「他人の言うこと」なんて聞かなくていい




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2020年04月25日~:
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記事サムネ;bBearさんによる写真ACからの写真

親に「人の言うことを聞け」ってしつけられたことは?

あるいは教師からとかかもしれないけど。

多分言われてると思うんだよね。他人の目が気になったり、他人の言うことを怖がったりする人は。

「それって普通のことでしょ?」って思うかもしれないけど、人の言うことを聞くことで例えば自分が苦しい思いをしていたとして、それは普通なのかな?

言われたことに何でも従ってしまったり。従いたくないのに”ひっぱられて”、結局したがってしまって嫌な思いをしたり、そんな自分に自己嫌悪に陥ったり。

これが普通なのかな。

いや、普通でいいのかな?

それが普通だったらみんな苦しい思いをして生きていかなきゃいけないってことになる。

やりたくないことをして生きていかなといけないってことになる。

それが普通だなんて、正しいだなんて、あまりにも救いがなさすぎるじゃない。

でも安心して。普通なんかじゃないから。

この世の理でもなんでもない。ただの思いこみだから。

多分その思い込みは、子供の頃にそう思い込んだだけなんだよ。人の言うことは聞かなきゃいけないってね。

他人の言うことなんてみんなただの「個人的要求」にすぎない


他人の言うことは聞かなきゃいけないなんて、そんなふうに思っているんだったらそれは大きな間違いだ。

だって他人のあれしろこれしろなんて、ただの要求なんだから。

別に勅令とかでもなんでもないんだよ。

ただの個人的なお願いでしかないんだから。

つまり無視だってできるんだよ。本来は。

それを「人の意見を無視するなんて失礼だから」、とかなんとか言われて、嫌なことでも聞くことが普通だと思ってはいたりするんじゃないかな。

そんなふうに一方的に聞かなきゃいけないことかな。他人が言うことって

それに”聞く”っていうのはそれを了承するってことだけじゃない。

ちゃんと”理解しようとして真面目に聞いてしまう”こともなんだよ。

相手の悪口とか陰口とかがきになったり、それで傷つくのって、ちゃんとそれを聞こうとしているからなんじゃない?

真面目に聞いて自分がそうなのかどうか真面目に考えようとしてたり。

そうすることでつらいんだったら、そんなことやめていいわけだよ。

自分を苦しめる必要はない。

無視しちゃっていい。そこに義務感なんかいらないわけだ。

そもそも、相手の言うことを真面目に聞かなきゃいけないなんて決まりはないし、そんな強権的な身分制度なんかこの国にはないんだから。

ずっと人の言うこと聞くばかりで自分のことできなかったんじゃない?

でも多分そうやって育てられたからさ、多分ずっと他人のことを見たり、聞いたりすることに徹してきたから、

だから気にしちゃうんじゃないかな。癖になっちゃってるくらいに

習慣というかあり方というか生き方というか。

ずっとそれを強いられてきたからいつしかそれが、自分にとっての生き方、あり方になってしまったんじゃないかな。

相手に常に失礼があっちゃいけない、迷惑かけちゃいけない、変な風なことをして誤解されるようなことをしちゃいけない。

そんな風に他人が思っている事ばかり考えて、それに徹してきた。

そんな自分に違和感を感じたことはないかな。

例えば友達と接している時、“違和感”というか、自分と比べて見た時、どこかおかしいと感じたことはあるんではないかな。

子供の頃、クラスメイトたちを自分を比べて、自分は彼らとどこか違う、なんて思ったことはあるんではないかな。

周りの子達は自分よりもずっと元気に走り回って、言いたいこといって、ふざけあってて、バカみたいなこともたくさんして

それを軽蔑したりしたこともひょっとしたらあったかもしれないけど、でも楽しそうだとも思っていて。

そんな子たちを自分は遠くから見ていて、でも一緒にそうする気が起きなくて、できる気もしなくて

「なんであんなふうに振る舞えるんだろう」みたいなことを思ったことがあったのではないかな。

それは多分、「自分で何かをするってことをずっと”許されてこなかった”からじゃないかと思うんだよね。

「誰かがやれって言ったこと」じゃないとダメみたいな。

あれやっちゃだめこれやっちゃだめってね。何でもかんでも親とかから否定されてきたんじゃないか。

誰かが喜ぶものじゃないとだめ。誰かが笑えるものじゃないとダメ。

自分の感情すら、他人に合わせてたりはしないかな?

