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受け身という考え方に現実との大きな乖離があるから
現実は「与えない」。ただ「ある」だけ。
受け身で考えるなにかは、現実と乖離している事が多い。
現実は自分が期待していた何かに対して、いつもどこかずれていた李、全く違う結果を見せつけてくるから。
それは、現実の他人は自分の期待や都合に従って動いていないからなんだ。
それぞれの個々の都合で動いているというだけ。人だけでなくほかの動物も、あらゆる自然現象も、人が作り出した文化や社会もすべて、
あらゆる現実という事象は、こちらの想定、期待など無視して、ただただそれらの都合で流れ続けているだけだ。
それが時々、自分の想定に対して”うまいこと合致したかのように”見えるだけ。
「相手に尽くしたから愛してくれた」
「相手に気を使ったから、嫌わないでいてくれた。」
「やっとわかってくれたんだ」
というのはたまたまそうなったというだけ。そう見えただけだ。
期待通りにならなかったこともあるのでは?
そして、そっちの数の方が実はずっと多いのではないかと思う。
自分がいくら気を使っても、自分の期待した通りに動いてくれなかったり、全く振り向いてもらえなかったり、気づいてもらえなかったり。
どんなに頑張っても評価されなかったり、期待していたことがおこらなかったり。
そうやって苦しい思いをしてきたことが多くて、それで「つらい」って今感じているじゃないかな。
そういう“裏切られたという現実”を体験した瞬間は結構な頻度であったんじゃないか。
つまり、自分がしてきた期待って自分が思っている以上に満たされてこなかったんだ。
動物 = 人間に食べられるために生きてるの?
もちろんそんなわけがない。と思うのは自然なことだと思う。でも身近なものに、まるでそうであるかのように見えるものがある。
例えば豚肉や鶏肉といった、スーパーに当然のごとく人間のために陳列されているものたち。それらの元であった豚や鳥、牛、魚などに対して、
彼ら自身の都合に合わせて、世界は存在していた、なんて言えないと思う。
彼らだって自分たち人間と同じ生き物。もし世界が自分に与えられるためにあるのなら、それはこの世の全ての生物にとってそうじゃなきゃおかしい。
人間だけが、自分だけがそうなんだとしたらそれはあまりにも傲慢な上に、妙に不自然な選別的な世界だ。
屠殺場で人間の都合で殺されて、肉としてスーパーに陳列されることは、彼らの望む都合、期待に応えるものだったとは到底思えない。
彼らはそんなことのために生きていたわけでなくて、ただそれぞれに意思があって、それぞれの都合で生きていただけだ
それを人間に殺されて奪われた。彼らの都合も意思も関係なく。人間が人間の生活のために家畜化し、安定して食糧を供給できるという仕組みを作ってその中で生まれて、そうなった。
自然な話なんだ。現実は自分の都合のためになんか存在していないなんてことは。
だから誰かのために生きても、それは誰かに利用されて生きている、というだけでしかないんだよ。
現実はただそれぞれの都合があるだけ
自然にあるもの、人間、人間社会にあるもの
様々なサービス。この社会構造を作っている様々なものたち。
学校や会社、仕事、政治‥
価値観、規範、常識、普通といった概念すらも。
その正体は、皆それぞれの生物、それぞれの”個”がそれぞれの目的を達成するためにその割っているもの、作った道具の集合体、「それぞれの都合の集合体」でしかない。
当たり前にあるものではなく、個々のための目的があってみなそこに存在し、使われて運営されているもの。
決して自分に与えられるために存在する「奉仕者」なんかではない。
この世に当たり前に都合よく自分に用意されているもの、「与えられるもの」なんてのは、この世のどこにもないんだ。
待っているだけじゃ何もおきない。
だから期待して待っていても何も起きないんだ。
だってみんなそれぞれの何かの都合、他人の都合、外の何かの都合で動いているんだから。
自分の都合なんて関係ないんだ。知らないし、興味もない
興味があるとしたら、その都合を満たせる何かが合致した時だけ。
利用価値、利益関係があるときだけだ。
つまり、他人を待っていて、”運よく”その他人がこちらに来たとしても、
その他人がたまたま他人の欲しいものがあって、かかわってきたというだけ。ただこちらの世話をしに来たなんてことも、自分を愛しに来たなんてこともない、
奉仕者なんてものではないんだ。必ず相手にも目的があって、欲しい何かがあるからこそくるんだ。
だから損する。その相手の欲しいものになっても。自分の欲しいものがないんじゃ。自分のやりたいことがないんじゃ。
使われるだけ使われて、捨てられることだって普通にあるんだ。
まるで屠殺場で殺されて食料に変えられてしまう動物たちのように。
自分の目的をもたず、他人の目的で自分を生かそうとして他人に期待する人生は、苦痛と我慢ばかりの、他人の都合に従い続ける損ばかりの人生になってしまうんだ。
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