかなり難しいということです。しかしもう一度本気で自分を変えようと思い、『嫌われる勇気』の内容を一つ一つクリアしている最中でこの記事と出会いました。あなたの記事で私は勇気づけられました。ありがとうございます。私も頑張ります。

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