だから誰かに許可されたものじゃないと、しちゃいけない気がして、できるきがしない。

自分の好き勝手に、感じたいように何かをしたり、したいように何かをしたり、言いたいように何かを言うっていうことを、ずっと「人の言うことを聞け」「他人に気を使え」に上書きされ続けてきた。

自分一人」で何かを体験する機会を潰されてきてしまったからなんじゃないかな。

今まで「やってはいけないこと」でいっぱいだったんじゃないかな

いろんな他人の都合に振り回されてきて、そればっかりだったんじゃないかな。

他人の都合をきくことばかりを要求されて、肝心の自分のしたいことを全然やらせてもらえなかったんじゃないかな。

自分の感じたいことを否定されて、やりたいことも全部否定されて、周りがそんな否定された「やってはいけないこと」で埋め尽くされてしまった。

そんな中から他人に許可してもらった「やっていいこと」だけをして生きてきた。

本当はやってみたかったのに。やってみて経験してみたかったのに。

それを封じ込められてしまったから。

だから、他人の言うことばかり聞くことが普通になって、
そうしなきゃ生きられない、ってそう思い込む様になったんじゃないかと思うんだ

他人は神様じゃないよ

でもそんな事を言ってきた親とか教師とか周りの大人達とか、或いは友達だったかもしれない、そんな他人たちはすべて、自分と同じ人間だ。

そんな他人に許可して貰う必要なんかないんだよ。神様じゃないんだから。

だから自分が望むのなら、したくないんなら、他人の言うことなんて聞かなくていい。聞く耳すらね。

他人の都合よりも自分の都合のほうが大事にきまってるんだから。

他人に好かれるとか嫌われるとか、そんな事気にしなくても、自分がしたいことや感じたいことを、そのまま素直にやってよかったんだよ。

自分が単にやってみたいと思ったんなら、単にやってみてよかったのさ。

感じたいと思ったことを感じていいのさ。

言いたいと思ったことを、言っていいのさ。

それに許可なんかいらなかったんだよ

全部自分一人で感じて、肯定していいことだったのさ。

何を素晴らしいと思ったか。何を悲しいと思ったか。何を楽しいと思ったか。

いろんな感じたこと、感じたいと思ったこと。わかったこと。

そんな全ては、全部自分だけのものでしかなくて、他人は関係ないんだよ

成功も失敗も気にしなくていいじゃない

やってみて、失敗とか成功とか、そんな事を考えなくてもいいんだよ

それが必要だと思ってしまうのだってただの思いこみだ。

報われなきゃいけないとか、成功しなきゃいけないとか、気を使わなきゃ、みたいなそういう考え方。

それだってもとは他人に植え付けられたただの思いこみ。

これしなさいあれしなさいと言われて、それをやっとけ大丈夫だから、なんて言われていつも”正しい道”を行くことが普通だったから、常に正しくなきゃいけない、みたいなふうに思い込んだ。

だからその正しそうな成功だとか言ったものがとても重要なことのように感じているというだけ。

そんなときに生きている人なんてどこにもいない

結果に生きている人なんて本当は存在していない。

今自分があることがすべてなんだから。どうなるとか、どうだったとか、そんな過去にも未来にも生きてなんかいないんだから。

他人を裏切っていい

少し語弊がある表現かもしれないけど、もし自分がすごく他人に気を使ってきた人だったとしたら、そんなことをしなくてもいい、ってことがいいたくて、あえてこう書いてみた。

