簡単。その人はその相手が怖いから。
自分と違う人が怖いから。脅威だから。だから傷つけて排除しようとしているわけ。
彼らにとって最悪なのは、自分とは違うもの、人が認められてしまうこと。
それで自分が間接的に否定されることが恐ろしい。気に入らない。
だから攻撃する。自分のコンプレックスから身を守るために。
目次
白黒の世界で生きている
彼らは白黒の世界で生きている。この世は割り切れると思い込んでいて、絶対的正しさと間違い、正義と悪が存在すると思い込んでいる。
そして自分こそがその正義だと思っている。自分こそが価値ある存在で、そんな自分が間違っている他人に教えてやっているんだ、と本気で思っている。
だから”自分にとって間違っているもの”をこなごなにしようとする。そんなものはあっちゃいけない。存在しちゃいけないものだから。
だからヒステリックな性格をしている
自分は正しい。他は間違っている。そういう世界観で生きているから、
自分自身の正当性の証明に、他人を攻撃してまで達成しようとヒステリックになっている。
なぜなら彼らにとって間違っているものは存在しちゃいけないから。
存在したら自分が否定されてしまうからだd。
そんなことは絶対許しちゃいけない。もしそうなったとしたら、それはつまり自分の死を意味するようなものだから。
そりゃ必死になる。まさに自分の生き死にがかかっているんだから。少なくとも気持ち的には。
だったらそれを証明するためなら人を傷つけることだってかまわないという理屈自分の命がかかってる勢いでやってるんだ。
攻撃性に裏打ちされる恐怖
つまり彼らのそんな必死さとは、すべてそんな他人という脅威に裏打ちされているものであるということ。
自分とは違う他人。つまり恐ろしい敵である他人を攻撃して、その他人を屈服することができて安心できる。自分のコンプレックスが解消されて、それを気持ちのいいことだと感じているから、ずっとやり続ける。
彼らがしつこいのは、そんなヒステリックな自身の性癖が故の”マゾさ”から来ているもの。
内心ではおびえながらことに及んでいる。強い獣の振りして、実際はただのネズミみたいに小さくて弱い存在であることをひた隠しにしながら。
人を下げて自分を特別だ、優秀だ、正しいんだと思い込みたいという、そんな彼らの“歪んだ特別感”のために付き合う必要なんかどこにもないんだ。
人を傷つける人は実は全然怖くない
彼らは自分自身を強いと思っているかもしれない。
でもその本質はまるで脆い、脆弱性を兼ね備えた危ういものなのだ。
その危うさが、彼らを攻撃的にする。その脆弱性が、彼らをヒステリックに、脅迫的な性格に仕立て上げているというだけ。
だからつまり何が言いたいのかというと、
もしあなたがそういう人と相対したのなら、怖がる必要はない、ということ。
もし誰かから誹謗中傷を受けたとしても、それはちっとも怖くないことということ。
恐ろしいものではないから。攻撃的な人というのは、その実恐怖におびえる虚弱な人間。あなたのことを恐れている人間なんだから。
ただかわいそうなだけ。ただ哀れなだけだ。
小さな子犬が必死に大きい犬に向かって吠えているイメージを想像したらいい。
まさにそのイメージと全く同じだから。あなたは大きい犬で、あっちは小さい犬。
ちっとも怖くなんかないことだから、安心していい。
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