というのは、気を使うのはその人の面倒をみなきゃいけないとかそういった義務の意識から来ているじゃないか、と思うからだ。

そんな義務は感じなくてもいいんだ。それで自分が苦しいならなおのこと。

自分を苦しませてまで他人のことを考える必要なんてないんだよ

だからそれを“裏切っていい”ってことなんだ。

他人全員の聞いてほしい、受けてほしい、言うことを聞いてほしいを”裏切って”いい

自分がそれを望まないなら、聞きたくないなら、受けたくないなら、シャットアウトしていいってこと。

そして今までずっと無視し続け、裏切り続けた自分のしたいことをやってみるんだ。

不要な他人の都合を捨てると、自然と暇になるんだ。それはもうびっくりするくらいに。

他人が”いなくなる”からね。自分の心から。そうするとすごく静かになって、空っぽになる。暇になる。

その暇っていう、静かでゆったりとした時間の流れが、本来の自分だったわけなんだよ。

それは怖いものでもなんでもない。人はもとから一人で、もともとそれが人本来の感じている世界のすべて。

人はこの物質的な世界を5感で感じ取っているだけなんだから。そこに他人の都合なんてのはないわけだ。

だからそうやって本来の自分を受け入れて、できた暇を使って、自分のしたいことをしてみればいいんだ。

そうすればもう、自分を裏切って生きるなんてことはしなくなるから。



自己紹介

Name : Elepan

元うつ病患者 (闘病歴10年)

約10年間のうつ病の体験と、独学で立ち直ったことや、実施した治療法について書いています。一人でも誰かの役に立つ情報になりますように… その他にも遊んだゲームの情報、世の中のおかしいと思うことなどについて考えたことを色々まとめています。

 

3 件のコメント

  • elepanさま
    こんばんは。
    本気で疲れた時に、いつもこのブログにきています。私の癒しです。再びコメント失礼致します。

    人というのは、自分の欠点がどんなに図星だとしても、自分の耳に聞き心地のいいように編集されたり、指摘してきた相手に遜られたりして、少し見下すことができない限り、話をきくことはないなあ

    と思ったのですが、これに対しelepan様が思うことがあれば教えてください。
    (もし意味がわかりにくかったらごめんなさい)

    • お役に立てていて嬉しいです^^

      > 人というのは、自分の欠点がどんなに図星だとしても、自分の耳に聞き心地のいいように編集されたり、指摘してきた相手に遜られたりして、少し見下すことができない限り、話をきくことはないなあ
      >
      > と思ったのですが、これに対しelepan様が思うことがあれば教えてください。

      ふーむそうですね…不躾ながら付け加えさせていただくと、何を欠点と思うかさえ、その人の編集次第なのかなと思います。

      人の思い込みってかなり自由なので、それが罵倒でも、鋭い指摘でも批判でも、それをすごく前向きにも、すごく後ろ向きにも、完全に無視するようにも解釈できちゃうんですよね。

      もっというなら罵倒という行為が何を意味するのか、指摘が一体どういう意味を持つかさえも、全部個人の思い込み次第なので、それ次第で全然変わってくるという。

      全部「言葉」っていう記号で構成されてますから、その全てが自由に解釈できてしまうので。

      なので他人は変えることも理解を求めることほとんど不可能で逆もしかりだなあ、と個人的には思っています。
      少なくとも自分が感じたように、考えたように、自分が発した言葉を相手が同じように解釈するというのは、それこそ天文学的な確率なのだろうなぁと。

      なので自分のすべての思い込みは全部自分の中で完結させてしまったほうがずっと簡単だなーと感じています。

      思い込みで成り立っている人の人生というのは、すべて個人の創作の域を出ないものだなぁと。

  • 返信してくださり、ありがとうございます。

    その通りですね。最近は私もほとんどの事象に対して、他人は理解できないと思うようになりました。しかし、なんとなく近しい距離にいる人の意味もわからなくなりました。孤独が楽しいのと、他人に期待してきた習慣から生じるギャップなんでしょうか。

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